雁丸(がんまる)の原作代読映画レビュー

原作読んで映画レビューするよ!

映画『去年の冬、きみと別れ』と原作小説『去年の冬、きみと別れ』の比較(ネタバレありの感想)

今回紹介する作品は、

映画去年の冬、きみと別れです。

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【あらすじ】

フリーの記者の耶雲恭介は、天才カメラマンと謳われる木原坂雄大に取材を申し込む。木原坂はかつて、撮影所で起きた火事により女性モデルを焼死させ、一度逮捕されたことのある男だった。その火災は事故扱いとなり木原坂は釈放されたが、耶雲は事件の真相を究明し、本を出版するため木原坂の周辺人物に対しても取材を進めていく。徐々に取材をエスカレートさせていく耶雲だったが、彼の婚約者である百合子に魔の手が忍び寄ろうとしていた。

【原作】

原作は、中村文則さんの同名小説『去年の冬、きみと別れ』です。 

去年の冬、きみと別れ (幻冬舎文庫)

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 本書は2014年に本屋大賞にノミネートされ、ベストセラーとなった作品です。

小説ならではのトリッキーな仕掛けが施された大胆なストーリーテリングのため、“映像化不能”と言われた作品でもあります。

映画版の脚本の推敲には中村先生も加わったそうで、今作は作者の意見もしっかりと取り入れた映画となっています。

悪と仮面のルール』のレビューの際にも述べた通り、今年は中村文則作品の映画化ラッシュで、この後に『銃』の映画化も控えています。

gensakudaidoku.hatenablog.com

 

【スタッフ・キャスト】

本作のメガホンをとったのは『脳男』や『グラスホッパー』などを手掛けた、瀧本智行監督です。 

グラスホッパー スタンダード・エディション [DVD]

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 原作ありの映画を手掛けることが多い瀧本監督ですが、ほとんどの作品が原作からストーリーを大きく改変したものとなっており、小説を映画化するためには大胆な脚色を厭わない監督です。それだけ、小説というコンテンツと映画というコンテンツの相違性を理解している監督ともいえるでしょう。 

また瀧本監督は画作りにリアリティを求める監督で、本作の白眉ともいえる火災シーンは、CGに頼らず本物の炎を起こして撮影に臨んだそうです。

本作の脚本を務めたのは『DEATH NOTE デスノート』『DEATH NOTE デスノート the Last name』『無限の住人』などの作品を手掛けた大石哲也。大石さんは本作のシナリオを作るために10稿以上もの推敲を重ね、監督や原作者らと共に脚本を練りに練ったそうです。そのような努力によって、映像化不可能と言われた作品が、一つの映画としてしっかりと形を成していました。

主人公の耶雲を演じたのは、EXILE三代目J Soul Brothers岩田剛典。映画作品の出演経験はそこまで多くない岩田さんなので、失礼ながら見る前は「このキャスティングで大丈夫なの?」と思っていたのですが、実際に彼の演技を見ると、難しい役どころを実に見事に演じきっており感服しました。彼の演技次第で映画全体の完成度が決定づけられるぐらいの難役なのですが、このキャスティングで間違いなかったと思います。

 

私見

80点/100点満点中

極めて映像化の難しい原作を、様々な工夫を凝らして映像化し、サスペンス映画としてきちんと成立させていて感服しました。

主演の岩田さんの演技も素晴らしく、彼の演技が映画全体を引き締めていました。

少し脚本に難点のある部分もあるのですが、原作のテーマ性を大事にし、難しい題材をきちんと映画化したスタッフとキャストを褒め称えたいです。

 

 

 

以下ネタバレあり

 

 

 

【原作との比較】

原作は小説というコンテンツの独自性を活かした叙述トリックの効いた作品のため、かなり映像化に不向きな物語です。

今回の映画版では、そんな小説の映像化のために大きく2つの改変を加えています。

一つはキャラクターの人物配置を切り替えた点、そしてもう一つは時系列を入れ替えた点です。

まず1点目の"人物配置の転換"。原作小説は、2人の人物を主軸に物語が推進しています。1人が木原坂雄大を取材する記者、もう1人が木原坂姉弟に復讐を果たす編集者(映画版では編集長が加害者側でしたが、原作小説では復讐者側)です。

 記者は編集者に依頼され火災事件の真相を本にまとめます。しかしその目的は、木原坂の姉を殺害した編集者が、獄中の木原坂に記者の書いた本を送り、事件の真相を知らせ、復讐を完遂することでした。つまり「去年の冬、きみと別れ」という本自体が、木原坂への復讐のために執筆された本になっているという大胆なトリックです。映画版ではこの2人の要素を1人の人物としてまとめ、編集者を吉岡亜希子殺しの共犯者にすることで、そのトリックを映像的に実現させています。物語のラスト、編集者が主人公の執筆した本を読むことで、原作小説を読んだ読者と同じ実感を体験させているというわけです。 

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そして2点目の"時系列の入れ替え"。原作では木原坂雄大の死刑が確定した後から物語が始まっています。死刑囚となった木原坂に記者が取材を行い、事件以前のことを探って行くことで、事件の真相を突き止めて行くというストーリーです。そういう意味で原作小説はある意味倒叙的な物語と言えます。対して映画版では、木原坂が1件目の火災事件の容疑者となり執行猶予で釈放となったところから物語が始まります。物語を第2章からスタートさせるトリッキーな仕掛によって、事件に無関係に思われた人物が事件のキーマンだったという小説のトリックを実現していました。原作小説では、物語の開始時点で木原坂朱莉が殺されいるため、復讐の共犯である百合子が朱莉になりすまして記者の取材の答えています。そこが映画化するのに一番困難と思われた叙述トリックです。そこを映画版では時系列の入れ替えによって、2件目の火災事件後も木原坂が生きているかのように見せるというなかなか良くできた見せ方にしていました。

他にも原作からの改変点は多いのですが、復讐の手口や主人公の過去などは、割と原作小説をきちんと踏襲しているので、原作の軸となる部分は大事にされていると思います。

 

【原作からの改良点】

映画版の最も良く出来ている点は、主人公の恋人の殺害に関わった人間の罪科と、彼らに執行される復讐が徹底して対になっているところでしょう。

主人公の恋人・亜希子を火災から救わず見殺しにした木原坂雄大がに対しては、彼に火だるまになる最愛の姉を見殺しにさせ(これは原作通り)、亜希子を焼死させた張本人である木原坂の姉・朱莉(原作では、亜希子を連れ去りはしたものの火は付けておらず、亜希子の焼死に関しては予期せぬ事故)に対しては、彼女が火を放った時のようにそっくりそのまま彼女を焼死させ復讐を果たします。そして、亜希子の誘拐に関与した共犯者の小林(木原坂姉弟に共犯者がいるのは映画オリジナルの設定)に対しては、彼が最も愛していた朱莉を拐い、彼女を焼き殺しています。

こうした、悪行に対しての因と果が見事に対を成す構造になっており、実によく出来た脚色でした。 

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復讐の協力者である松田百合子は、原作では木原坂朱莉の殺害を幇助したことを後悔しており、朱莉に成りすまして記者に復讐の首謀者である編集者の殺害を依頼しています。

対して映画版では、百合子が耶雲の婚約者を演じる内に本当に彼の事を好きになっており、ラストでその事を彼に打ち明けています。百合子から好意を伝えられてもなお、亡くなった亜希子の事を思い続ける主人公に、情念の深さが感じられました

原作のサスペンスフルな展開も好きなのですが、映画版の展開も主人公の心情がよく表れていて良かったです。

百合子は、小説では借金で首が回らなくなった女性という設定だったのですが、映画版では自殺志願者の女性になっており、耶雲と同じで欠落したものを抱える人間として描かれています。故に彼に惹かれていくことに説得力が生まれていました。

 

【本作の不満点】

瀧本監督は前作『グラスホッパー』でも、薬物を使用する描写を映画オリジナルで加えていたのですが、監督は薬物を“人を操るための道具”として映すきらいがあるように思います。

主人公の耶雲と木原坂朱莉が初めて対峙する場面。朱莉から事件の真相を聞き出そうとした耶雲でしたが、罠にはまってしまい、クスリを飲まされ彼女のことを抱いてしまいます。その後、朱莉が亜希子を殺した真犯人だと知らされ絶望感に苛まれるのですが、この場面では薬物を使わない方が彼の絶望が増したのではないかと思います。

 事件の真相を知りたくて仕方がない耶雲が、取引条件として朱莉を抱くことを迫られ、苦渋の決断の決断の末に抱いた方が、事実を知らされた時に、自分の犯した過ちへの後悔と亜希子を裏切ったという自責の念が二重に襲いくるのでそちらの方が良かったのではないかと思います。 

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耶雲は木原坂への復讐のため、周到に計画を練り、木原坂の性格や行動パターンを逆手にとって百合子をわざと監禁させます。そこまではよく出来ているのですが、その後の百合子と朱莉を入れ替えトリックに不確定要素が多すぎる気がして若干ノイズでした。木原坂が百合子を残して外出するのも確定的ではないし、木原坂が外出した際、百合子は拘束状態にはなかったので、燃え盛る火の中で大人しく椅子に座っている彼女を見て彼は違和感を覚えないのかといった部分がどうしても気になってしまいました。そうした不確定要素が多いため、そのシーンまでは徹底してロジカルに思えた復讐が、やや杜撰に感じられました。

 

【僕は僕であることをやめた】

先日映画化された『悪と仮面のルール』もそうでしたが、中村文則作品では“他者の狂気に巻き込まれた者が、自らも狂気に染まっていく様“が度々描かれます。

深淵を覗く者が深淵からも覗かれ、怪物と戦うものが怪物と化す。本作もそんな一作で、主人公が化け物へと変貌していく様子が描かれています。 

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 亜希子から別れを告げられてもなお、彼女のことを忘れることができなかった耶雲は、亜希子の突然の死を知り、その真相を探るべく躍起になって聞き込みを行います。しかし、いつしか耶雲は踏み込んではいけない領域まで足を踏み入れてしまい、木原坂朱莉に足元をすくわれてしまいました。

 狂気に満ちた姉弟に復讐を果たすべく、彼は木原坂姉弟と同じ領域に踏み入り、彼らと同じ狂気に浸食された怪物と化します

その年の冬、 亜希子の望まぬ化け物へと変貌した彼は、彼女のために別れることを決意したのでした。

 

【守れなかった約束】

耶雲(中園)は金沢の小さな出版社に勤めていた時、吉岡亜希子という盲目の女性と恋人関係になります。しかし、亜希子が接触事故に巻き込まれ軽いけがを負ったことをきっかけに、彼女を守りたいという思いがエスカレートし、しまいにはストーカーと化してしまいます。

亜希子のことが心配でたまらず、事故や事件に見舞われないよう彼女を遠くからずっと眺めていた耶雲でしたが、目が見えないという彼女の弱点を利用して付け回し、自分がいなければ彼女は何もできないと考えるその行為は亜希子の尊厳を奪うことにほかなりませんでした。

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亜希子は耶雲への別れの手紙に、本を書き続けて欲しいという思いを綴っていました。

しかし、耶雲が最後の書いた本は、亜希子が書いて欲しかったような夢や希望にあふれた本ではなく、木原坂への復讐を綴った本でした。亜希子はきっと耶雲に復讐は望んでいなかったでしょう。そんな彼女の希望を裏切り、復讐のための本を書いた時点から彼は化け物となったのです。

復讐を果たした耶雲は、思い出の地である海へと向かいます。彼のバックでは『Make You Feel My Love』(ボブ・ディランの楽曲のアデルのカバーバージョン)が流れます。

その曲は一途な愛を歌ったもので、『飢えそうになり、ボロボロになり、地面を這いつくばっても私は何でもしてみせる。私の愛があなたに伝わるなら』という耶雲を象徴するような歌詞があります。亜希子のことを思い、亡き彼女に別れを告げ、全ての復讐を果たし、生きる理由を何もかもを失った男に、悲しく響き心に染み入る曲でした。