雁丸(がんまる)の原作代読映画レビュー

原作読んで映画レビューするよ!

映画『花筐/HANAGATAMI』と原作小説『花筐』(ネタバレありの感想)

今回レビューする作品は

映画『花筐/HANAGATAMI』です。

f:id:nyaromix:20171223231343j:plain

【あらすじ】

アムステルダムに暮らす両親と離れて暮らす榊山は、佐賀県唐津市に暮らす叔母・圭子の元に身を寄せていた。唐津浜大学予科への入学を果たした榊山は、清廉な美少年・鵜飼と、冷静で朴訥な青年・吉良と出会い交友を深めていく。榊山は圭子の元で暮らす従妹の美那子に思いを寄せており、美那の友達であるあきねと千歳とも知り合いになる。やがて、彼らの周りでは戦争の足音が近づき、彼らの青春をも巻き込んでいくのであった…

 

【原作】

原作は檀一雄の短編小説『花筐』です。 

花 筐 (光文社文庫)

花 筐 (光文社文庫)

 

 小説『花筐』はもともと長編小説として執筆される予定だったのですが、『夕張胡亭塾景観』が芥川賞の候補作になったことから次作の執筆を出版社から急かされ、短編として仕上げた作品だそうです。檀にとっては不本意だったかもしれませんが、塞翁が馬と言いましょうか短編小説になったことで物語に想像の余地が沢山ある行間の多い作品に仕上がっています

本作は三島由紀夫も愛読した小説だそうで、映画の中でもそのことに触れられています。大林監督は作中に登場する青年・吉良に三島由紀夫の面影を想起するそうで、映画を観ると確かに吉良の刹那的な生き方が三島のように見えます。

 

【スタッフ・キャスト】

 本作のメガホンを取ったのは巨匠・大林宣彦監督です。

 大林監督のフィルモグラフィ的にはこの作品は『この空の花-長岡花火物語』と『野のなななのか』に次ぐ戦争三部作の一作という位置づけになります。小説『花筐』の映画化は監督の終生の夢だったそうで、商業映画デビュー作『ハウス/HOUSE』を作る以前から温めていた幻の脚本を40年の時を経て再び起したとのことです。

大林監督は本作の撮影中に、医者からステージ4の末期の肺がんであることを知らされ、余命3か月と宣告されながらもこの映画を作り上げました。監督が自身の近くに横たわる死を感じながら作った本作は生への渇望に満ちており、自らの不幸をも芸術へと昇華する映画人としての矜持を見ました。

本作の役者陣には極めて突飛なキャスティングや演技の付け方がなされており、初めは驚きが強いのですが、次第にこの人でなければこの役は難しかったのではないかと思わされていきます。

主人公・榊山を演じたのは窪塚俊介さん。原作の榊山よりも、人としての未熟さを感じさせるキャラクター造形にしており、幼児性を強めた演技は、榊山の何者でもなさを分かりやすく表していました。

朴訥な青年・吉良を演じたのは長塚圭史さん。現在42歳の長塚さんが、年にして17,8才の吉良を演じるというかなり大胆なキャスティングですが、人間模様を俯瞰で眺め、常に冷静な吉良を体現できるのは、若い役者よりも長塚さんのような落ち着きのある成人だなと思わせてくれる演技力でした。

美青年・鵜飼を演じたのは満島真之介さん。満島さんは他の役者陣と比べると違和感のないキャスティングで、肉体的にも精神的にも鵜飼を体現していました。

 

【私的評価】

96点/100点満点中

 檀一雄の短編小説が元になっている作品ですが、戦時下という時代背景を原作よりも前面に押し出すことで、メッセージ性がかなり強まっています。

 原作の重要なポイントである若者たちの”自由”と"生"への渇望をしっかりと捉えながら、その裏にある戦争の影を映し出すことで、彼らの生がより刹那的で切ないものになっていました。

大林監督が、巨匠・黒澤明から言われたという「映画も果実と同じでそれが実るべき旬がある」という言葉のとおり、国際情勢に暗雲が立ち込める今こそ作られるべき映画でした。

 

 

 

 以下ネタバレあり

 

 

 

 

【原作との比較】

 檀一雄の短編小説を映画化するにあたって、今作は“戦争”という時代背景をより前景化させ、3時間ものボリュームにしています。

 原作中にも、“戦争”というワードは数カ所出てくるのですが、映画版ではそれをグッと表面化させストーリーに密接に関わらせています。劇中で描かれる戦争絡みの場面はほぼ全て映画オリジナルといっつも過言ではありません。

 そして、戦時下の絶望の中にある微かな希望の象徴として“唐津のくんち祭り”がストーリーに組み込まれています。原作では物語の舞台は架空の場所とされているのですが、大林監督が檀一雄さんからもらった「唐津に行ってごらんなさい」というアドバイスを元に、舞台を唐津市と決めたそうです。

唐津くんち祭りの根底にある、権力への抵抗心が、戦時下での反骨の灯火として希望を与えてくれます。

f:id:nyaromix:20171228071906j:plain

話しの大筋は原作『花筐』の通りなのですが、劇中では『花筐』以外にも『芙蓉』や『夕べの雲』『母の手』『美しき魂の告白』さらには詩集まで、檀一雄作品の引用がいたるところに散りばめられており、作者への敬意がひしひしと感じられます

 檀作品以外からも、檀と親交の深かった中原中也の作品や、フランスの作家サン・ピエールの恋愛小説『ポオルとヴィルジニイ』。さらには、世阿弥の能の一曲『花筐』までも取り入れ物語に深みを与えています。

 

【原作からの改良点】

 鵜飼と親しくなった榊山は、共に“勇気を試す冒険”に繰り出します。

 原作では、列車が行き交う線路を横断する事で互いの勇気を確かめるのですが、映画版では日の丸のハチマキを巻いた2人が風俗街へと赴き、戦争に駆り出されようとしていた馬を逃がしてあげるという展開になっています。

 戦争への機運が高まる社会情勢のなかで、戦いのために使う馬を逃すというのは、“自分たちの勇気を見せる”という榊山らの行動原理にも沿っており、彼ら自身の自由への渇望を馬へ託すという切ないシーンでもありました。

 

【榊山】

榊山は10代後半の男子としてはかなり未成熟で、まだ何者にもなれていない青年です。自分というものを確立していない榊山は、自分にないものを持っている吉良や鵜飼に憧れを抱きます。

榊山は忍び寄る戦争の足音にもあまり関心を抱いておらず、鵜飼が行う“勇気を試す冒険”の裏に戦争の影があることもあまり気づいていません。 そんな彼が自分の周りで起こった不幸が戦争と繋がっていたことに気づくのも年老いてからでした。

f:id:nyaromix:20171228071942j:plain

け榊山の母は彼が幼い頃、崖の上に立つ息子に男子と「お飛び、お飛び、卑怯者」と、声を掛けたといいます。それは鵜飼が行う勇気を試す冒険と同様のもので、この映画の中では戦争への出兵を暗示しています。

 大林監督は榊山を「意識的なノンポリだといいます。それは現代人にも通ずる、きな臭くなりつつある世界情勢のなかでも声を上げない“物言わぬ国民”の象徴かもしれません。

映画のラスト、榊山が画面の前の観客に向かってあなたは飛ぶことができるかと訊ねます。現代人の鏡像である彼がこの言葉を発することで、社会の変化に無関心を気取る人々に強く突き刺さるものとなっていました。

 

【鵜飼】

鵜飼は快活な好青年で、その肉体性はギリシャ神話の神アポロン(光明の神)に例えられるほどです。完璧な人間にも思える彼ですが、全てが充足しているが故の欠落感も抱えており、夜に海に行っては自らをいたぶる様に荒波を泳いでいます。その姿をみた吉良は「彼は肉体を浪費している」と語ります。

f:id:nyaromix:20171228072157j:plain

 彼の目的のない体力は戦争に適したものですが、彼は左利きのため戦地で役に立たない事を自覚しており、そのことが一層彼の存在意義を揺るがせます。

だからこそ彼は自身の心の穴を、美那や榊山の叔母といった女性たちによって埋めようとしたのではないでしょうか。

 

【吉良】

アポロン神のような鵜飼に対して、寡黙な青年・吉良はギリシャ神話のタナトス(死を象徴する神)のような存在です。

 彼は幼い頃から病弱で、母に看病をされながら育ってきました。彼の悲喜に合わせて泣いたり笑ったりしていた母を見て、吉良は悲しい時に笑い、可笑しい時に泣くようになったといいます。彼はそんな母のことを「僕の形骸だけを愛していた」といいます。このような経験から、吉良は自分の観念だけを信じるようになり、常人の倫理観とはかけ離れたような行動をもとるようになったのです。

f:id:nyaromix:20171228071958j:plain

 自分が形骸だけの人間ではない事を証明するように吉良は、世に一般的とされる行動や他人の模倣を嫌い、故に自分の意見を述べるときも必ず「僕、吉良は…」と前置きするのです。

  自分だけの世界を作ってきた吉良でしたが、恋心を抱いた皆には自分の世界の存在を知ってもらうことは出来ず、唯一自分の世界を信じてくれた榊山の前で命を絶つのでした。

 

【鮮血と戦争】

 本作では鮮血のイメージが数多く用いられています。本作における血は“死”のモチーフであり、この作品内での死は全て戦争と関連付いています

舞台となっている唐津市は戦火を免れた地域ではあるのですが、それでも戦争の影響は直接的、あるいは間接的に受けており、本作のキャラクターたちの悲運も全て戦争に由来しています。

f:id:nyaromix:20171228072048j:plain

 そんな絶望の中、人々の希望として描かれているのが“唐津おくんち祭り”です。

 第二次大戦時には、徴兵によって少なくなった男性に変わって、普段曳山をひくことのない女性たちが曳いたという逸話もあるほど人々の熱い思いによって保たれてきたお祭りです。

 悲惨な社会情勢に屈せず、自分たちの意思を貫く現代人としてのあるべき姿唐津の人々にはあるのかもしれません。