映画『ラプラスの魔女』と原作小説『ラプラスの魔女』の比較(ネタバレありの感想)
今回紹介する作品は、
映画『ラプラスの魔女』です。
【あらすじ】
大学で地球科学の教鞭をとる大学教授の青江は、とある温泉地で起きた硫化水素による死亡事故について警察から見識を求められていた。死人が出た現場で、事故なのか事件なのかの調査を行う青江の前に、ふらりと1人の少女が現れた。少女は事故時の状況を訊ねるとすぐに立ち去ってしまった。その数日後、別の温泉地で同様の死亡事故が発生し青江はその事故現場へと赴く。似たような事故が立て続けに発生していたが、青江は状況を見るに計画殺人は不可能だと考え事件性を否定。しかし彼の前に再びあの少女があらわれ、事件現場の気象事象をぴたりと言い当てた。少女に対し何者なのかと青江が訊ねると彼女は「ラプラスの魔女」と答えるのだった…
【原作】
今更紹介する必要もない気がしますが、ご存知の通り東野圭吾氏は日本で有数の大人気作家です。ミステリー・ファンタジー・ヒューマンドラマ・SFと、様々なジャンルの作品を手掛け、いずれも高い評価を受け、数多くの作品が映画化されています。
理系大学出身の東野さんは『ガリレオシリーズ』をはじめとし、『変身』『虹を操る少年』など、科学的知識を生かした作品を多数手がけており、本作も理系小説家としての作家性が発揮されてた一作と言えます。ですが、『ラプラスの魔女』は東野作品の中でも今までの小説とは少々毛色の違う作品となっています。今までの作風通り科学的考証に基づいて物語が展開される部分もあるのですが、非理系の人間ですら引っかかってしまうようなかなりSFチックな部分もあり、科学性と非科学性が綯い交ぜになった不思議なバランスの作品です。(東野さん自身が本作について「デタラメな物語」と語っているほどです)
物語の整合性よりも寓話性を優先した作りのため、かなり好き嫌いが分かれる作品でもあります。展開に引っ掛かる部分は少々あれど、物語のダイナミズムには優れた作品なので、映画化向きと言えるかもしれません。
【スタッフ・キャスト】
本作のメガホンを取ったのは日本トップのフィルムメーカー三池崇史監督です。
東野圭吾作品を三池崇史が映画化と聞いて、見る前は「この組み合わせは大丈夫なのか?」と思っていたのですが、『ラプラスの魔女』の物語のダイナミックさは、三池監督と食い合わせが良く、監督の資質に合った題材のように感じました。
脚本を担当したのは『イキガミ』や『神様の言うとおり』などを手がけた八津弘幸さん。「半沢直樹」や「陸王」など池井戸作品のドラマ化脚本を数多く手掛けてきた八津さんは、小説の映像化のためににまとめる能力に定評があるので良い人選だったとおもいます。
主人公の青江教授を演じたのは、人気アイドルグループ嵐の櫻井翔。三池監督とは『ヤッターマン』以来2度目のタッグとなる櫻井さん。彼のインテリで博識なイメージが、青江教授の役柄に良くはまっており、映画用にアレンジされた天然ぽいキャラクター性も彼のイメージとピッタリ合致していました。
物語の鍵を握るキャラクター、円華と謙人を演じたのは広瀬すずと福士蒼汰。かなりトリッキーな設定のキャラクターを2人とも説得力を持って演じており、小説界からキャラクターをそのままトレースしたかのようでした。
【私見】
70点/100点満点中
特定の主人公らしいキャラクターのいなかった原作小説に対して、映画版は櫻井翔演じる青江を狂言回し的キャラクターとして配置し、ストーリーの核を作り出しています。
キャラクター配置の改変はあれど、原作の物語に対して過度なアレンジを加えることはなく、小説本来のテーマ性も大事にされていました。
原作からカットされてしまった部分が、ミステリー性を若干損ねているのと、原作由来の突飛すぎる展開が少々気になりましたが、複雑な物語を上手くまとめていたと思います。
以下ネタバレあり
【原作との比較】
今回の映画版は多少のアレンジはありますが、基本設定や大筋のストーリーは原作にかなり忠実に作られており、小説がもっていたテーマ性に対してもかなり誠実なアプローチがなされています。
ストーリー面の改変はあまりないのですが、今作ではキャラクターの立ち位置が少し変えられています。小説は明確な主人公を置かない群像劇的な作りなのですが、本作では大学教授の青江をメインのキャラクターとして据えており、超人的な力をもった円華と謙人に対して、青江を常人の代表とすることで対比構造を際立てています。
一般人の青江が、ラプラスの悪魔の人智を超越した力を目撃することで、彼らの覚悟を知るというメッセージ性がが高まっていました。
青江を前面に押し出し多分、刑事の中岡やボディガードの武尾といった小説版の主要キャラクターが、脇役として背景化しており、原作にあった彼らの物語もかなり端折られていました。
中岡が甘粕才生の素顔について知人や娘の友人などから聞き取り調査を行う場面や、元警察官の武尾が、羽原博士に事情聴取に訪れた中岡との会話から行方不明の円華の居場所を割り出すシーンなどが、原作からカットされていました。
【原作からの改良点】
作中ではほとんど何もしていなかった印象の強い青江ですが、彼の行動が微かながら円華に影響を与えています。
映画のクライマックス、廃墟で起こるダウンバーストの強風を見て、円華は竜巻に飲み込まれた母を思い出し怯えてしまいます。それを見た青江は彼女を諭し、ラプラスの魔女になった理由を思い返させます。
青江の人格を表すシーンとして、「地球科学に興味を持ってくれた」という理由から、受講生徒全員に単位を与えているという話が映画オリジナルで加えられています。この部分から青江が人の善性を信じる人間なのだということが分かります。
そんな彼だからこそ、良い方向にも悪い方向にも使えるラプラスの悪魔の力を善き方向へと導くことができたのでしょう。
また、映画版はラプラスの悪魔の力を手に入れた円華と謙人の関係性を原作よりも引き立たせています。
常人には理解できない領域に足を踏み入れ、自分の居場所をなくした2人にとって、特別な光景となるのが"月虹"です。
ラプラスの魔女となった円華は、その想像を絶する力に合わせ、過去のトラウマも鮮明に蘇り苦しみます。そんな時に彼女の支えとなったのが、彼女と同じ力を有するたった1人の存在・謙人でした。2人にしか理解し合えない境地で彼らは支え合い、そんな時に共に眺めたのが月虹です。
2人の関係を丁寧に描く事で、円華が謙人を助けようとする動機が強まっており、月虹を2人にとっての特別な思い出とする事で、物語の美しさや神秘性が高まっていました。
【不満点】
前述の通り、青江をメインキャラクターとして据えた分、中岡や武尾などの物語がかなり薄められています。
特に刑事・中岡の聞き取り調査パートは物語の核心にもなる部分なのですが、大きく端折られ物語が少々歪になっていました。
原作中で中岡は、甘粕才生の知人や才生の娘の友人などから事情聴取を行い、そこで才生が極度の完璧主義者であることや、家族のことを大事になどしていなかったことを知ります。
こうして徐々に最初に抱いていた甘粕才生の善き父親像を崩していくのですが、今回の映画版では、そのような事実がラストで一気に明かされるためかなり飲み込みづらくなっていました。
【ナビエ=ストークス方程式】
宇原博士の脳手術を受け、超人的な知能を手に入れた円華と謙人。すべての自然現象を予測できる彼らは、乱流を予測しカオスをも解き明かそうとします。
彼らが乱流を理解するために突き止めようとするのが、ナビエ‐ストークス方程式です。ナビエストークス方程式は、数学界における7つのミレニアム懸賞問題の一つとされており、いまだに一般解が発見されていない最大の難問です。この方程式が解き明かされれば、流体の挙動を把握することができ、乱流の性質を完全に理解できるといわれています。
映画のクライマックス、円華はダウンバーストによる乱流を完全に把握し、才生と謙人が対峙する廃墟に車を飛ばします。
方程式を解き明かし、乱流の動きを利用した彼女はまさに人智を超えた存在と言えるでしょう。
【甘粕才生という男】
謙人の父甘粕才生は、度を越した完璧主義者ゆえに、自分の理想の家族が作れなかったことに失望し、娘の自殺に見せかけ家族を殺害します。唯一助かった息子・謙人も昏睡状態に陥り、才生は世間から悲劇の主人公として扱われます。彼は自ら作り出したこの悲劇を、小説にまとめ、ゆくゆくは映画化しようと目論んでいたことがラストで明かされます。自分の理想通りでなかった家族を映画の中だけでは完璧な家族にしようとしたのです。
クライマックスの廃墟でのシーン。才生が謙人に対して真実を明かすと、いきなりカメラワークが大仰になり、作為性を感じさせるショットに変わります。このカメラワークはまさに才生の人格を表しています。わざとらしく大げさなショットは、悲劇の主人公を自作自演する才生らしく、いかにも作為的で映画を観ている実感を再認させる画作りは彼が映画の世界にしか生きる居場所を得られなかったことを示しています。
【ラプラスの悪魔】
ラプラスの悪魔とは、ピエール=シモン・ラプラスが提唱した説で、全ての物質の力学的状態と力を知ることが出来、それらを分析できるだけのデータと知性があれば不確実なものは何もなくなり、未来の状態を完全に予知できるという考え方です。
円華は脳手術によって、全ての自然現象を予知する力を手に入れ、ラプラスの魔女となります。しかし、その能力は容易いものではなく、相当の覚悟を伴うものでした。未知を知ってしまうということは、未来を奪われることと同義なのです。
今回の事件では、円華は謙人の凶行を止めることが出来ましたが、これから先、何らかの自然災害発生したとき、彼女は犠牲が出ることを知っていても全てを止めることはできないのです。
未来を知る力を手に入れたヒロインが、避けられぬ悲しい未来を知りながらも、与えられた能力を肯定するという物語は映画『メッセージ』とも共通している気がします。
彼女は青江と出会ったことによって、自分の得た力を少しでも良い方向に使う決意をしたはずです。魔女の力は人類の悲劇的な未来を少しだけ変えてくれるかもしれません。