雁丸(がんまる)の原作代読映画レビュー

原作読んで映画レビューするよ!

映画『君の名前で僕を呼んで』と原作小説『君の名前で僕を呼んで』の比較(ネタバレありの感想)

 

今回紹介する作品は

映画君の名前で僕を呼んでです。

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【あらすじ】

1983年、北イタリアのとある田舎町で過ごす17歳の青年・エリオ。

エリオの父は毎年夏なると、若い研究者をインターンとして招き、数週間家に住まわせていた。その年の夏その地に訪れたのは、アメリカから来た24歳の大学院生・オリヴァー。エリオはオリヴァーの印象を“自信家”だと感じ、好意を抱いてはいなかったが、次第に彼の不思議な魅力に惹かれていき…

【原作】

原作はアンドレ・アシマン氏の同名小説『君の名前で僕を呼んで』です。

君の名前で僕を呼んで (マグノリアブックス)

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原作者のアンドレ・アシマン氏は、エジプト生まれのユダヤ人小説家で、現在ニューヨーク市立大学大学院センターで、比較文学を教えている方です。

幼い頃、エジプトとイスラエル間で起きた政治的衝突の影響で、家族とともにエジプトを追われイタリアに移り住んだ経験があり、その時の経験を書いた自伝『Out of Egypt』で高い評価を得ました。本作を含めて、複数の作品を発表していますが、日本で翻訳された作品は今作が初めてです。

本作を観ると分かる通り、アシマン氏は自分のルーツであるユダヤというファクターを作品に取り入れており、作品世界を語るうえでの重要な要素として上手に落とし込んでいます。

 本書はエリオの一人称で物語が進み、彼の心情描写が細やかに描かれているので映画の内容を補完したい方にとてもおススメです。

作者は、今回の映画ににゲイのカップル役で登場しているのですが、本人はゲイではないそうです。

 

【スタッフ・キャスト】

本作のメガホンを取ったのは、『ミラノ、愛に生きる』や『胸騒ぎのシチリア』などを手掛けたルカ・グァダニーノ監督です。

胸騒ぎのシチリア [Blu-ray]

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グァダニーノ監督は、本作と『ミラノ、愛に生きる』として『胸騒ぎのシチリア』を私的に“欲望”の三部作と呼んでいるそうです。その言葉通り、さまざま欲望を抱えたキャラクターたちの人間模様と、その欲望が成就する瞬間のカタルシス、そしてその顛末を丁寧に描くことに定評のある監督です。その手腕を買われ、次回作ではダリオ・アルジェント監督のサスペリア』のリメイクを手掛けることが決まっています。

本作で脚色を務めたのは『モーリス』や『日の名残り』で監督を務めた、ジェームズ・アイヴォリー氏です。アイヴォリーが自分の監督作以外で脚本を担当するのは初めてだったそうなのですが、その卓越したアダプテーション力で、アカデミー賞の最優秀脚色賞を受賞しています。(ただアイヴォリー氏は、本作で主演二人の下半身の露出がない事に不満も持っているそうです。)

本作で主人公のエリオを演じたのは、新鋭のティモシー・シャラメです。『インター・ステラー』で主人公の息子役を演じるなど、若くして高い演技力を見せてきたシャラメ君ですが、意外にも本作が初めての主演作だったそうです。高学歴でピアノまで見事に演奏できるこの才人は、初主演ながら実に堂に入った演技力で、青年の繊細な恋心を表現していました。

エリオが恋心を寄せる大学院生・オリヴァーを演じたのは『ローン・レンジャー』や『コードネームU.N.C.L.E』などのアーミー・ハマー。爽やかさと色気を兼ね備えた文句なしの男前でありながら、その演技は実に細やかで、一瞬の表情で感情をしっかりと表現していました。

 

私見

94点/100点満点中

 今作は原作の空気感をとても大事にしながら、小説の世界を忠実に映像化してています。ただ原作の物語をトレースするだけでなく、映像でしか伝えられない描写も巧みに加えられていて、とてもよくできていました。

原作からの省略も実によくできていて、小説版よりも胸にこみあげる切なさが増しています。一夏の恋を経て青年が大人になっていく物語としてまとめ上げた脚色力は、間違いなくアカデミー賞に値するものだと思います。

劇中で流れるスフィアン・スティーブンスの『Mistery of Love』も、歌詞とメロディーが本作のロマンティックで切ない物語に見事にマッチしていました。

静かながらも確かに変わっていく、エリオとオリヴァーの関係。そして主人公の心の揺れ動き。何気ないシーンの美しさは、実に映画的魅力にあふれており、後世まで語られる映画になるのではないかと思わせるほどでした。

 

以下ネタバレあり

 

 

 

【原作との比較】

 原作は、青年期の思い出を大人になったエリオが語る回顧録的な作品なのですが、今回の映画版は現在進行形で物語が進みます

ストーリーは原作小説にかなり忠実に作られており、原作をきちんと準えて作られていますが、小説から端折られた部分もいくつかあります。特に大きく省かれているのは、2人が別れてから数十年後、中年になったエリオとオリヴァーが再開するシーンです。今作は、そのような2人のその後の物語は描かず青年期の物語だけでまとめています。

そのため、原作は“2人の青年の関係が十数年の時が経て変わっていく物語”だったのに対し、本作は“2人の青年が永遠の別離を迎える物語”に趣が変わっています。

他にも、エリオとオリヴァーが近づくきっかけをくれる白血病の少女・ヴァミ二や、タイに滞在していた経験を本にまとめた詩人のエピソードなどが原作から端折られています。それでも原作の根幹はブラさずにきっちりとまとめられており、巧みな脚色力をみせてくれています。 

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原作では、“詩”が作品の重要なファクターとなっていたのですが、本作は“彫刻”が重要な要素として物語に深みを与えています。それに合わせて、古典文学者だったエリオの父の設定も、美術史学者に切り替えられています。文学的表現の“詩”から、視覚的表現の“彫刻”に切り替え主人公の心情を表現したのは、映画化するにあたって、とても賢明な脚色だと感じました。

 

【原作からの改良点】

上にも述べた通り、今作は原作と趣向を変え2人の青年の別離の物語として仕上げています。そのことがよく表れているのが、エリオが桃で自慰行為をした後のシーンです。

エリオは、アプリコットの形をオリヴァーのお尻の形と重ね合わせ、アプリコットに似た形の桃で自慰行為に及びます。(原作では、エリオがアプリコットのことを、男性器を意味する“コック”とかけて“アプリコック”と呼んでいます。)このシーン自体は小説にもあるのですが、オリヴァーにその行為がバレた後のエリオの振る舞いが小説と映画版で少々異なっています。

小説では、エリオが桃で行為に及んだ知ったオリヴァーが、その使用済みの桃にかぶりついきます。エリオは最初は嫌がっていたものの、桃を食べてくれたオリヴァーを見て、自分を受け入れてくれたことが嬉しく涙を流します。エリオにとって涙を見せることは精液を見せることと同等の恥ずかしさがあるので、それだけオリヴァーに心を許していることの表れでもあります。

対して映画版では、オリヴァーが桃を食べる前にエリオが彼を止め、泣き出してしまいます。もちろんオリヴァーに痴態を知られた恥ずかしさによる涙でもありますが、その涙にはオリヴァーの気持ちが離れていってしまうことへの怯えも感じられました。

オリヴァーとの別れの時が近づいていることを薄々と感じていたエリオは、オリヴァーが遠い地に行って自分への思いが冷めていく怖ろしさを、この時擬似的に感じたのでしょう。

原作の描写も好きなのですが、映画版は一夏の儚い恋の物語として仕上げているので、この描き方はとても良かったです。

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また、原作においては少々存在感の薄かった母親が、映画版ではエリオのよき理解者として描かれていました。 

エリオとオリヴァーに2人きりでお別れ旅行に行かせることを提案したり、オリヴァーと別れ悲しむエリオの肩を優しくさすってあげたりと、原作では父の陰に隠れていた母の優しさがしっかりと描かれていて良かったです。

 

【「あとで!」】

オリヴァーは、人と別れる時「さよなら」や「チャオ」ではなく、必ず「あとで」という言葉を使います。オリヴァーの口癖である「あとで」というセリフ。この短い言葉にエリオは魅惑され、彼のことが気になって仕方なくなります。

「あとで」は返答としては実に曖昧で、相手に謎めいた印象を与える言葉です。そして、その曖昧さは彼の研究するギリシャ彫刻にも通じています。

 劇中でエリオの父が言うように、ギリシャ彫刻は曖昧な曲線美によって、見る人の欲望を挑発します。オリヴァーの「あとで」という口癖もそれと同じで、曖昧さによってエリオの欲望を強く刺激するのです。 

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また「あとで」という言葉は、これからの先行きを不明瞭にするセリフでもあります。いつかこの関係が終わってしまうのだと心の内では分かっていながら、その未来に目を背け愛し合ったオリヴァーとエリオを象徴する言葉とも言えるでしょう。

 

【話すべきか死ぬべきか】

17歳のエリオは精神性がまだまだ未熟なため、オリヴァーに自分の想いを知ってほしいという気持ちと、オリヴァーに自分の気持ちを悟られてはならないという気持ちのアンビバレントな2つの感情が渦巻いています。

故に、バレーボールで遊んでいる際、オリヴァーから突然触れられた彼は、気持ちを悟られたくないという思いと急に触れられた驚きから、彼を避けるような態度を取ってしまいます。しまいには、幼馴染のキアラを彼と結ばせようとし、逆にオリヴァーの機嫌を損ねてしまうこともありました。

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ある日、エリオの母がとある本を朗読します。その本は若い姫と騎士の物語で、姫を愛してしまった騎士が、愛の告白に踏み切ることが出来ず姫にこう訊ねるのです。

「話すべきか、死ぬべきか」

その言葉に感銘を受けたエリオは、思い切ってオリヴァーに思いの丈をぶつけます。といっても、直接的な告白でなく「本当に大事なことは何も知らないんだ」という婉曲的な告白なのが、エリオらしくとても可愛いです。

どうしてそんなことを話したんだと訊ねるオリヴァーに「君は知るべきだと思ったから」「君に知ってもらいたかったから」とエリオは答えます。エリオは自分の気持ちを押し殺すのではなく、話すことを選んだのです。

 

【愛する気持ちと臆病さ】

エリオとオリヴァーが初めて結ばれた夜、オリヴァーはエリオに対し「君の名前で僕を呼んで、僕は僕の名前で君を呼ぶ」と申し出ます。

自分の名前で互いの名を呼び合うという行為は、男女間ではなかなか成立するものではなく、愛し合う同性同士でしか成し得ない特別な愛の交わし方です。そしてこの愛の交わし方は“君は僕のもので僕は君のものだ”という互いの愛を確かめ合う行為でもあります。エリオはこのやり取りによって、今まで感じたことのない新たな境地へとたどり着くのです。 

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しかしながらまだまだ未熟なエリオは、自分が新しい境地に入ってしまったことに怯えを感じてしまいます。

 2人が体を交わした次の日の朝、エリオは昨晩の自分の行為に言いようのない罪悪感を覚えます。一線を超えてしまったことの恐怖と、後戻りが出来なくなったことへの不安に襲われたのです。そしてエリオはオリヴァーに対し再び素っ気ない態度を取ってしまいます。オリヴァーはエリオの態度に困惑し、エリオがまだ自分の事を好きなのかを確かめる為、そして自分の気持ちを伝える為に彼にフェラチオをしてあげます。

そして明くる日、オリヴァーに一緒にいたくてたまらなくなったエリオは彼の元へと向かい「会いたかった」と伝えます。そんなエリオに対しオリヴァーは、「僕は何も後悔したくない」「僕は苦しみたくないし、君にも苦しんでほしくない」と言い、やさしく愛の言葉をささやくのでした。

互いの思いが共鳴し合ったこの時、2人だけの世界が出来上がったのです。

 

【エリオとオリヴァー、そしてマルシア

エリオが抱くオリヴァーへの慕情は、突然芽生えたものに見えて、意外としっかりと段階を踏んでいます。
最初はオリヴァーが首に下げているダビデの星を見た瞬間のユダヤ人としての同胞意識から始まり、父と対等に意見を交わし合う彼の博識さに惹かれ、そしてオリヴァーの言う「あとで」という言葉に魅了されズルズルと深みに入って行きます。

対するオリヴァーも、エリオの取るそっけない態度に興味をそそられていき、エリオから想いを伝えられると彼の情愛も燃え盛ります。

原作中では、ダンテの『神曲』の“愛された者に愛させずにはいられない愛”(ある人が誰かを愛した時、愛された側も必然的にその人のことを愛してしまうこと)という一節が引用されているのですが、正しく2人の関係はこの言葉通りといえます。

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オリヴァーは早い段階からエリオの恋心に勘付いていたのですが、エリオが自分と結ばれる事で後に苦しんでしまう事を恐れ、その好意に見て見ぬ振りをしてきました。エリオはオリヴァーのとる素知らぬ態度に振り回されてきたのですが、彼もまた似たような振る舞いで他者を傷つけています。その相手とは幼馴染で恋人のマルシアです。

エリオは確かにマルシアのことを好いていたのですが、その好意はオリヴァーに向けられるような狂おしい愛情とは異なり、相手を冷静に見たうえで生まれる親愛さです。彼はマルシアのから向けられる愛に気づきながらも、オリヴァーへの情愛から、彼女の想いには目を背けてきました。エリオがマルシアからの好意を見て見ぬ振りする態度は、オリヴァーがエリオに向けてきた態度そのものといえるでしょう。

マルシアの好意に素知らぬふりを続けた結果、エリオは彼女と別れることになります。ですが、エリオがオリヴァーと別れた後、傷心のエリオのもとにマルシアが駆け寄り、振られた側にも関わらず優しく接してあげ、これからも友達でいることを約束してくれます。このシーンは映画オリジナルなのですが、マルシアとエリオの恋模様の着地点としては一番良かったと思います。

 

【苦しみを受け止める】

 オリヴァーがアメリカへと帰ってしまい、彼とと別れた悲しみをどうにか忘れ去ろうとするエリオでしたが、そんな彼に父が優しく語り掛けます。

エリオとオリヴァーの特別な仲を勘づいていた父は、2人の関係を哲学者ミシェル・ド・モンテーニュの遺した“それは彼だったから、それは私だったから(友人ラ・ボエシとの友情関係についてモンテーニュが遺した言葉、二人は同性愛関係にはなかったといわれているが、その関係は並の友情を超えるものだったとか)という言葉で要約します。

実は父もエリオと似たような経験をしており、だからこそ息子が抱える喪失感が理解できるのです。

父はエリオに対し、「自然派洞察鋭く、我々の最も弱い点を見出す」「放っておけば自然に直るものを早く治すため、心の一部をむしり取ってしまえば、心が空っぽになり、新しい相手と関係を始めようとしても、相手に与えられるものが何もない事になってしまう」「私は苦痛をうらやましいとは思わない。しかしお前が苦痛を感じていることをうらやましく思う」と告げます。

エリオと同じような経験をし、その苦しみを受け止めてきた父だからこそ、人の痛みが分かるようになり、今の妻と巡り合い、エリオが生まれ、そして息子にこんな言葉をかけてあげられるのでしょう。

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ユダヤの象徴であるダビデの星を見た瞬間から始まったエリオの恋は、ユダヤの祝祭であるハヌカの日に終わりを告げます。エリオの元にオリヴァーから婚約したという連絡が来たのです。

エリオが「エリオ…」と呼び掛けると、オリヴァーも「オリヴァー…」と答えますが、2人の想いは変わっていなくとも2人の関係は変わってしまったのです。

作中で引用されるヘラクレイトス「万物は流転する」という言葉の通り、2人は決して元のような関係には戻れなくなってしまったのでしょう。

原作では、エリオとオリヴァーがクリスマスに再会し、オリヴァーから直接結婚したという報告を受けるのですが、映画版では再開はせず電話での結婚報告となっていました。これによって、エリオが二度とオリヴァーと会えないということが強調されています。映画版は徹底してエリオを突き放しており、それだけエリオが乗り越えるべき苦しみを重くしています

電話を切ったエリオは暖炉の前に行くと、悲しみを押し殺さず涙を流します。17歳のエリオは、こうして胸の痛みを知ることで大人へと成長していくのです。