雁丸(がんまる)の原作代読映画レビュー

原作読んで映画レビューするよ!

映画『エル ELLE』と原作小説『Oh...』(ネタバレあり)

 

今回紹介する作品は

映画エル ELLEです。

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【あらすじ】

ビデオゲーム会社の社長を務める敏腕経営者・ミシェルは、パリの郊外に一人で暮らしていた。ある日の午後、突然家に押し入ってきた覆面の暴漢に、ミシェルは激しい暴行を加えられレイプされてしまう。しかし、犯人が去って行くとミシェルは荒らされた部屋を整理し、何事もなかったかのように息子のヴァンサンに振る舞った。自分の身近な人が犯人なのではないかと考えたミシェルは、会社の社員などに探りを入れるが、犯人は見つからず、それどころか彼女の元にはレイプ犯からのメッセージが送りつけられてくるのだった…

【原作】

原作はフランスの作家フィリップ・ディジャンの小説『Oh…』です。

エル ELLE (ハヤカワ文庫NV)エル ELLE (ハヤカワ文庫NV)

 

本作はフランスの5大文学賞の一つであるアンテラリエ賞を受賞した作品で、過激な内容ながら本国で14.5万部も売り上げたベストセラー小説です。

著者のフィリップ・ディジャンは発表した作品が数多く映像化されている作家で、『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』をはじめ『許されぬ人たち』『愛の犯罪者』(どちらも日本劇場未公開)などの映画に原作提供をしています。

作者のディジャンは本作の執筆中、イザベル・ユベールのことを思い浮かべることが度々あったそうで、ミシェル役が彼女に決まったときは願ったり叶ったりだったそうです。

 

 【スタッフ・キャスト】

本作のメガホンをとったのは『ロボコップ』や『トータルリコール』のポール・ヴァーホーベン監督です。

 ヴァーホーベン監督は『氷の微笑』や『ショーガール』などエロティックで変態性の高い画をとることに長けているので、この小説を映画化するにあたっての起用は極めて監督の資質にあっているといえるでしょう。

本作の原作中には、テレビの制作会社で働く主人公のミシェルが、出来の悪い脚本を次々とボツにいていく描写があるのですが、その様が映画『ポール・ヴァーホーベン/トリック』の中で監督が一般公募の脚本を斬り捨てていく姿ととても良く似ていて、監督は主人公のこの部分に共鳴したのではないかと勘ぐってしまいました。

撮影監督を務めたのは『君と歩く世界』や『ジャッキー/ファーストレディ最後の使命』などでもその手腕を発揮したステファーヌ・フォンテーヌ。本作では手持ちカメラを効果的に使っており、登場人物たちの秘密を覗き見るようなスリリングなカメラワークが多く見られました。

主人公ミシェルを演じたのはフランスの至宝イザベル・ユベール。御年64歳とは思えぬ妖艶な魅力を振りまいており、体を張った演技を含め、彼女以外では体現できないようなキャラクターに仕上げていました。元はハリウッドで製作される予定だった映画なのですが、イザベル・ユベールが主演に決まったことにより、フランスで撮影されることになったほど、彼女の存在はこの映画の基軸になっています。

 

【私的評価】

91点/100点満点中

主人公にどれだけ感情移入できるかが作品への評価に直結しがちな昨今、ヴァーホーベン監督はそんな観客に対して見事なまでのカウンターをかましてくれました。とにかく観客に意表を突く展開が連発され、何度も観客側の想像を裏切ってくれるので、終始興味が尽きることなく鑑賞できました。

かなり好き嫌いの別れそうな映画ですが、監督は意図して登場人物への共感性を排除しているので、理解しえない主人公の行動原理をどうにか読み解こうとすることが楽しいタイプの作品です。

 

 

 

 

 

 

 

以下ネタバレあり

 

 

 

 

【原作との比較】

 本作は原作の大筋を大方準えた映画化になっており、冒頭やクライマックスはほぼ原作通りに展開されます。しかし、クライマックスまでに至る過程が原作と少々異なっており、その細かな違いがミシェルという女性像に小説版と映画版で決定的な違いを与えています。

 原作との違いで特筆すべきなのがミシェルの父親との距離感です。原作でのミシェルは、母親からの「父に面会してほしい」という最期の言葉をついぞ受け入れることはなく、父の死の知らせを受けても終始冷淡な態度をとっていました。一方映画版では、母からの最期の言葉を嫌々ながらも受け入れ、刑務所まで面会に向かいます。そして、面談直前に父が亡くなった事を知りミシェルは呆然とします。この行動の違いがラストのミシェルの振る舞いに微妙な変化を与えており、原作との差別化がなされてます。

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 父の死後、ミシェルは吹っ切れたように自身を悩ませるいざこざを整理していきます。

親友・アンナの夫との不貞関係を築いていたミシェルは、アンナに対して夫と不倫関係にあったことを告白するのですが、原作ではやむを得ない理由でアンナに白状(しかもレイプ事件解決後)したのに対し、映画版ではミシェルが自主的にアンナに不倫の事実を打ち明けます。

また、原作では最後までプレイの一環として続けていたパトリックとの不徳な関係に対しても、映画版ではミシェルが自ら「終わりにしましょう」と告げ、終止符を打とうとしており、彼女が自分の内面と向き合う姿が描かれていました。

 

【原作からの改良点】

原作はミシェルの一人称で物語が語られるため、彼女の心理状態が何とか把握できていたのですが、映画版ではナレーションや必要以上の説明セリフを使わないため、彼女の気持ちを簡単には読み取れないようなっていました。それにより彼女の心理を探求する余地がある、正しく映画的な作りになっており、物語に深みが増していました。

また、 映画版はついつい笑ってしまうシュールな展開が多々用意されており、原作よりもユーモア性を増大させていました。笑えるといっても、わざとらしいコメディ演出ではなく、登場人物の常軌を逸した行動や、主人公と周囲の考え方のズレが面白さを生み出す、物語に寄与した笑になっていてとても好感が持てました。

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映画版では、レイプ犯・パトリックを通してローマ・カトリック教会へのアンチテーゼを込めています。パトリックはもちろん児童へ性的虐待をあたえた聖職者のメタファーですが、パトリックの妻・レベッカは教会の上層部を表しています。

映画のラスト、パトリックを亡くしたレベッカが引っ越し作業の途中でミシェルと対峙するという原作にはなかったシーンが加えられています。その会話の中で、実はレベッカはパトリックの性癖とミシェルとの関係を知っていたことが匂わされます。それはまさしく聖職者の児童虐待を知りながら口をつぐんでいた教会の人々のメタファーとなっています。

 

【些細な不満点】

 原作ではテレビ番組の制作会社だったミシェルの職場が、映画版ではテレビゲームの制作会社に切り替わっており、男だらけの職場で働くミシェルの姿と、勤務している男性社員のエピソードが映画オリジナルで付け加えられています。

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男性社員たちはレイプ事件の犯人かもしれないというミスリードのために配置されているのですが、序盤に好紳士として描かれるパトリックの胡散臭さの方が断然上回っており、ミシェルがパトリックに思いを寄せるほど彼の怪しさが増す(刑事もののサスペンスドラマで刑事が好意を抱く女性が大抵真犯人のパターンのアレ)ので、社員たちの容疑者としてのミスリードは弱いように感じました。サスペンス的要素としてはあまり機能していない男性社員たちでしたが、ミシェルという人間にどれだけの悪意が向けられているかを表すにはきちんと機能していたと思います。あとミシェルが男性社員のチ○コを見てレイプ犯かどうかを確かめるシーンは面白かったです。

 

【感情移入不可】

 原作でも登場人物への共感は難しかったのですが、ヴァーホーベン監督は本作のキャラクターをより感情移入出来なくしています。ディナーの席で身内に対してレイプされたことをサラッと報告したり、隣の家を覗いてマスターベーションをしたりする原作通りの描写はもちろん。死んだ小鳥を埋めるのではなくごみ箱に捨てたり、母の遺灰を墓に向かう道中で撒いたりと映画版ではよりミシェルのクレイジーさが増しています

ミシェル以外のキャラクターについても軒並み常軌を逸した奴らばかりで、いい意味で「思ってたのと違う!」と思わせる展開を繰り広げてくれます。

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 ヴァーホーベン監督はインタビューで共感や感情移入は観客の思考停止に結び付くと語っており、登場人物の行動原理に説明的な描写を入れず、キャラクターのバックボーンについての情報はごくわずかに観客に与える程度にとどめています。よって観客は主人公やその周囲の人たちのエキセントリックな行動について思考を巡らし、それぞれの私感を持てるのです。

 

 【二面性を持つ人間】

 本作は、登場人物のほとんどが表の顔と裏の顔の二面性を持っており、そのキャラクターたちの行動が物語を二転三転させていきます。

レイプ犯のパトリックは普段はとても紳士的な隣人なのですが、その本性はレイプでないと興奮を得られない性的に倒錯した男です。その二面性がミシェルを魅惑する要因でもあります。

ミシェルの父は23人(原作では70人)もの人々を惨殺した狂人なのですが、ミシェルの母イレーヌはミシェルに対し、今の父はかつてのような人間ではないと訴え、老い先短い父に面会するように今際の際まで懇願します。母だけが知る人間らしさを持った男と、大量殺戮に手を染めた残忍な男の2つの顔がミシェルに揺さぶりを与えます。

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 主人公・ミシェルも2つの顔を持ち合わせる女性です。レイプ事件の後、彼女は犯人への復讐を空想し犯人に立ち向かおうとするのですが、レイプ犯がパトリックだと分かった後も警察に通報することはなく、果てはパトリックの姦悪な誘いにのり、地下室で陵辱的なプレイに身を染めてしまいます。

原作にはミシェルの気持ちが「自分自身の中にもう一人のミシェルがいることに気づいた」と綴られており、父が有してしたような二面性がミシェルにもあったことが記されています。

ミシェルの中の好奇心が理性に勝り、彼女はインモラルなプレイに興じます。ミシェルはパトリックにバイオレントでハードなプレイを迫られますが、彼女が抵抗をやめればパトリックを簡単に萎えさせることができるので、襲われているように見えて実は主導権を握っているのはミシェルです。

レイプ犯に復讐したいという感情と不徳な刺激を欲する感情が、対立しながらもミシェルの中に同居しており、彼女の内面を複雑化し物語を面白くしています。

 

【強くてもろい】 

物語冒頭、覆面の男に襲われ強姦されたミシェルは、犯人が去ったあと、平然とした態度で部屋を片付け風呂に入ります。この時のミシェルの心理が原作には「これまでだって自分で選んできた男たちにもっとひどいことをされてきたじゃないの」と記されています。ミシェルは自分に降りかかる不幸や不遇を半ば諦めているのです。

その原因は、彼女の父が起こした大量殺戮にあります。実の父が引き起こした大事件のせいで、彼女は周りから忌み嫌われ、疎まれ、度重なる迫害を受けてきました。そのためミシェルは他者から向けられる悪意や敵意に対して、良くも悪くも悲愴的な振る舞いをしなくなってしまったのです。

原作ではそんなミシェルのパーソナリティが「あまりに強く、あまりにもろい」という言葉で表されています。

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父の死をきっかけにミシェルは、レイプ犯へ復讐したいという願望と、自身の性的欲求アンビバレントな感情に整理をつけようとしています。

映画の終盤、ミシェルは不道徳な行為を繰り返すパトリック(そして彼女自身)に対して、警察にすべて打ち明けるからこの関係はもう終わりにしましょうと告げます。

原作では、ミシェルが自身の二面性を特に省みることなく、最後までパトリックとの不純な関係を続けます(最後は映画と同じくパトリックがヴァンサンに殺されてお終わり)。しかし映画版ではミシェルがパトリックとの関係を断ち切ろうとしており、父譲りの二面性ときちんと向き合っている様が描かれています。

映画ラスト、親友のアンナと並んで歩くミシェルの顔はとてもスッキリとしています。

常人とは全く異なる精神性を持っている彼女は、自身の強さともろさを受け入れ、折り合いをつけた上で自分だけの揺るぎない尊厳を確立したのでした。