映画『君の名前で僕を呼んで』と原作小説『君の名前で僕を呼んで』の比較(ネタバレありの感想)
今回紹介する作品は
映画『君の名前で僕を呼んで』です。
【あらすじ】
1983年、北イタリアのとある田舎町で過ごす17歳の青年・エリオ。
エリオの父は毎年夏なると、若い研究者をインターンとして招き、数週間家に住まわせていた。その年の夏その地に訪れたのは、アメリカから来た24歳の大学院生・オリヴァー。エリオはオリヴァーの印象を“自信家”だと感じ、好意を抱いてはいなかったが、次第に彼の不思議な魅力に惹かれていき…
【原作】
原作はアンドレ・アシマン氏の同名小説『君の名前で僕を呼んで』です。
原作者のアンドレ・アシマン氏は、エジプト生まれのユダヤ人小説家で、現在ニューヨーク市立大学大学院センターで、比較文学を教えている方です。
幼い頃、エジプトとイスラエル間で起きた政治的衝突の影響で、家族とともにエジプトを追われイタリアに移り住んだ経験があり、その時の経験を書いた自伝『Out of Egypt』で高い評価を得ました。本作を含めて、複数の作品を発表していますが、日本で翻訳された作品は今作が初めてです。
本作を観ると分かる通り、アシマン氏は自分のルーツであるユダヤというファクターを作品に取り入れており、作品世界を語るうえでの重要な要素として上手に落とし込んでいます。
本書はエリオの一人称で物語が進み、彼の心情描写が細やかに描かれているので映画の内容を補完したい方にとてもおススメです。
作者は、今回の映画ににゲイのカップル役で登場しているのですが、本人はゲイではないそうです。
【スタッフ・キャスト】
本作のメガホンを取ったのは、『ミラノ、愛に生きる』や『胸騒ぎのシチリア』などを手掛けたルカ・グァダニーノ監督です。
グァダニーノ監督は、本作と『ミラノ、愛に生きる』として『胸騒ぎのシチリア』を私的に“欲望”の三部作と呼んでいるそうです。その言葉通り、さまざま欲望を抱えたキャラクターたちの人間模様と、その欲望が成就する瞬間のカタルシス、そしてその顛末を丁寧に描くことに定評のある監督です。その手腕を買われ、次回作ではダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』のリメイクを手掛けることが決まっています。
本作で脚色を務めたのは『モーリス』や『日の名残り』で監督を務めた、ジェームズ・アイヴォリー氏です。アイヴォリーが自分の監督作以外で脚本を担当するのは初めてだったそうなのですが、その卓越したアダプテーション力で、アカデミー賞の最優秀脚色賞を受賞しています。(ただアイヴォリー氏は、本作で主演二人の下半身の露出がない事に不満も持っているそうです。)
本作で主人公のエリオを演じたのは、新鋭のティモシー・シャラメです。『インター・ステラー』で主人公の息子役を演じるなど、若くして高い演技力を見せてきたシャラメ君ですが、意外にも本作が初めての主演作だったそうです。高学歴でピアノまで見事に演奏できるこの才人は、初主演ながら実に堂に入った演技力で、青年の繊細な恋心を表現していました。
エリオが恋心を寄せる大学院生・オリヴァーを演じたのは『ローン・レンジャー』や『コードネームU.N.C.L.E』などのアーミー・ハマー。爽やかさと色気を兼ね備えた文句なしの男前でありながら、その演技は実に細やかで、一瞬の表情で感情をしっかりと表現していました。
【私見】
94点/100点満点中
今作は原作の空気感をとても大事にしながら、小説の世界を忠実に映像化してています。ただ原作の物語をトレースするだけでなく、映像でしか伝えられない描写も巧みに加えられていて、とてもよくできていました。
原作からの省略も実によくできていて、小説版よりも胸にこみあげる切なさが増しています。一夏の恋を経て青年が大人になっていく物語としてまとめ上げた脚色力は、間違いなくアカデミー賞に値するものだと思います。
劇中で流れるスフィアン・スティーブンスの『Mistery of Love』も、歌詞とメロディーが本作のロマンティックで切ない物語に見事にマッチしていました。
静かながらも確かに変わっていく、エリオとオリヴァーの関係。そして主人公の心の揺れ動き。何気ないシーンの美しさは、実に映画的魅力にあふれており、後世まで語られる映画になるのではないかと思わせるほどでした。
以下ネタバレあり
続きを読む映画『レッド・スパロー』と原作小説「レッド・スパロー」の比較(ネタバレありの感想)
今回紹介する作品は、
映画『レッド・スパロー』です。
【あらすじ】
ボリショイバレエ団のトップダンサー・ドミニカは、公演中の事故で大怪我を負い、ダンサー生命を絶たれてしまう。体の弱い母の介護で苦しい生活を送るドミニカの前に、ロシア情報庁に務める叔父のワーニャが現れ、ある作戦に協力するよう申し出る。その作戦とは、同国の大富豪ウスチノフと2人きりになり、彼の携帯をすり替えるというものだった。ウスチノフを誘惑し、2人きりにしたドミニカだったが、ロシアの特殊工作局の殺し屋が彼女の前でウスチノフを殺害してしまう。国家機密を抱えたドミニカは、自分の身と母を守るために、叔父に協力せざるをおえなくなる。叔父の名によりスパイ養成学校に入れられたドミニカであったが、その学校はハニートラップ要員を養成する〈スパロー・スクール〉と呼ばれる場所であった…
【原作】
原作はジェイソン・マシューズの同名小説『レッド・スパロー』です。
原作者のジェイソン・マシューズ氏は、元々CIAの捜査官だった方で、33年ものキャリアを積んだエリート局員だったそうです。
本作は作者の実際の経験や知見に基づいて物語が構成されているため、作中に登場する国家間の諜報戦は極めてリアルに描かれています。
登場するキャラクターはほぼほぼフィクションの人物ですが、劇中で行われる作戦や、スパイ活動は現実に行われるものを基にしています。実際、ロシアにはハニートラップ要員を育成するスパイの養成項目も本当にあったそうです。
“ブラシ接触”や“カナリア・トラップ”といった聞き馴染みのない専門用語も多々出てくるので、リアル志向のスパイ小説としてとても面白いです。
作中に登場するFBIがやたら無能集団っぽく描かれていたり、プーチン大統領がかなりの悪漢として描かれていたりと、原作者の元CIAとしてのプライドやイデオロギーが見え隠れするのも面白いポイントです。
本作はドミニカの活躍を描いた3部作の第1作目にあたります。この作品の後に2作目の『Palace of Treason』3作目の『The Kremlin's Candidate』と続くので、今回の映画のヒット次第では、続編が制作されるかもしれません。
【スタッフ・キャスト】
本作のメガホンを取ったのは『コンスタンティン』や『アイ・アム・レジェンド』を手掛けたフランシス・ローレンス監督です。
ローレンス監督は『ハンガー・ゲーム2』から最終作の『ハンガー・ゲーム FINA レボリューション』までの3作に渡ってジェニファー・ローレンスとタッグを組んできた経験があるので、互いのことを知り尽くしたコンビです。ジェニファーがこの過激な役を演じられたのも、監督との信頼関係があったと言えるでしょう。ローレンス監督の作品の多くに共通するのが“孤立した中でも戦い続ける主人公”というテーマですが、本作もその監督の得意とする資質が存分に出ています。ローレンス監督の起用に合わせて、本作は撮影や編集、音楽などスタッフの殆どが『ハンガー・ゲーム』のチームでまとめられています。
脚本を担当したのは『レボリューショナリー・ロード』や『ローン・レンジャー』などを手掛けたジャスティン・ヘイスです。ヒューマンドラマから、サスペンス、アクションまで幅広く手掛けてきた敏腕脚本家が、長編小説を巧みな脚色でまとめ上げていました。
前述のとおり主演を務めたのは、ジェニファー・ローレンスです。アメリカ人女性がロシアの女スパイを演じるというかなりトリッキーなキャスティングでしたが、彼女のしっかりした役作りや体づくりによって、ほとんど違和感なく受け入れることができました。(ロシア人が英語で会話する違和感には目を伏せた上で)かなり大胆なシーンも多い役どころでしたが、出し惜しみなく演じていて、ドミニカ役は彼女しかいないと思えるほどでした。
【私見】
78点/100点満点中
長編小説の要素をとても上手く取捨選択しており、物語の再構成が良く出来ていて感心しました。削られた箇所は多々あれど、物語のテーマ自体は原作をきちんと踏襲していました。
原作からの大きく変えたラストの展開にもとても好感が持て、映画作品としての満足度はとても高かったです。
原作エピソードからのの省略は、基本的には上手く出来ているのですが、ある一点、省略による弊害が出ている気がしました。
以下ネタバレあり
続きを読む映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』と原作コミック『ヴァレリアンとローレリーヌ』の比較(ネタバレありの感想)
今回紹介する作品は
映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』です。
【あらすじ】
西暦2740年。人類はさまざまな宇宙人と接触し、異星人たちと共生していくため、宇宙ステーションを拡張させ続けていた。拡大をし続ける宇宙ステーションは、いつしかあらゆる種族の者たちが共存する千の惑星の都市として、銀河にその名を知られていた。
連邦捜査官のヴァレリアンとローレリーヌは、宇宙の平和を維持するための任務に就き、あらゆるミッションをこなしていた。惑星キリアンの闇マーケットから“変換器”と呼ばれる生物を奪取した2人は、司令官に変換器を届けにいくが、宇宙ステーションでは、ある一角が放射線によって汚染されているという別の問題が発生していた。
司令官の護衛として会議に赴いた2人だったが、何者かの襲撃に遭い、司令官を連れ去られてしまう…
【原作】
原作は、ピエール・クリスタン作、ジャン=クロード・メジエール画のフランス産コミック『Valérian et Laureline』(直訳『ヴァレリアンとローレリーヌ』)です。
- 作者: ピエール・クリスタン,ジャン=クロード・メジエール,原正人
- 出版社/メーカー: 小学館集英社プロダクション
- 発売日: 2018/02/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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この度の映画公開に合わせ、映画と同名の『ヴァレリアン 』というタイトルで、翻訳版の単行本がリリースされています。
本作は、1967年に『ピロット』というコミック誌に第1作目が掲載され、昨年2017年でちょうど50周年を迎えたフランスでは誰もが知る作品です。(作品自体は2010年に全20巻で完結)
『ヴァレリアン 』のようにフランス語圏で製作されたコミック誌は、俗に“バンド・デシネ(BD)”と呼ばれ、『タンタンの冒険』や『スマーフ』などの古典作品もこれに当たります。
本コミックの世界観は様々なSF作品に影響を与え、あの『スター・ウォーズ』にも影響を及ぼしたのではないかと言われています。(スター・ウォーズの製作陣から言質が取れているわけではないですが、コミックとの類似点があまりにも多いそう。)
今回の映画版は、1975年に発表された『影の大使』というエピソードをベースにしながら、『千の惑星の帝国』や『The City of Shifting Waters』などといった他エピソードの細かな要素も交え、一本の映画として完成させています。
【スタッフ・キャスト】
本作のメガホンを取ったのは、『レオン』『LUCY ルーシー』などを手掛けたリュック・ベッソン監督です。
実はリュック・ベッソン監督とコミック『ヴァレリアン』には深い縁があります。子供の頃から『ヴァレリアン 』のファンだったというベッソンは、1997年に監督を務めた『フィフスエレメント』で、コミックの作画を担当したジャン=クロード・メジェールにデザインを依頼し、共に仕事をした経験があるのです。(ちなみに『フィフス・エレメント』の劇中には、コミックでヴァレリアンが乗車していた空飛ぶタクシーが登場しています。)その当時、メジェールをデザイナーに起用した理由を「これまでのハリウッド映画は、メジェールのアイデアを盗用してきたが、今回は彼に対してきちんと対価を払いたい」とベッソン監督は述べていました。今作はメジェールに対しての本当の意味での恩返しとも言えます。
主人公ヴァレリアンを案じたのは『クロニクル』や『アメイジング・スパイダーマン』などに出演していたデイン・デハーン。原作の雄々しいイメージのヴァレリアンと比べるとやや優男感が強い感じもしましたが、やはりポスト・ディカプリオと呼ばれる男前だけあって、キザでロマンチストな雰囲気はしっかりと出ていました。
今作で、一番際立っていたのがローレリーヌ役のカーラ・デルヴィーニュです。もともとモデル出身なので女優業は本職ではないのですが、彼女の佇まいはまさにローレリーヌそのもので、キュートでパワフルなヒロインを好演していました。
【私見】
80点/100点満点中
時空や銀河を股にかけて展開される壮大な原作コミックを、宇宙空間を舞台にしたスペースオペラとしてシンプルにまとめ、難民問題などの現代的アプローチも加えており、とても良い改変が施されていました。
バンド・デシネの特徴でもあるセンス・オブ・ワンダーな画も、しっかり映像化されていて何も考えずに世界観に浸っているだけでも楽しい映画になっていました。
特にオープニングシーンは、他者や異文化の排除が加速している現代社会において、人類の理想的な進歩を見せてくれているようで、一気に心をつかまれました。
ストーリー進行にいくつか難点はあれど、見ている間全く飽きずに楽しめる作品なので、明るく陽気な映画を観たい人にお勧めです。
以下ネタバレあり
【原作との比較】
原作コミックと映画版では、基本的な設定に違いがあります。
原作コミックでは、物語の舞台となっているのが28世紀の地球です。1986年起きた核爆発によって人類は衰退の一途をたどっていたのですが、研究に研究を重ね、2300年代、遂に時空移動装置を発明します。その装置を使うことによって、人類はさまざまなな時空や銀河間を行き来できる様になったのですが、それに伴い時空や銀河を股にかけての犯罪が増加したため、そのような犯罪者を取り締まる“時空警察”が設けられました。ヴァレリアンもその捜査官の一人です。彼がXB27,XB982という宇宙船を使って時空を移動し、相棒のローレリーヌと共に幾多の事件を解決していくというのが原作の大きなあらすじです。映画版では、銀河間の移動は描かれているものの、時空間の移動は描かれていませんでした。(原作では、元々ローレリーヌは11世紀の地球で暮らしていたという設定)
地球には“ギャラクシティ”という地球銀河帝国の首都が設置されており、そこが時空警察の活動の要所となっているのですが、今回の映画版では登場していません。
映画版の主要な舞台となっている“アルファ宇宙ステーション”は、コミックでは“セントラルポイント”と呼ばれており、銀河間の交通の要衝という位置づけです。
今回の映画版では、オープニングシーンでアルファ宇宙ステーションの成り立ちをじっくりと描いており、宇宙ステーションがモザイク社会をどのように形成したのかを分かりやすく見せています。
そのあとの、惑星キリアンでの“変換機”奪取シーンで、ヴァレリアンたちの捜査官としての活躍を描いており、世界観を眺めているだけでも楽しい映画オリジナルのシーンとなっていました。
上にも述べた通り今作は、原作コミックの『影の大使』というエピソードをベースに物語を構成しています。
『影の大使』は、セントラルポイントで行われる安全保障会議にヴァレリアンとローレリーヌが向かうところから物語が始まります。その会議場で地球代表の大使(映画版では司令官)が、何者かにさらわれ、それを追ったヴァレリアンも行方をくらましたために、ローレリーヌが2人の捜索に向かうというのが大体のあらすじです。
基本的には映画版でも原作エピソード通りに物語が進行するのですが、地球代表の大使の目論見や、大使を誘拐した者たちの目的などが異なっています。
また、原作においてはローレリーヌがヴァレリアンを救出に向かう形で物語が進むのですが、映画版では逆にヴァレリアンがローレリーヌを助けに向かう展開も用意されており、相互的に助け合うように描かれていました。
【原作からの改良点】
原作では、行方をくらました大使とヴァレリアンを追って、ローレリーヌが2人の捜索を行うというのが話の主軸となっています。よって、ローレリーヌが主人公のエピソードといっても過言ではないのですが、今回の映画版では、ヴァレリアンが連れ去られたローレリーヌを救出に向かう展開が加わっており、彼の男としての成長も描かれています。
原作では、ローレリーヌがグラムポッドと手を組んでバクラン人に化け、ヴァレリアンの行方を聞き出す展開だったところが、映画版ではヴァレリアンが貪欲なブーラン・バーソルからローレリーヌを救い出す展開に切り替わっています。(原作では男娼だったグラムポッドも、バブルという女性ダンサーのグラムポッドに改変されています。)
この展開のおかげで、ヴァレリアンの男らしい側面がしっかりと描かれており、ローレリーヌが救助しに来てくれた際に彼が言った「僕だってそうする」というまぁまぁ最低な言葉も、何とか回収されていて安心しました。
ローレリーヌはとてもたくましく気の強い女性なのですが、原作ではその強気な性格ゆえにコンバーター(変換機)をモノとして扱っている節がありました。コミック中で、彼女はヴァレリアンの行方を追うために、変換機を使って様々な物質を複製させ、異星人たちと取引をしています。あまりに複製能力を酷使するために、中盤から変換機もローレリーヌに反抗するのですが、彼女はコンバーターに平手打ちまで食らわせて言うことを聞かせます。
映画版のローレリーヌは、コミック版と比べるとかなり人道的になっており、取引のために変換機を使う描写もほとんどありません。これによって彼女の博愛主義の精神が引き立っていて良かったです。
【不満点】
映画序盤のシーン。惑星キリアンに変換機の奪取に向かったヴァレリアンとローレリーヌは、ミッション中にヘマをしてしまい、捜査官の仲間にかなり甚大な被害を与えます。はっきりと描写はされていないものの、確実に犠牲になった捜査員がいるはずなのですが、彼らは態度はかなりドライで、仲間の死を悼んだりしていません。そのシーンを見たときはでは「人の死が当たり前の世界なのかな」と思ったのですが、物語中盤でバブルが死ぬ場面になると、ヴァレリアンとローレリーヌは凄く感傷的な表情を見せています。それまでの劇中で彼らの人としての成長を十分に見せたわけでもないのに、この変わり様はかなり戸惑ってしまいました。
本作は、誘拐された司令官を救出に向かうというのが大筋のストーリーラインとなっているのですが、その道中でさまざまな異星人たちとの異文化交流が描かれるため、かなり寄り道の多い作品となっています。その寄り道自体は、原作と同じなので別に文句はないのですが、司令官の救出に向かうヴァレリアンとローレリーヌの物語の合間に、指令室にいる国防長官とネザ軍曹の様子がいちいち描かれているのが、物語全体のテンションを損なっているように感じました。彼らは物語の進行にあまり寄与しておらず、クライマックスでKトロンの襲撃を受けて、ようやく物語に絡む程度です。ただでさえ本筋から脇道に逸れがちな物語なのに、彼らの映像が挟まれることによって、より物語の進行スピードが遅くなっているように感じました。
【異星人との共存共栄】
今回の映画では、アルファ宇宙ステーションがどのようにして拡張されていったのかがオープニングシーンで描かれています。
人類が異星人たちと友好描く様子が、故デビッド・ボウイの「Space Oddity」にのせて映し出されるのですが、このオープニングシーンで心を鷲掴みにされました。
未来の人類の姿を退廃的に描いたディストピア作品が多い昨今、異なる文化の人々と手を結び発展を遂げていく姿は、人類の理想的な進化を示しているようで、何とも希望にあふれた素晴らしいシークエンスでした。
【失われた故郷】
今作で最も重要なカギを握るのが、パール人という種族です。
原作ではパール人という名称ではなく、名前を持たない一惑星の種族です。彼らはセントラルポイントの礎を築いた、高度な知性とパワーを持つ種族だったのですが、今は第一線から身を引き、セントラルポイントの安寧を遠くから見守る存在となっています。原作コミック内での彼らの目的は、安全保障会議において連邦制を導入し覇権を握ろうとする地球の大使を止めることで、そのために大使を誘拐したことがラストで明らかになります。
対して今回の映画版では、パール人を戦争に巻き込ままれ故郷を失った難民として描いており、原作に対しての現代的なアプローチがなされています。
彼らの目的は、変換機と 真珠(パール)を手に入れ、故郷をよみがえらせることでした。パール人が失われたふるさとを復興させる様は、故郷を失った難民へのエールのようにも感じられました。
パール人は、故郷を滅ぼした原因であるフィリット司令官に赦しを与えます。
その姿は、コミックの原作者であるクリスタンとメジエールの精神性をしっかりを引き継いでいるように感じました。
クリスタンとメジエールは、幼少期ににフランスで親交を深めた幼馴染ですが、彼らが出会った1940年代前半のフランスは、ナチス・ドイツによって占領されおり強い弾圧を受けていました。メジエールの友達だった女の子は、ユダヤ人だったためにドイツ軍に連行され、二度と戻ってくることはなかったそうです。
そんな悲しい歴史を見てきた2人ですが、その経験を憎しみに変えるのではなくコミックとして物語に昇華させました。
パール人たちが戦争を引き起こした人物に赦しを与えるのは、そんな原作者たちのヒューマニズムが映画にもしっかりと継承されているようでとても感動しました。
【愛と責任】
ヴァレリアンは劇中で幾度となくローレリーヌに求婚を申し出るのですが、彼女はヴァレリアンに対して不信感も抱いています。
ヴァレリアンは、幾多のミッションをこなしてきた敏腕のエージェントではありますが、すべて上からの指示に従っているだけで、自らの意志で行動し、その責任を負う覚悟をもっていない事をローレリーヌは悟っていたのです。
パール人と出会ったヴァレリアンは、彼らが故郷をよみがえらせるために真珠(パール)と変換機を必要としていることを知りますが、上からの命令に背くことをためらい、パール人に変換機を返すことを渋ります。しかし、ローレリーヌに説得された彼は、決意を固め、変換機をパール人に返します。
その行動は彼が自らの意志で命令に反し、すべての責任を背負った成長の証です。
責任を負うことの意味を知ったヴァレリアンは、ローレリーヌに心からの求婚をします。ようやく結ばれた二人は、約束していたハネムーン先のビーチへと向かうのでした。
映画『曇天に笑う』と原作漫画『曇天に笑う』の比較(ネタバレありの感想)
今回紹介する作品は
映画『曇天に笑う』です。
【あらすじ】
明治維新直後の滋賀県大津。この地には300年に一度、曇天が続くと伝説の化け物・大蛇(オロチ)が現れ、人々に災いをもたらすという伝説があった。
琵琶湖の湖畔に建つ曇神社には、大津の治安を守る曇三兄弟が暮らしており、日々政府に不満を持つ罪人たちを捕らえては、孤島の監獄・獄門所へと送っていた。
ある日、大津の町を闇の忍び・風魔一族が襲った。風魔一族の目的は、大蛇復活のための鍵となる人間“器”を探す事だった…
【原作】
本作は女性向けコミック誌『月刊コミックアルヴァス』に連載されていた作品で、2011年から2013年までという短い連載期間(元々5巻まで刊行する予定だったところを人気が出た為に6巻まで伸ばしたとのこと)ながら、外伝1巻と前日譚となる『煉獄に笑う』が現在までに7巻発刊されている人気漫画です。
2014年にはアニメ化と舞台化がされ、近日風魔一族を描いた劇場アニメが公開されます。
本広監督曰く、唐々煙先生は物語の意味合いや整合性よりも、キャラクターのかっこよさを重視する方らしく、漫画でもケレン味たっぷりの画が随所に見られます。
【スタッフ・キャスト】
本作のメガホンを取ったのは、『踊る大捜査線』や『亜人』の本広克行監督です。
テレビドラマや舞台作品の映像化を数多く手掛け、映画業界メインストリームにいるイメージが強い本広監督ですが、実は生粋のアニメオタクだそうで、押井守監督や庵野秀明監督などの影響を多大に受けているそうです。特に2013年にProductionI.Gの企画部長を務めるようになってからは、そのオタク的な側面が前面化し、漫画作品の実写化やアニメ作品の総監督など、漫画アニメ作品の映像化に積極的に取り組んでいます。本作もそのような系譜にある一作といっていいでしょう。
脚本を務めたのは、『エイトレンジャー』や『仮面ライダーエグゼイド』の高橋悠也さん。高橋さんは、本作のアニメ版の脚本を務めていた方でもあるので、『曇天に笑う』とは繋がりの深い方です。
主人公・天火を演じたのは福士蒼汰さん。『無限の住人』でも、エキセントリックな時代劇のキャラクターを演じていた福士さんですが、やはり彼のアクションは見事なもので、今回は扇子を武器にしたアクションを軽やかにこなしていいました。
【私見】
43点/100点満点中
大筋自体は原作を準えている本作ですが、脚色において100分弱の物語にまとめることばかりを意識した結果、成長するべきキャラクターの物語が大きく削がれ、実に残念な仕上がりになっていました。
役者たちをカッコよく撮ることばかり注力し、物語の整合性もほとんど取れていませんでした。
かなり杜撰なストーリー展開ではありますが、大蛇と人間の関係性について、原作ではきちんと描けていなかった部分でが改良されていて良かったです。
以下ネタバレあり
続きを読む映画『去年の冬、きみと別れ』と原作小説『去年の冬、きみと別れ』の比較(ネタバレありの感想)
今回紹介する作品は、
映画『去年の冬、きみと別れ』です。
【あらすじ】
フリーの記者の耶雲恭介は、天才カメラマンと謳われる木原坂雄大に取材を申し込む。木原坂はかつて、撮影所で起きた火事により女性モデルを焼死させ、一度逮捕されたことのある男だった。その火災は事故扱いとなり木原坂は釈放されたが、耶雲は事件の真相を究明し、本を出版するため木原坂の周辺人物に対しても取材を進めていく。徐々に取材をエスカレートさせていく耶雲だったが、彼の婚約者である百合子に魔の手が忍び寄ろうとしていた。
【原作】
原作は、中村文則さんの同名小説『去年の冬、きみと別れ』です。
本書は2014年に本屋大賞にノミネートされ、ベストセラーとなった作品です。
小説ならではのトリッキーな仕掛けが施された大胆なストーリーテリングのため、“映像化不能”と言われた作品でもあります。
映画版の脚本の推敲には中村先生も加わったそうで、今作は作者の意見もしっかりと取り入れた映画となっています。
『悪と仮面のルール』のレビューの際にも述べた通り、今年は中村文則作品の映画化ラッシュで、この後に『銃』の映画化も控えています。
【スタッフ・キャスト】
本作のメガホンをとったのは『脳男』や『グラスホッパー』などを手掛けた、瀧本智行監督です。
原作ありの映画を手掛けることが多い瀧本監督ですが、ほとんどの作品が原作からストーリーを大きく改変したものとなっており、小説を映画化するためには大胆な脚色を厭わない監督です。それだけ、小説というコンテンツと映画というコンテンツの相違性を理解している監督ともいえるでしょう。
また瀧本監督は画作りにリアリティを求める監督で、本作の白眉ともいえる火災シーンは、CGに頼らず本物の炎を起こして撮影に臨んだそうです。
本作の脚本を務めたのは『DEATH NOTE デスノート』『DEATH NOTE デスノート the Last name』『無限の住人』などの作品を手掛けた大石哲也。大石さんは本作のシナリオを作るために10稿以上もの推敲を重ね、監督や原作者らと共に脚本を練りに練ったそうです。そのような努力によって、映像化不可能と言われた作品が、一つの映画としてしっかりと形を成していました。
主人公の耶雲を演じたのは、EXILE、三代目J Soul Brothersの岩田剛典。映画作品の出演経験はそこまで多くない岩田さんなので、失礼ながら見る前は「このキャスティングで大丈夫なの?」と思っていたのですが、実際に彼の演技を見ると、難しい役どころを実に見事に演じきっており感服しました。彼の演技次第で映画全体の完成度が決定づけられるぐらいの難役なのですが、このキャスティングで間違いなかったと思います。
【私見】
80点/100点満点中
極めて映像化の難しい原作を、様々な工夫を凝らして映像化し、サスペンス映画としてきちんと成立させていて感服しました。
主演の岩田さんの演技も素晴らしく、彼の演技が映画全体を引き締めていました。
少し脚本に難点のある部分もあるのですが、原作のテーマ性を大事にし、難しい題材をきちんと映画化したスタッフとキャストを褒め称えたいです。
以下ネタバレあり
続きを読む映画『15時17分、パリ行き』と原作小説『15時17分、パリ行き』の比較(ネタバレありの感想)
今回紹介する作品は、
映画『15時17分、パリ行き』です。
【あらすじ】
2015年8月21日、15時17分にアムステルダムを出発した高速列車はパリに向けて走っていた。554人の乗客を乗せたその車内には、ヨーロッパ旅行をしていたごく普通の青年、スペンサー、アレク、アンソニーの幼馴染3人も乗車していた。列車がアムステルダムからパリへと入ったとき、列車のトイレから重武装をした男があらわれ乗客に銃を向けた。テロリストがあらわれたことに気づいたスペンサーは、咄嗟に彼の凶行を止めるために走り出していき…
【原作】
原作は、同名のノンフィクション小説『15時17分、パリ行き』です。
- 作者: アンソニーサドラー,アレクスカラトス,スペンサーストーン,ジェフリー E スターン,田口俊樹,不二淑子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2018/02/09
- メディア: 文庫
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本著は事件の当事者であるスペンサー・ストーン、アレク・スカラトス、アンソニー・サドラーの3人と、フリージャーナリストのジェフリー・E・スタンが共著で執筆した実録小説で、主人公3人の生い立ちと、事件発生時の様子が交互に描かれています。
事件が発生したのが2015年8月で、この本が発売されたのが2016年、そして映画の撮影が行われたのが2017年なので、驚異的な速さで映画化が進行した作品と言えます。
こんなにも早く映画化が実現できたのはイーストウッド監督お得意の早撮りのおかげもありますが、やはり、この作品に登場する3人の物語と当日の事件が現代の時代性をとても象徴している、今撮られるべき映画だからでしょう。
【スタッフ・キャスト】
本作のメガホンをとったのは、言わずと知れた名匠クリント・イーストウッド監督です。
- 出版社/メーカー: ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
- 発売日: 2017/07/26
- メディア: Blu-ray
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近年のイーストウッド監督作といえば『J・エドガー』『ジャージー・ボーイズ』『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』と、実録物の作品を多く手掛けており、特に近作に共通しているのが“英雄と呼ばれる人々とその実像”というテーマです。本作もそのような作品の一本と言えるでしょう。
本作は前編94分とイーストウッド監督作品の中で最もタイトな作品となっており、事件発生時の数分間のシークエンスは、87歳の監督がとったとは思えないほどスピーディかつスリリングに仕上がっています。事件発生以前に見せられる観光シーンがかなりゆったりとしているが故に、恐ろしいほどの緩急のつけ方に驚かされました。
監督の過去作以上に、本作ではリアリティを徹底追及しており、事件を食い止めたスペンサー、アレク、アンソニーの3人をそれぞれ本人自身に演じさせています。部分的に演技の拙さを感じるところはあれど、襲撃シーンの緊迫感は本人にしか表現できないリアルさで、実際の現場を目撃しているかのようでした。
彼ら3人以外の乗客も、極力事件の当事者を起用しており、最初に犯人と対峙したマーク・ムーガリアンというフランス系アメリカ人の男性や、3人に協力したクリストファー・ノーマンというイギリス人男性など、多くの当事者が撮影に協力しています。
脚本を務めたのは『ハドソン川の奇跡』や『夜に生きる』で制作アシスタントを務めていたドロシー・プリスカル。劇場用映画の脚本を手掛けてのは本作が初めてだったそうで、いつものイーストウッド作品と違う風合いを感じるのは、プリスカルさんのおかげかもしれません。
【私見】
87点/100点満点中
とても偉大な行いをした3人の青年の物語ですが、この映画ではそんな彼らが成し遂げた功績を決して劇的に描かず、極めて淡々と映し出します。
彼らが事件に遭遇するまでに積み重ねてきたいくつもの偶然も、「これが後の彼らの運命に繋がりますよー」というような、これ見よがしな映し方をしないので、伏線を伏線と気付かないほど自然な描かれ方になっていました。
事実を淡々と描いたこの映画は、英雄と呼ばれる3人を決して特別な人としては捉えておらず、普遍的な人間の物語として「あなたにもきっとこんな行いができるはずだ」と観客に訴えかけてくるのです。
名匠の卓越した技術こそがなせる、恐ろしく写実的な人間賛歌でした。
以下ネタバレあり
続きを読む映画『ぼくの名前はズッキーニ』と原作小説『奇跡の子』及び『ぼくの名前はズッキーニ』(ネタバレありの感想)
今回紹介する作品は
映画『ぼくの名前はズッキーニ』です。
【あらすじ】
いつも屋根裏部屋で一人ぼっちで遊んでいる少年・イカールは、父親が家を出ていったことで粗暴になってしまった母に脅えながらも、母が名付けてくれた“ズッキーニ”という愛称を愛し、母のことを気遣いながら暮らしていた。しかしある日、ズッキーニは不慮の事故によって母を死なせてしまう。事故を担当した親切な警察官・レイモンによって孤児院に贈られたズッキーニは、シモン、アメッド、ジュジュブ、アリス、ベアトリスという様々な境遇を抱えた孤児たちと親しくなる。ズッキーニが孤児院での生活に馴染んできた時、カミーユという少女が入園してきた。両親を亡くしたカミーユは意地悪な叔母に引き取られることを拒絶しており、ズッキーニはそんな彼女を助けてあげようと奔走する…
【原作】
原作はジル・パリスの小説『Autobiographie d'une Courgette』(直訳すると『コルジェットの自叙伝』)です。
日本で初めて翻訳版が出版された時のタイトルは『奇跡の子』だったのですが、この度の映画公開に合わせて『ぼくの名前はズッキーニ』のタイトルで新装版が出版されています。
内容はどちらも一緒ですが、個人的には新訳版のほうが読みやすくておススメです。
ジル・パリスは、子供と家族をテーマにした作品を多数出版しており、彼にとって2作目の長編小説で代表作とも言える本作は、25万部を超えるベストセラーとなっています。
パリス氏は、もともとフランスの新聞社に勤めていた方だそうで、本作の執筆にあたって取材のためにプレソワール・デュ・ロワという孤児院に赴き、1年間も施設で働いたそうです。
一度フランスのテレビ局により『C'est mieux la vie quand on est grand』というタイトルで実写でテレビ映画化されているのですが、劇場用映画として映像化されるのは今回が初めてとなります。
【スタッフ・キャスト】
メガホンを取ったのは、今作が長編映画初監督となるクロード・バラス監督です。
↑クロード・バラス監督が世界的な評価を得るきっかけとなった短編アニメ『LE GÉNIE DE LA BOÎTE DE RAVIOLIS(魔法のラビオリ缶)』
本作の映画化を提案したのはクロード・バラス監督自身だそうで、『大人は判ってくれない』や『家なき子』などを観たときに感じた心のときめきをこの作品にも感じたことから、映画化に踏み切ったそうです。 監督も原作者のジル・パリスと同じく、孤児院へと取材に行き、子供たちと3週間共同生活をしたそうで、そこで実感した子供たちの元気さや寂しさが、しっかりと映画に活かされています。
本作の脚本を手掛けたのは、『水の中のつぼみ』や『トムボーイ』などを手掛けた、映画監督のセリーヌ・シアマです。人間ドラマを得意とするシアマの手によって描かれたストーリーは、原作の要所をきちんと抑えつつ、彼女の独自性もはっきりと出た物語になっています。
アニメーション監督を務めたのは『フランケン・ウィーニー』や『ファンタスティックMr.FOX』などにアニメーターとして参加したキム・ククレール。彼の作り出すキャラクターたちの表情や仕草はとても愛らしく、映画開始数秒で心を奪われました。
孤児院の児童たちの声を当てたのはアマチュアの子役たちだったそうですが、初めの拙く心許ない喋りから、だんだん明るくハキハキしていくのが、映画のストーリー性とマッチしていて良かったです。
【私的評価】
96点/100点満点中
原作の胸を締め付けてくるような愛おしくも切ない感覚が、ストップモーションアニメという技法を使うことによって、可愛らしく、そして生々しく描かれており、原作小説の映像化にこれほど適した描き方はないのではないかと思わせてくれました。
小説版から大きく物語を削っているものの、原作の物語の核となる部分はしっかりと残しており、小説の悲しくも幸せな物語がブレずにしっかりと残っていました。
そして何よりも、原作よりカッコよくそして切なく描かれた少年・シモンの姿に心を鷲掴みにされました。
以下ネタバレあり
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