映画『暗黒女子』と原作小説『暗黒女子』(ネタバレあり)
今回紹介する作品は
映画『暗黒女子』です。
【あらすじ】
お嬢様が集う超名門女子高、聖母マリア女子高等学院。その学院内で全校生徒の憧れの的であり、もっとも美しくカリスマ性を誇っていた白石いつみが謎の死を遂げた。自殺か他殺かさえも謎に包まれている彼女の死の真相を明らかにすべく、いつみが会長を務めていた文学サークルのメンバーが集められ、各自が創作した「白石いつみの死」をテーマにした小説の朗読会が開催される。朗読会には各自が持ち寄った食材を明かりを消した部室内で食す闇鍋も同時に行われ、聖母マリア女子高等学院文学サークルの「定例闇鍋朗読会」が始まった…
【原作】
原作は秋吉理香子さんの同名小説「暗黒女子」です
- 作者: 秋吉理香子
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「暗黒女子」は2012年から雑誌「小説推理」に連載された作品で、原作者秋吉理香子さんにとって初のミステリー小説になります。
本作はいわゆる「イヤミス」とよばれる、嫌な余韻を残すミステリー小説で、ブラックな風合いが特徴です。
名門女子高内で起きた事件について文学サークルのメンバーが各々で小説を作成し順に発表していくという内容で、それぞれのメンバーが犯人についての推理を巡らし、それぞれのメンバーが容疑者として疑われるというミステリー小説です。
関係者たちの証言で物語を紡いでいくという構成は先日レビューした「愚行録」にも少し似ているかもしれません。
【スタッフ・キャスト】
本作を手掛けたのは「百瀬、こっちを向いて」や「MARS〜ただ君を愛してる〜」などの耶雲哉治(やくもさいじ)監督です。
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耶雲監督の前々作「百瀬、こっちを向いて」では、ホオズキとその花言葉が作品中に大事な意味を持っていましたが、本作ではスズランとその花言葉が作中で意味を持ってきます。
脚本を務めたのは「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」や「心が叫びたがってるんだ」などで知られる岡田麿里さん。
岡田さんにとっては本作が初めての実写映画の脚本となります。
文学サークルのメンバーを演じた6人の若手女優さんはいずれも良くキャラクターにハマっていたと思います。
中でも、先日世間を騒がせた清水富美加さんの演技はとても落ち着いていて良かったです。
ただ毒っ気が強い作品なので、見ている時に「この展開が清水さんの信条に合わなかったのかな」などと余計なことを勘ぐってしまい、少しノイズにもなってしまいました。(あまり良くない見方ですが)
【私的評価】
80点/100点満点中
若干現実から乖離した部分のある原作を、よく映像に落とし込んでいたと思います。
かなり原作に忠実に映画化されており、誠実なアプローチに好感がもてました。
ただ、個人的に原作でも感じたラストの違和感が映画版でも解消されておらず少々残念な部分もありました。
以下ネタバレあり
【原作との比較】
映画版は、原作中のテーマや設定、事件の真相などを割と忠実に映像化しています。
ただ一つ大きな改変点として、文学サークルのメンバーが原作から一人カットされています。
原作に出ていた古賀園子というサークルの部員の存在が映画版ではカットされており、彼女の疑惑の種であったゲランのミュゲ(スズランの香りの香水)やいつみの父との親密な関係などは、女子高生作家の高岡志夜の疑惑の要素として上乗せされています。
彼女の存在を無くしたことによる各々の細かい設定の変更はなされていますが、その変更が映画版のストーリー進行上に大きな影響は与えているわけではありません。
ラストでいつみと百合子の真意が明らかになると、文学サークルのメンバーは彼女たちにとって「その他大勢」程度の扱いだったことがわかるので、サークルのメンバーが一人居ようが居なかろうが作品の本筋にたいして影響はありません。
大きな改変点はそのくらいで、あとは原作にかなり忠実に映画化されています。
【原作からの改良点】
原作になかった映画オリジナルの演出として、文学サークルのサロン内にあるいつみ専用の椅子という要素が加えられていました。
小百合はいつみを主人公に仕立てるために、いつみを裏切ったサークルメンバーに対しての復讐を画策しますが、計画の成功を確信し自分の幸せな未来予想図を嬉々として語るいつみに対し「私の方が主人公にふさわしい」という感情が芽生え、ハーブティーに毒性の強いスズランを入れ殺害します。
そして息絶えたいつみの横で小百合は、いつみがいつも座っていたサロン内の椅子に腰掛けます。いつみの椅子、いわば玉座に座ることによって小百合が主役の座を奪いとったことを分かりやすく示していました。
【本作の不満点】
これは原作でもイマイチすっきりしなかった点なのですが、ラストで百合子がいつみを殺す動機が弱いような気がし、その印象は映画版でもあまり変わりませんでした。
前述したとおり小百合は「私の方が主人公にふさわしい」という動機からいつみを殺害するのですが、これからいつみは学園生活から退場し、学園の実質的なトップは小百合になるわけなので、いつみを殺害するメリットはなかったのではないかと感じました。(小百合の計画によっていつみを学校から追い出したと考えることも出来る訳ですし…)映画版オリジナルで何か小百合がいつみを殺害する動機を上乗せして欲しかったです。
いつみの行動を見て、他人に秘密を握られることの危うさを知っていた小百合が、自らバレてはいけない秘密を作りにいっているのはどうにも納得がいかなかったです。文学サークルのメンバーに闇鍋でいつみの亡骸を食べさせて秘密を共有したとはいえ、サークルメンバー以外に秘密がバレてしまえば小百合も支配される側になってしまうので釈然としませんでした。
【マウンティング地獄】
女性のマウンティングといえば、遠回しに相手より自分の方が上の立場にいることを示し優位性を争ういわば女子同士の冷戦ですが、本作では「私が主人公で他は脇役」という清々しいまでの剥き出しのマウンティングが披露されます。
学生時代というのは誰でも根拠のない全能感を持っているもので、その年頃に揺るぎのない主従関係を結ばされるのは耐え難いものです。
いつみに屋上に呼び出された高岡志夜が「ババアになってからの一年なら、いくらでも差し出しますよ」と訴える映画版オリジナルのセリフに高校時代の一年を奪われるということの重さが詰まっていました。
【光と影】
「暗黒女子」というタイトルには、彼女たちが行う闇鍋の暗黒と、登場人物たちの心の闇の二つの意味が込められています。
学院内の憧れの的であったいつみの本性も実は醜悪なもので、心の闇の深さがラストで明らかになりますが、同時に「太陽のような人」と例えられるとおりいつみは誰にも負けない麗しさも備えています。
その麗しい光は、周囲の人間を傅かせ隷属させるときの生き生きとした光で、脇役に裏切られた時には復讐に燃える光でもあります。
自分を裏切った文学サークルのメンバーに復讐を遂行するために、屋上から飛び降りるいつみは甘美で淡い光を携えています。
耶雲監督がインタビューで「影の部分をちゃんと描くことで光の部分が際立つ」と述べているとおり、彼女たちの闇が描かれるとともに、今が自分の一番美しい時期だと自覚しているうら若き女子高生たちの刹那的な輝きもしっかりととらえていました。