雁丸(がんまる)の原作代読映画レビュー

原作読んで映画レビューするよ!

映画『ユリゴコロ』と原作小説『ユリゴコロ』(ネタバレありの感想)

 

今回紹介する作品は

映画ユリゴコロです。

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【あらすじ】

田舎でカフェを営む亮介は、婚約者の千絵とともに幸せに暮らしていた。しかし、亮介を男手一つで育ててくれた父が余命幾ばくもない事が発覚し、更にはパートナーの千絵がある日突然姿を消してしまう。度重なる不幸を受け入れられずにいた亮介は、実家の押し入れにあった一冊のノートを見つける。その本の表題には「ユリゴコロ」と書かれており、中にはある殺人者の半生が記されているのだった…

【原作】

原作は沼田まほかるさんの同名小説『ユリゴコロ』です。

ユリゴコロ (双葉文庫)ユリゴコロ (双葉文庫)

 

 本作は2011年に発表され、本屋大賞このミステリーがすごい!に選出され、2012年には大藪春彦賞まで受賞した作品です。

沼田まほかるさんは、50代で発表した『九月が永遠に続けば』でデビューした遅咲きの作家で、湊かなえさんや真梨幸子さんらと並んで“イヤミスの女王”と呼ばれています。

沼田さんの作品にはインモラルなキャラクターが多く登場し、その歪んだ価値観を持つキャラクターの視点でストーリーが進行していくので、不快に感じられる読者もいるかもしれません。しかしそのような共感の難しい登場人物を、ただの理解不能な存在として描かず、きちんと愛を持って描いているので、歪んだ人々がふとした瞬間に見せる人間味や、彼らが抱くささやかな希望に胸を震わされるのです。

10月28日には同原作者の映画『彼女がその名を知らない鳥たち』公開されるので、要チェックの作家です。(ちなみにこちらの映画にも松坂桃李さんが出演しています。)

 

【スタッフ・キャスト】

本作のメガホンをとったのは『君に届け』や『心が叫びたがってるんだ』などを手掛けた熊澤尚人監督です。 

君に届け (Blu-ray)

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 熊澤監督は青春モノの映画を多く手掛けられている監督で、青春時代の心の機微を描く手腕に定評があります。本作はかなりイレギュラーではありますが、ある女性殺人者が経験する初めての青春の物語であるとも受け取れる気がします。

もちろん、ラブストーリーは熊澤監督にとってお得意のものなので、監督がこれまで数多く描いてきた不器用な主人公の情愛描写が本作でもしっかり演出されています。(本作は不器用ってレベルじゃない気もしますが…)

殺人を繰り返す女性・美紗子を演じたのは吉高由里子さん。人が死ぬこと以外のすべてに無感動であったヒロインが、徐々に人間らしさを手に入れていく様を絶妙なバランスで演じきっており素晴らしかったです。

現代パートの主人公を演じたのは松坂桃李さん。殺人鬼の手記を読み、自身の内面にも変化が表れていくキャラクターを、冷淡さと狂気を交えながら演じており、達者な役者さんだと感じました。

 

【私的評価】

62点/100点満点中

原作よりもヒューマンドラマ性に重点を置いて映像化されており、主要キャラクターたちが自分の宿命と対峙する展開が映画オリジナルで用意されていて良かったです。

また、原作よりも人間関係の相関を簡略化している分、物語が把握しやすくなっていました。

ですが、原作から大幅にカットされているミステリー要素と、終盤からの都合の良すぎる展開は少しいただけませんでした。

 

 

 

以下ネタバレあり

 

 

 

 

【原作との比較】

本作は企画立ち上げの際、プロデューサーが「原作を改変する」という条件を原作者に提示し、それを了承してもらったうえで映像化が進められたそうです。そのため映画版は、原作と全く異なるとまでは言わないものの、劇中の登場人物やストーリー展開に大幅にアレンジが加えられています。

まず、原作からの改変として大きいのは亮介の出生と生い立ちを巡る物語です。

原作には映画版になかった以下のようなエピソードがあります。

  • 亮介を育ててくれた母はつい最近交通事故で亡くなった。
  • 亮介は4歳のころ長期入院をし、久しぶりに家に帰ると母が別人になっているような感覚に襲われた。
  • 亮介が幼い頃、彼の生みの母である美紗子は、夫や親族に自分が殺人鬼だったことを知られてしまい、家族の手で亡き者にされようとしていた。
  • ダム湖で水死させられようとしていた美紗子だったが、彼女の父が助け出し「家族に関わるな」という条件のもと生かされた。
  • 美紗子が居なくなり、彼女の妹・英実子が、亮介の母に成り代わり、素性を隠して今まで育ててきた。
  • 生かされた美紗子は、流れ流れて何とか生き延び、“細谷”という偽名を使い、亮介の経営する店で従業員として働いていた。

こういったミステリー要素が映画版ではほぼばっさりカットされています。

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原作のミステリー展開は叙述トリック的な構成で、映像化にはあまり向いていないため、この改変もまぁ致し方ないように感じます。その代わりに映画版は、現代パートの亮介と過去パートの美紗子の苦悩や葛藤を描くヒューマンドラマの部分を増幅させています。

ラストシーンも映画と小説では少々異なっています。原作では父が息子にすべての真相を打ち明けた後、息子たちへの思いを断ち切って、実は生きていた母・美紗子と共に車で何処か知れぬ遠くへと旅立っていきます。対して映画版は、家族に近づきたくても近づけなかった美紗子が、病床にいる洋介と長い年月を経て再会を果たすラストになっていました。

原作のカラリとした終わり方も好きだったのですが、映画版の美紗子と洋介の思いがようやく実を結ぶラストも好きでした。

 

【原作からの改良点】

前述のとおり、本作はミステリー要素を削いだ分、人間ドラマに重点を置いて物語を構成しています。

映画のラスト、元夫のもとから千絵を連れ帰した亮介が美紗子と対峙する原作にはなかったシーンが加えられています。

塩見を自分の手で殺すことができなかった亮介は、言いようのない喪失感を感じ、美紗子に対して自分が殺すはずだったと訴えます。美紗子はそんな亮介を諭すのですが、亮介は殺人者である母の血と自分の良心の間で葛藤し、美紗子と愛憎入り混じる魂のぶつかり合いを繰り広げます。

原作では少々淡白に終わっていた亮介の自分の血を巡る苦悩を、映画版では色濃く描き出しており良いアプローチだと感じました。

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また、妻が殺人鬼だと知った洋介がダムへ美紗子を沈めに行こうとする場面、原作では美紗子の家族が彼女をを手に掛けようとしていたのですが、映画では洋介自身が美紗子を殺す必要に迫られており、洋介自身が自分の宿命と向き合わされる展開に切り替わっていて良かったです。美紗子の心に取り付く見えない異物のメタファーとして、原作ではヌスビトハギが使われているのですが、映画版ではオナモミが使用されています。小さい葉が特徴的なヌスビトハギに対して、オナモミは見た目の禍々しさがあり、美紗子が周囲の人や物に関して語る「見えないたくさんのトゲで私を刺してくる」という心理描写の表現にはぴったりだと感じました。

 

【本作の不満点】

本作は原作よりも人間関係の相関を簡略化した分、ストーリーの把握はしやすくなっているのですが、登場人物の言動に違和感も生じています。

原作に登場していた亮介の弟・洋平が映画版には出てこないため、亮介が見つけた殺人者の手記のことを打ち明ける相手が店の従業員の男の子になっており、実家にあった後ろ暗そうな内容の本を身内以外にベラベラ喋るかな~?と、なんだか違和感を感じました。

また、原作では美紗子が素性を隠して亮介の経営する店に務めていたのに対し、映画版では美紗子がたまたま偶然亮介の婚約者の千絵と同僚だったという都合のいい設定に切り替わっており、もう少しうまい見せ方はなかったのかなと思いました。すでに過去パートで美紗子と父・洋介が運命的な再会を果たしているので、これ以上偶然を積み重ねるのは製作者側の都合が見える感じがして嫌でした。映画の中で起こる偶然や奇跡は1つまでにしてほしいです。

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亮介の婚約者・千絵に暴力をふるう元夫・塩見の設定が、原作ではただのDVクズ男だったのに対し、映画版ではヤクザの幹部ということになっています。正直、この改変については必要性が全く感じられませんでした。映画的な派手な見せ場にしたかったのなら殺戮の様をきっちり見せてくれれば良かったのですが、ヤクザの組員が全員死んだという結果しか見せてくれず、女性が一人でヤクザを一組潰すというのはあまりにリアリティがなさすぎるように感じました。(毒殺にしては血が飛び散りすぎだし…)自分はこの場面で思わず『イコライザー』を想起してしまい、ちょっと笑ってしまいました。

加えて原作には、亮介が塩見のもとから連れ戻した千絵を抱き、洋介が美紗子を初めて抱いた時と同じ「大丈夫だから」という言葉を口にするシーンがあるのですが、亮介の父との血を超えた繋がりを感じさせるそのシーンも映画版ではカットされており残念でした。

 

【心の拠り所】

 美紗子は幼少期に友達の死を目撃したことがきっかけで、自分の心に安寧をもたらす拠り所《ユリゴコロを知ります。

 自分のユリゴコロを満たすために殺人を行う美紗子ですが、彼女の殺人の動機は悪意や憎悪によるものではなく、極めて純粋で、ある意味無垢な衝動です。

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欲求に駆られ衝動的に殺した少年や、初めて友達となったミツコの殺害は、悪意からくる殺人ではなく純粋にユリゴコロを得るためのものです。そのため、ラーメン屋の店員や昔の職場の上司などの憎悪をもって殺した相手ではユリゴコロを呼び起こすことができないのです。

そんな美紗子ですが、洋介と出会い息子が生まれた事で今までにはなかったユリゴコロの満たし方を知っていきます。原作では洋介と息子と一緒にいる時に、美紗子がこれまで感じたことのなかった"楽しい"という感情を初めて抱く様子が描かれており、「楽しい、はどことなくユリゴコロに似ていました」と記されています。

人に愛されることで初めて美紗子は人間らしい感情を手に入れていくのでした。

 

【正しいか正しくないか】

 本作は殺人鬼である美紗子の行動を悪として裁く方向へは進みません。

美紗子の悪事が断罪されない事に不満に思う方もいるかもしれませんが、この作品の本質は美紗子の行動が正義か悪かを問うものではなく、殺人者が人を愛し愛されることの矛盾とそれに対しての葛藤に主題を置いているのです。f:id:nyaromix:20171001101739j:plain

洋介との出会いによって、人間らしい感情を手に入れた美紗子でしたが、今までに犯してきた人殺しのことを夫に知られてしまい、家族との決別を言い渡されます。しかし、大人になった亮介と運命的な再会を果たした彼女は、千絵の事で苦心する亮介のために再び殺人を犯します。それは美紗子が今まで行ってきた殺人とは違い、亮介を救おうとして行った自己犠牲的な殺人です。人殺しへのためらいのなさと、誰かを救いたいという矛盾が入り混じった、美紗子にしか出来ない愛情ゆえの殺人なのです。それが正しいか正しくないかは本作では問題にしておらず、美紗子の行動に対してあえて正解を出さない事で物語に深遠さを与えていました。

 

【母の血と父の血】

自分の中に殺人者である母の血が流れている事を知った亮介は、自分にも人殺しが出来るはずだと思い立ち塩見の殺害を計画しますが、その計画は遂行できずに終わります。

細谷が母・美紗子であることを知った亮介は塩見を殺せなかった虚無感を母にぶつけます。美紗子は「あなたに人を殺すことはできない」と諭しますが、亮介は受け入れず母と揉みくちゃになりながら自分が人を殺せる事を証明しようとします。しかし、亮介に人を殺すことは出来ませんでした。

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 美紗子は亮介に対して「血は関係ない」と語ります。確かに彼は殺人者である美紗子の実の息子ですが、これまで自分を育ててくれた父の意思も亮介の中にはあるのです。父と直接の血の繋がりはありませんが、亮介の中には確実に父が育んでくれた優しい愛情が脈々と流れていたのです。

亮介の抱える苦悩を受け止める美紗子の愛によって、彼は自分の血をめぐる呪縛から解き放たれるのでした。