映画『勝手にふるえてろ』と原作小説『勝手にふるえてろ』(ネタバレありの感想)
今回紹介する作品は
映画『勝手にふるえてろ』です。
【あらすじ】
24歳のOLヨシカは、中学時代から想いを寄せている“イチ”に今もなお片思いを続けている。叶わぬ恋だと薄々感じながらもイチへの気持ちに折り合いをつけられずにいるヨシカだが、そんな彼女同じ職場で働く“ニ”がアプローチをかけてき、ついにヨシカは人生初となる告白を受ける。イチへの思いを断ち切れていないヨシカはニへの返事を先延ばすが、ある人自宅でボヤ騒ぎを起こしたことで人間いつ死ぬかわからないことに気が付き、イチと再会するために画策して行くのだった…
【原作】
本作は2010年に文藝春秋の『文學界』に掲載された作品で、その年の第27回織田作之助賞で候補作となった作品です。
綿矢さんといえば、『蹴りたい背中』で芥川賞を受賞したことで有名な人気作家ですが、意外にも映画化された作品は少なく、本作がデビュー作『インストール』に次いでニ作目の映画化作品となります。(『蹴りたい背中』のドラマ版などはありますが)
小説『勝手にふるえてろ』は、その前作『夢を与える』から3年の時を経て発刊された作品です。その3年の間に綿矢さんは大失恋を経験していたそうで、一時は筆を折る寸前までいっていたとのことです。本作にはその時期の綿矢さんの実らない恋愛に対しての怒りが込められた作品になっています。
【スタッフ・キャスト】
本作のメガホンを取ったのは『恋するマドリ』や『でーれーガールズ』を手掛けた大九明子監督です。
大九監督は、現代女性の心理を的確に捉えた映画を得意としており、本作もその一つと言えます。
監督は芸能プロダクション人力舎の芸人養成学校・スクールJCAの一期生という経歴を持っており、磨き上げられた笑いのセンスで、本作でもキレッキレのコメディ演出が炸裂していました。
主演を務めたのは松岡茉優さん。見る前はこんなに可愛い人が非モテ人間なんか演じられるのか?と思ったのですが、実際に見てみると松岡さんの所作は完全に非モテ人間のそれで、性別は違いますが自分を見ているようでした。
ヒロインが想いを寄せる男の子イチを演じたのは『君の膵臓をたべたい』の北村匠海さん。感情をほとんど露わにしたい演技で、ミステリアスさを醸し出していて、こりゃモテるわと思える説得力が凄かったです。
そして、ヨシカにアプローチを仕掛ける男・ニを演じたのは『色即ぜねれーしょん』の渡辺大知さん。不器用すぎて、振る舞いが若干気持ち悪くなっちゃってる様は、こちらも自分を見ているようで悶えてしまいました。
【私的評価】
95点/100点満点中
対人関係が上手く築けないヨシカの様子は、コミュニケーション能力の低い自分には他人事とは思えず、彼女の不器用な振る舞いすべてがグサグサと突き刺さってきました。
原作よりもヒロインの孤独を強調した脚本は、ヨシカの切なさを喚起し、無様でみじめながらもそれでも生きていく彼女の姿勢に心を打たれました。
個性的なキャラクターが多い作品ですが、特に“二”の空気の読めなさは、自分にも心当たりがある部分があるので、面白くもあり、精神的ダメージが大きくもありました。
以下ネタバレあり
【原作との比較】
映画版は原作の大筋をなぞらえており、ヨシカの恋愛の過程や結末には大きな改変は加わっていません。
原作からの改変で際立っているのがヨシカの孤独さを強調している点です。
今作は原作よりも登場人物の数を増やしており、隣人や駅員、コンビニ店員や釣り人といった街の人々は、全員映画オリジナルのキャラクターです。
初めはヨシカと彼らとの交流が描かれるため、ヨシカが社交性のある人間のように見えるのですが、その裏にある真実がとても残酷なもので胸をえぐる演出になっています。
原作ではヨシカの両親が彼女の心の拠り所として登場するのですが、映画版では両親のことには触れられず、都心で一人で奮闘する女性としてヨシカの孤独さを際立てていました。
【原作からの改良点】
本作のタイトルにもなっている「勝手にふるえてろ」というセリフ。原作では失恋したヨシカがイチに向けて心の中で毒づく言葉なのですが、映画版ではヨシカが自分自身に向けて言うセリフになっています。
自身にこの言葉を投げつけることで、対人関係に怯えていたヨシカがかつての自分と決別する捨て文句として機能しており、良い改変になっていました。
前述の通り、本作は街にいる様々な人々を映すことでヨシカの孤独を描き出しています。イチに自尊心を傷つけられたあと、ヨシカと街の人々との本当の関係性が明らかになるシーン。ここではミュージカル演出で、ヨシカ自身による独白が始まります。
ヨシカの心の叫びなので、もちろん彼女の歌声は誰にも届いておらず、誰からも見向きされないため、彼女の独りぼっちさがより強烈に響くものとなっていました。
【ヨシカ】
ヨシカは異性との交際経験がないため、イチへの想いと自意識ばかりが膨れ上がり、こじれた性格になった女子です。
彼女は絶滅生物を愛でることを趣味としており、中でもアンモナイトへの熱情は相当なものです。アンモナイトの殻は、きれいな螺旋状の“正常巻き”と呼ばれるものと、歪な形状の“異常巻き”と呼ばれる種類があり、ヨシカは自分のことを異常巻きのような存在だと思っています。そんな彼女が正常巻きのアンモナイトの化石を愛でる姿は、幸せそうでありながら、どこか切なさも感じられました。
原作でのヨシカは、ニと自分が似た者同士であることに自覚的でしたが、映画版のヨシカはどちらかというとそのことに無自覚な印象です。そのため、クライマックスでそのことを自認し受け入れた彼女の姿に心を打たれました。
【イチ】
イチは極めて冷淡で儚げな雰囲気をまとった男ですが、その淡白さがヨシカの妄想を加速させ、彼女の中での理想のイチ像を肥大化させています。
大九監督が「実は利己的な人」と語っている通り、彼の行動は自分本位なもので、中学時代体育祭の閉会式でヨシカに自分を見つめさせたのも、ヨシカの事が気になっていたからではなく自分に視線が向けられないとこが気に入らなかったからです。
しかし、その思わせぶりな振る舞いがヨシカの心を拗らせてしまうのでした。
【ニ】
ニはヨシカに対し執拗にアプローチを仕掛け、始めのうちはヨシカから嫌悪の目で見られています。
連絡先の聞き出し方や頭をポンポンする振る舞いなどは、恋愛経験値の低い男がネットの情報を鵜呑みにしてやってしまう気持ち悪い行動そのもので、筆者自身にも少なからず心当たりがある痛々しいシーンでした。(流石に無理に連絡先を聞き出すようなアプローチをしたことはありませんが…)
二はデリカシーにかける男ですが、愚直さと一途さを持っており、目立たない存在であったヨシカを見出せたことには自信を持っています。
ヨシカと二は、思い人から何とも思われていないもの同士共鳴し合うものがあったのかもしれません。
【自分のことを見てくれている誰か】
思いを抱き続けていたイチに自分の名前を覚えてもらえてなかったことにショックを受けるヨシカは、イチとの関係のように街の人たちともなんの関わりも築けていないことを再認識し、自分は透明で誰にも見えていない存在なのだと卑下します。
しかし、そんなヨシカのことを見ていてくれたのが二でした。
二がヨシカに想いを抱くきっかけとなった赤い付箋。彼がヨシカに思い出の品としてプレゼントした付箋は、始めは二の気持ちが一方的にのっただけの安くて痛々しいアイテムでしたが、のちに孤独に打ちひしがれるヨシカにとっては誰にも見えていないと思っていた自分を二が見つけてくれた最良のアイテムとなります。
雨の降る夜、ヨシカと二は互いの思いをぶつけあい、気持ちを確かめ合います。赤い付箋に水が染み入るように、ヨシカと二(霧島)の思いが同化し、二人の新しい人生が始まっていくのでした。