映画『彼女がその名を知らない鳥たち』と原作小説『彼女がその名を知らない鳥たち』(ネタバレありの感想)
今回紹介する作品は
映画『彼女がその名を知らない鳥たち』です。
【あらすじ】
働きもせず自堕落な生活を送る北原十和子は、恋人の佐野陣治と共に暮らしながらも、かつての恋人・黒崎俊一のことを忘れられずにいた。ある日、腕時計の故障の件でクレームを入れた百貨店の店員・水島と知り合った十和子は、彼との関係を深めていき、肉体関係を結ぶようになる。水島に黒崎の影を重ねる十和子だったが、ある時十和子の住まいに警察が訪ねてきて、黒崎が5年前に失踪したことを伝える。その事実を知った十和子は、同居人の陣治が事件に関わっているのではないかと疑い始めていく…
【原作】
原作は沼田まほかるさんの同名小説『彼女がその名を知らない鳥たち』です。
- 作者: 沼田まほかる
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2009/10/01
- メディア: 文庫
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本作は、今年公開された『ユリゴコロ』に続いて、沼田まほかるさんにとって2作目の映画化作品になります。
映画『ユリゴコロ』と原作小説『ユリゴコロ』(ネタバレありの感想)
以前『ユリゴコロ』のレビューでも書いた通り、沼田さんは56歳で小説家デビューした遅咲きの作家で、「イヤミスの女王」とも呼ばれています。
本作はデビュー作の『九月が永遠に続けば』の翌年に発表された第2作目の小説になります。沼田さんの持ち味である、インモラルなキャラクターたちが織り成すイヤな味わいのミステリーが存分に発揮された作品で、20万部を超えるベストセラーとなっています。
作者は、かつて僧侶をしていた経歴があるそうで、そういった経験が、業の深い人間を描くのに活きているのかもしれません。
【スタッフ・キャスト】
本作のメガホンをとったのは白石和彌監督です。
白石監督は『凶悪』『日本で一番悪い奴ら』で小説を原作とした映画を監督していますが、どちらも実録もののため、フィクション小説の映画化は本作が初めてとなります。ノンフィクション小説の場合は実在する人物に対しての誠実なアプローチが必要ですが、フィクション小説の場合は作者の思いを汲み取っての映像化が必要となります。監督もその部分を十分に意識したとのことで、原作へのリスペクトはしっかりと残っていました。来年公開される白石監督作の『狐狼の血』にも期待が持てる出来になっていました。
本作の脚本を手掛けたのは浅野妙子さん。浅野さんは『NANA』や『大奥』など、恋愛ものを多く手掛ける脚本家で、白石監督とは初タッグになるのですが、監督と脚本家の持ち味のいいところが出た仕上がりになっていました。
主人公・十和子を演じたのは蒼井優さん。性悪な女の顔と薄幸な女の顔を併せ持つ難しい役どころを見事に演じており、この役は蒼井優さん以外無理だろと思わせるほどでした。
十和子の恋人・陣治を演じたのは阿部サダヲさん。阿部さんの人柄や普段の役のイメージから、はじめは陣治を演じるには誠実な人という印象が強過ぎるのではないかと危惧していたのですが、徹底したビジュアルの作りこみと役作りで、本当に汚くて下品な男に見えたので驚きました。
【私的評価】
90点/100点満点中
原作に対してとても誠実に作られている印象で、監督が小説に惚れ込んだのだということがとても伝わってくる映画でした。
改変された部分は多くはないものの、映画的なギミックを活かした見せ方でキャラクターたちの心情を上手く捉え、面白く見せる工夫が施されていました。
ラストに明かされる真実にアクセントを加えることによって、愛の物語としての純度が原作よりも高まっていました。
以下ネタバレあり
【原作との比較】
本作は原作からのエピソードの取捨選択が極めて巧みに出来ており、原作の魅力をほとんど損なうことなく映像化がなされています。
話の大筋は原作に忠実に作られていますが、原作から逸脱しない範囲で時系列を入れ替えたり、ストーリーの流れを変えたりしており、その改変により物語のテーマ性がぐっと強まっていました。
十和子と陣治の2人の出会いが、原作では物語冒頭で記されていたのに対し、映画版ではクライマックスのラストシーンで描かれています。
原作では物語の冒頭で陣治のしつこ過ぎる電話魔っぷりや、構ってちゃんっぷりを十和子視点で描いており、これによって読者にも陣治のことを「こいつはクズ男だ」と思わせ、ラストで良い意味で裏切られるミスリードとして機能させていました。
対して映画版では、美しい愛のストーリーとして着地させるために、出会ってから今に至るまでの陣治の十和子への献身さが物語のラストで明かされる構成になっています。
観客に陣治への嫌悪感を抱かせるミスリードは弱まっていますが、無償の愛の物語としての着地点はしっかりとしていたので、一長一短な改変に思えました。
十和子に出会ってからの陣治のしつこ過ぎる振る舞いを物語冒頭で描かなかった代わりに、映画版では食事のシーンだけで観客に陣治が下劣な男だと認識させる作りにしています。
陣治はクチャクチャと音を立てながら料理を食べ、差し歯もテーブルの上に適当に置き、汚れた服や靴下も全く気にしない本当に品の無い男です。
陣治の汚らしい食事描写は原作にもあるのですが、映画版の見せ方はより強烈になっており、このワンシーンだけで十和子が陣治に抱く嫌悪感を観客も共有できるようになっていました。食事シーンは本当にこの映画の白眉ともいえる仕上がりになっています。
【原作からの改良点】
本作は登場人物たちの心象風景を映画的な美しいビジュアルで映し出しています。
十和子が俊一に電話を掛けるシーン。長い間会っていなかった俊一の声が聞こえた途端、十和子の部屋の窓が倒れ海辺に佇む彼の姿が映し出されます。俊一との過去を封じ込めようとしていた十和子が、かつての思い出に引き戻されたことを映画的なギミックで上手に見せていました。
また、水島と寝るベッドに砂漠の砂が降り注ぐのも、十和子が水島に魅惑され、彼の話を信じ切っている事を端的に表した巧みな見せ方になっていました。
映画版は原作よりも陣治の献身性が増しており、それによって純愛の物語としてのテーマ性が強くなっています。
映画終盤、不安定さが極に達した十和子が、すべてを終わりにするために水島を背後から突き刺します。原作ではすんでのところで陣治が止めに入り傷害未遂に終わっていたのですが、映画版ではがっつりナイフをぶっ刺しています。
この改変によって、十和子の犯した罪を被る陣治の自己犠牲が強まっており、なにより不倫ゲス男が文字通り痛い目を見る展開で溜飲も下がる作りになっていました。
また、十和子と黒崎が抱き合っているビデオを陣治が目撃してしまうというシーンが映画オリジナルで加えられているのですが、そんな禍々しいものを見せつけられても十和子のことを見捨てない、陣治の健気さが引き立っていました。
【佐野陣治という男】
十和子から見た陣治は、自分をしつこく付け回し、水島にも品の無い嫌がらせを行う下劣な男です。そのため、水島との関係を陣治に咎められ、「あんまりなことしたら、恐ろしい事が起きるで」という忠告にも耳を貸しません。
しかし、陣治が十和子のことをしつこく付け回したり、お節介な忠告をしたのも嫉妬心や独占欲からではなく、十和子が封じ込めていた記憶が蘇ってしまう事を恐れていたからなのです。
映画のラスト、全てを思い出した十和子に対し、陣治は「楽しかったなあ。ほんまに楽しかった」と語りかけます。十和子の記憶が蘇るとこを恐れていた陣治ですが、いずれ十和子が記憶を取り戻してしまうと勘付いていたのかもしれません。そのため、いつか終わるともしれぬ日々を特別に思い、綱渡りのような毎日でも十和子のそばに居られることに幸せを感じていたのでしょう。
【北島十和子という女】
十和子は陣治のことを心底毛嫌いしていますが、決して別れようとはしません。陣治からお金を受け取って日々生活していることもありますが、十和子は経済的な理由だけでなく精神的な面でも無意識に陣治に依存していたのでしょう。
陣治のドジ過ぎる振る舞いに時折笑ってしまったり、毎日に渡している生活費が減ってしまうと言う陣治に対して「ええよ、そんなん」と答えたりと、彼のことを毛嫌いしつつも離れられずにいるのです。
しかし、十和子は自分自身が陣治を必要としていることに気付かず、水島(もとい黒崎)と一緒にいる事が自分にとっての幸せなのだと信じて疑いません。
その姿はさながらモーリス・メーテルリンクの戯曲『幸せの青い鳥』のようでした。『幸せの青い鳥』は木こりの兄妹・チルチルとミチルが、幸せが訪れるという青い鳥を探しに放浪の旅に出掛けるというお話です。遠い旅路の末、終ぞ2人は青い鳥を捕まえることが出来ず、消沈して帰路に着くのですが、家に着くと今まで飼っていたキジバトが青い鳥に変わっていることに気がつきます。そうして2人は、自分にとっての幸せはすぐそばにあったのだと気づくのです。
十和子にとっての青い鳥は陣治だったのですが、彼女はなかなか気がつかず、遠回りをした末に最後の最後にそのことに気づきます。
陣治が十和子の為に崖から飛び降りると、崖下から鳥たちが飛び立ちます。陣治という名の青い鳥は、十和子に新しい人生という幸せをもたらしてくれたのでした。