雁丸(がんまる)の原作代読映画レビュー

原作読んで映画レビューするよ!

映画『スターリンの葬送狂騒曲』と原作コミック『La Mort de Staline』の比較(ネタバレありの感想)

今回紹介する作品は

映画スターリンの葬送狂騒曲です。

 f:id:nyaromix:20180902012430j:plain

【あらすじ】

1953年、ソ連の最高権力者ヨシフ・スターリン脳出血により危篤状態に陥った。すぐに側近たちが邸宅に集められるが、皆一様にスターリンの後釜を狙い、色めき立っていた。そんな中スターリンの補佐役で一番の腹心あったマレンコフが書記長職の代理を務めることになり、マレンコフと手を結んでいたNKVD警備隊トップのベリヤが第一副議長の座を手に入れる。ナンバー2に成り上がったベリヤは、マレンコフを裏で操り権力を振るおうと目論むが、第一書記長のフルシチョフはベリヤに出し抜かれたことが気に入らず、権力者の座を奪取しようと狙っていた…

 

【原作】

原作はファビアン・ニュリ作、ティエリ・ロバン画グラフィックノベル『La Mort de Staline』です。  

スターリンの葬送狂騒曲 (ShoPro Books)

スターリンの葬送狂騒曲 (ShoPro Books)

 

 ↑映画の公開に合わせて邦訳版が映画と同名タイトルでリリースされています。

本作はフランスで出版されたコミックで、いわゆるバンド・デシネと呼ばれる類の作品です。

作者のファビアン・ニュリは、ナチスが開発した吸血鬼兵器を描いた物語『我が名はレギオン』や、移民のユダヤ人少年がパリの暗黒街を牛耳っていく様を描いた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・フランス』などのシナリオを手掛け、世界的権威のあるアングレーム国際漫画賞などを受賞してきた鬼才です。

ニュリ氏は祖父の家でスターリンに関する書籍を発見したことがきっかけで、スターリンの死後の権力闘争に興味を持ったそうです。最初は重たい政治スリラー作品になると思っていたのに、調べていくうちにその実情があまりに馬鹿馬鹿しかったことを知り、恐怖を感じる同時に笑いもしてしまったそうです。作者自身この時のことを、ジョン・ル・カレ作品やロバート・ラドラム作品のような作風を目指していたのに『博士の異常な愛情』のような作品のネタになるものを見つけてしまった」と語っているほどです。

 

【スタッフ・キャスト】

本作のメガホンを取ったのはアーマンド・イアヌッチ監督です。  

In The Loop [Import anglais]
 

 イギリスの国際開発大臣の失言により英米間で混乱が起こって行く様を描いた映画『IN THE LOOP』や、アメリカの女性副大統領の奮闘を描いたドラマ「Veep/ヴィープ」など、政治界のヒリヒリした人間関係を面白おかしく描くことに定評のあるイアヌッチ監督だけに、政治劇でもある本作への起用は彼の資質にピッタリあっていたと思います。

  本作のメインキャラクターとなるフルシチョフを演じたのはスティーブ・ブシェミ。実際のフルシチョフにはあまり似てはいないのですが、スターリンの前での道化っぷりや、権力の座を狙う狡猾さが、熟練の演技で巧みに表現されていました。ブシェミといえばハリウッド随一の殺され役者としても有名ですが、果たして本作で彼は生き残るのか、はたまた亡くなってしまうのかはは是非映画を見て頂きたいです。(史実を知っていれば分かりきったことですが)

フルシチョフと対立するベリヤを演じたのはサイモン・ラッセル・ビールシェイクスピア俳優として知られる名優だけに、極めて下劣で最低野郎のベリヤを演じるのにはかなりギャップを感じたのですが、悪漢で憎たらしいベリヤを見事に演じていました。出演者の中でベリヤが一番、史実に近いビジュアルだったと思います。

 

私見

84点/100点満点中

原作コミック以上にコメディ要素を強めた本作は、登場人物の殆どが滑稽なキャラクターとして描かれています。ただ滑稽と言っても、間が抜けているというわけではなく、政敵の失脚や民衆からの人気取りを目論んだ結果、思いもよらぬ方向へと事が転がっていき、狼狽する人間の滑稽さが描かれています。(マレンコフは完全に間の抜けたキャラクターとして描かれていましたが…)彼らの権力闘争の影で犠牲になった人々の姿もきちんととらえており、馬鹿馬鹿しい物語でありながら、作り手がとても誠実に作っている印象を受けました。

半世紀以上前の事件がベースとなった物語ですが、現代にも通ずる鋭い皮肉が効いていて、笑える部分とゾッとする部分が絶妙な塩梅で両立していました。

 

 

 

以下ネタバレあり 

続きを読む

映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』と原作漫画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』の比較(ネタバレありの感想)

今回紹介する作品は、

映画志乃ちゃんは自分の名前が言えないです。

 f:id:nyaromix:20180822120936j:plain

 【あらすじ】

人と喋ろうとするとどうしても言葉が詰まってしまう少女・大島志乃。彼女はこの春から高校一年の新学期を迎えようとしていた。人前で上手く話すことの出来ない志乃は、新しいクラスで上手く自己紹介が出来ず、 みんなの笑い者になってしまう。友達も出来ずひとりぼっちの志乃だったが、ひょんなことからクラスメイトの加代と知り合い、友達になって行く。ギターを弾けるが音痴の加代は、カラオケで朗々と歌を唄う志乃の姿を見て「私と組もう」と提案するのだが…

 

【原作】

原作は押見修造さんの同名漫画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』です。

本作は2011年から2012年にかけて太田出版WEB連載空間『ぼこぽこ』に連載されていた作品で、単行本化されると大きな話題を呼び、ロングセラーとなりました。

押見先生自身も、学生時代に吃音症に悩まされていたそうで、この漫画は自身の実体験が下敷きになっているそうです。(押見修造と、本作の主人公・大島志乃のイニシャルがO・Sで一緒なのもおそらくそういった理由)

押見先生が喋りに不自由さを感じるようになったのは中学生の頃だったそうなのですが、それを「吃音」というものだと知るのはしばらく後のことだったといいます。

吃音は大きく2種類に分けられ、最初の音が連発して出てしまう「連発型」と、最初の音がうまく出てこない「難発型」があるそうです。押見先生は後者の難発型で、本作の主人公も「…………っ……お、……おお……」というように、最初の音がうまく出せない吃音者として描かれています。

 

【スタッフ・キャスト】

メガホンを取ったのは、本作が長編商業映画デビューとなる湯浅弘章監督です。

 

自主制作映画界出身の湯浅監督は、ぴあフィルムフェスティバルなどで多数の賞を受賞し、林海象監督や押井守監督のもとで助監督を務めてきた方です。

これまで多くのテレビドラマやミュージックビデオ手掛けてきた湯浅監督ですが、映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』のルーツともいえる作品が、乃木坂46『大人への近道』のMVです。どちらも同じ沼津ロケの作品(映画とMVで同じ撮影場所もチラホラ)で、海沿いを歩くシーンやバスに揺られる少女たちなど、MVにあった印象的なショットが、映画にも盛り込まれています。なにより、少女たちの刹那的な輝きを捉えることに卓越した監督なので、本作に湯浅監督の起用したのは大英断だと思います。

本作の脚本を担当したのは、『百円の恋』や『嘘八百』などを手がけた足立紳。小説家としても精力的に活動している足立さんだけに、多少の脚色を交えながらも原作へのリスペクトがしっかり感じられる脚本に仕上がっていました。

主人公・志乃を演じたのは『幼な子われらに生まれ』などに出演した南沙良。まだまだキャリアの浅い新星ながら、吃音の少女という難しい役どころを見事に演じきり、堂に入った演技をしていました。特に心を鷲掴みにされたのは、彼女の中の演技で、華麗な泣き顔ではなく、顔じゅうをグシャグシャにしながら涙する姿に心を打たれました。

志乃の親友・加代を演じた蒔田彩珠の演技も大変素晴らしく、クールであまり感情を表に出さない加代がふとした瞬間に感情を露わにするメリハリの効いた演技でとても良かったです。

 

私見

96点/100点満点中

原作の世界観を壊さず丁寧に映像化し、漫画へのリスペクトが存分に伝わってくる作品になっていました。原作が大事にしていたテーマをうまく汲み取りつつ、改変された点や映画オリジナルで加えられたシーンも作品世界に広がりを持たせていました。

志乃と加代を演じた2人の演技も素晴らしく、彼女たちが仲良くはしゃぐシーンは何時間でも見ていたかったです。

劇中曲も、ストーリーとマッチしていて柔らかい歌声がとても耳心地良かったです。

 

 

 

以下ネタバレあり

続きを読む

映画『ワンダー 君は太陽』と原作小説『ワンダー Wonder』の比較(ネタバレありの感想)

今回紹介する作品は

ワンダー 君は太陽です。

 f:id:nyaromix:20180805191308j:plain

 【あらすじ】

遺伝子疾患により人とは違った顔を持つ少年、オーガスト。27回もの手術を行い、今まで自宅でしか勉強をしたことがなかったオーガストだったが、母・イザベルの決意により、5年生の初日から学校へ通うこととなった。初登校の日、オーガストは緊張しながらも、いつも被っている宇宙服のヘルメットをとり、校内へと踏み出していく。こうしてオーガストの学校生活は始まっていくのだが…

 

【原作】

原作はR・J・パラシオの小説『Wonder ワンダー』です。

ワンダー Wonder

ワンダー Wonder

 

パラシオさんは元々、アートディレクター兼グラフィックデザイナーとして活動していた方なのですが、数年前のある日、トリーチャーコリンズ症の子供に出会ったことがきっかけで本作の執筆を始めたそうです。

その日パラシオさんは、息子たちと共にアイスクリーム店に出かけ、店の前のベンチに座ってのですが、その時隣に座っていた女の子が頭部の骨格に障がいを抱える子だったらしく、それに気づいた3歳の子供が怯えて大泣きしてしまったそうです。

それに慌てたパラシオさんは、なんとかその場を取り繕おうとするも、子供は泣きわめくわ、買ったシェイクを床にぶちまけるわで、ひどい惨状と化してしまったそうです。そうする間に女の子は母と共に去ってしまったそうで、パラシオさんはこの時の振る舞いを猛烈に悔い、どうすれば良かったのか考えを巡らせ、本作の執筆に取り掛かったといいます。

パラシオさんのこのエピソードは、小説内ではジャックウィルの章で描かれており、映画版にもしっかり取り入れられています。

この本が出版されると話題が話題を呼び、世界各国で800万部を売り上げる大ヒット作となりました。

しかし、熱い感想が世界中から寄せられる中、本作中に登場したいじめっ子のジュリアンを強く非難する声が高まり《KEEP CALM AND DON'T BE A JULIAN(冷静さを保ち、ジュリアンになるな)》という運動が起こり始めました。パラシオさんは本作の続編を書く気は無かったのですが、本意ではない運動の盛り上がりに対してアンサーを返すために、ジュリアンら、本作で描かれなかった子供たちのそれぞれの背景を描いた『もうひとつのワンダー』を出版しました。

もうひとつのワンダー

もうひとつのワンダー

 

『もうひとつのワンダー』では、ジュリアンがオギーをいじめ始めたきっかけが緻密に描かれており、ジュリアンが初めて見たオーガストに本気で怯え悪夢障害に悩まされていたことや、彼の母親の愛ゆえの過激な暴走、仲の良かったジャックがオーガストに取られたような苛立ちなどジュリアン側のバックグラウンドが記されています。ですが、あくまでジュリアンを擁護するような描かれ方ではなく、彼のことを理解するための極めて客観視点的な描かれ方になっているところがパラシオさんの見事なバランス感覚だと思います。

今回の映画版には、ジュリアン(とその両親)がトゥシュマン先生と話をするシーンが描かれてます。少々原作と形は異なりますが、そのシーンは『もうひとつのワンダー』に倣って盛り込まれたシーンです。

 

【スタッフ・キャスト】

本作のメガホンを取ったのはスティーブン・チョボスキー監督です。

ウォールフラワー スペシャル・プライス [DVD]

ウォールフラワー スペシャル・プライス [DVD]

 

『RENT/レント』や『美女と野獣』で脚本を手掛け、自身の小説『ウォールフラワー』の映画化に際しては自ら監督・脚本・製作総指揮を務めたチョボスキー監督だけに、本作においても原作からの換骨奪胎がとても上手くできていました

プロデューサーから本作の映画化の話を持ちかけられた時、チョボスキー監督は最初はその依頼を断っていたのですが、小説を読みその内容の素晴らしさに惚れ込み、メガホンを取る決意をしたそうです。そういった経緯もあり原作へのリスペクトがふんだんに込められた映画に仕上がっていました。

主人公・オーガストを演じたのは『ルーム』でその名を世界に轟かせた天才子役ジェイコブ・トレンブレイ。特殊メイクで作られた顔のために、表情が作りづらい難しい役どころながら、その繊細な演技でオギーの心情を見事に表現していて感服させられました。

オギーの両親をジュリア・ロバーツオーウェン・ウィルソンが演じるなど脇を固める役者たちも大変素晴らしく、物語への没入感を高めてくれました。

 

私見

93点/100点満点中

製作陣がいかに原作に惚れ込んでいるかが伝わるほど、小説へのリスペクトがふんだんに込められた作品に仕上がっており、原作小説の感動をそのままに味わえる映画に仕上がっていました。

役者陣のアンサンブルも素晴らしく、物語にぐんぐん引き込まれます。

複数のキャラクターを章ごとにメインに据えて描く群像劇的な作りでありながら、誰一人疎かに描いておらず巧すぎる作りに感服しました。

最後には滂沱の涙が流れる家族で見て欲しい作品です。

 

 

 

以下ネタバレあり

 

 

 

【原作との比較】

映画『ワンダー』は原作にかなり忠実作られており、何点かの省略や時系列の入れ替えはあるもの基本のストーリーは原作通りに進んでいきます。

登場人物ごとに章分けされた構成も原作通りで、オギー以外のキャラクターの感情の機微もしっかりと描かれています。

今回の映画版はオギー、ヴァア、ミランダ、ジャックウィルの4人の話をメインに物語を構成しており、原作にあったオギーの同級生・サマーの章と、ヴィアの恋人・ジャスティンの章が端折られています。原作では、サマーは初めひとりぼっちでランチを食べているオギーに同情心から声を掛けたのですが、オギーのことを知るうちに彼の面白さに気付いていき、心から親しくなっていきます。ヴィアの恋人ジャスティンも初めてオギーと会ったときはその顔に面食らったものの、プルマン家の幸せそうな様子を見て、オギーそしてヴィアをささやかながら支えています。映画版はサマーやジャスティンの章こそないものの、彼らのキャラクター性や心境がきちんと汲み取れるように描かれていて良かったです。

他にもオギーが補聴器をつけるシーンや、オギーと仲直りしたジャックウィルがジュリアンから陰湿ないじめを受けるシーンなどが削られていました。 しかしながら原作エピソードの取捨選択は実に巧みだったと思います。

f:id:nyaromix:20180809072248j:plain

映画版のオギーのビジュアルは、『マレフィセント』でも特殊メイクを務めたアリエン・タイテンさんが手掛けているので、とても良く出来ているのですが、「オーガストの目は、普通目がある位置よりも3センチ下に付いている」「眼球が入りきるだけの穴がなく目玉が大きく外に飛び出している」「鼻は顔と不釣り合いに大きい」「耳のあるべきところはへこんでいて、顔の真ん中あたりを両側から巨大なパンチで潰されたみたい」と記されている原作中のビジュアルと比べるとやや整いすぎているようにも感じました。

 

【原作からの改良点】

映画版のオギーは、宇宙飛行士への憧れが原作よりグッと前面に出ています。映画は冒頭シーンから宇宙服のヘルメットを被ったオギーのカット原作ではで始まり、ラストショットでもその姿が映し出されています。彼にとって宇宙飛行士への憧れは、見た目によって差別されないSF世界への憧れでもあります。その一方で彼の被る宇宙服のヘルメットは他人に自分の顔を晒さないための消極的な防御策でもあります。

 原作では物語の始まった時点から既にオギーのヘルメットが父親に隠されていたのですが、映画版では序盤のシーンまでオギーがヘルメットをかぶり続けており、初登校時にオギーがヘルメットを脱いで学校に向かうシーンが加えられています。これによって他の児童から奇異な目で見られるオギー、そしてそれを見守るオギーの家族の緊張感を観客も味わえるようになっていました。

また、原作ではオギーのヘルメットは父親によって捨てられていたのですが、映画版では父の会社に置いてあることになっています。ネガティブな意味合いのあるアイテムとはいえ、せっかくミランダがくれたものなので、こちらの改変の方が道義的に良かったと思います。

f:id:nyaromix:20180809072300j:plain

原作本は2013年に出版されたものなので、だいぶ現代的な物語ではあるのですが、原作ではFacebook上だったジャックウィルとの仲直りシーンが、マインクラフト上でのやり取りに変わっており、より現代的に改変され子供らしさも加わっていました

 

 

【正しいことより親切なこと】

オギーのクラスのホームルーム担任・ブラウン先生は、いつも子供たちに世界各国の有名な格言を教えるのですが、彼が最初に教えた格言がアメリカの著作家ウェイン・W・ダイアーの「正しいことをするか、親切なことをするか、どちらかを選ぶときには、親切な方を選べ」という言葉です。

この言葉は『Wonder』の評判とともに世界各国に広まり"Choose Kind(親切であることを選ぶ)"という意思表明の運動がSNS上で沸き上がりました。

f:id:nyaromix:20180809072309j:plain
オギーの初めての親友・ジャックウィル。ハロウィンの日、ジュリアンたちと話していたジャックは、同調圧力と保身からオギーが近くにいると知らず彼の悪口を発してしまいました。そのせいでオギーに距離を置かれてしまったジャックでしたが、のちに自分の過ちに気付きます。自分の過ちを悔いるジャックの前で、いじめっ子のジュリアンがオギーを揶揄し、その言葉を聞いたジャックは思わずジュリアンを殴ってしまいます。

 人に対して手をあげることは必ずしも正しい行為とは言えないですし、ましてやジャックは貧乏な家庭で奨学金をもらって学校に通っているので暴力沙汰は奨学金の停止、果ては退学にも繋がりかねない行いです。しかし、彼は友達の尊厳を守るためいじめっ子に果敢に立ち向かったのです。

 ひとりぼっちのオギーに手を差し伸べてくれたサマーもまた、正しさより親切を選んだ体現者です。周囲からペスト菌扱いされ、誰もオギーに近寄ろうとしない中、サマーは女子グループの忠告を捨て置き、オギーと友達になります。学校中で腫れ物扱いされているオギーと仲良くなるのは、女子友達との友人関係を壊しかねないリスクを伴うものですが、彼女は打算的な正しさよりも親切であることを選びました

ジュリアンとともにオギーをいじめていたエイモスたちも、森林学校で上級生に絡まれていたオギーを助けるため、皆で立ち向かいます。

そしてみんなの親切の集合が、やがて大きな奇跡を起こして行くのです。

 

【ヴィアとミランダ】

この作品が他のヒューマンドラマ映画と一線を画している点は、ハンディキャップを乗り越える主人公だけを映すのではなく、その周囲で陰ながら寂しい思いをしている人にも寄り添っているところでしょう。

オギーの姉・ヴィアは、父と母の関心がいつも弟にばかり注がれ、なかなか両親に振り向いてもらえず、かといって弟を差し置いて自分に注目してもらおうとアピールすることも気が引けて出来ないという難しい立場にいます。彼女が「オギーは太陽で、私とママとパパは太陽を囲む惑星」と言うのも中々寂しいセリフです。自分を気にかけてくれていたおばあちゃんも亡くなってしまい、加えて幼馴染のミランダからは高校に入った途端になぜか距離を置かれてしまいます。

 そんな中で彼女がジャスティンと出会い、足を踏み入れたのが演劇の世界です。両親に振り向いてもらえないというコンプレックを抱える彼女が、観客からの視線を一身に集める演劇に挑戦したのはヴィアが彼女なりに見つけ出した自分を輝かせるための方法といえるでしょう。

f:id:nyaromix:20180809072320j:plain

ヴィアの幼馴染・ミランダは、プルマン家の幸せそうな姿に焦がれ、ヴィアの居ないサマーキャンプで「私には奇形の弟がいる」と虚言を弄し、注目の的になってしまいます。その結果、ヴィアに顔向けしにくくなってしまったミランダは、自然と彼女を避けるようになってしまいました。

オギーに焦がれるヴィアと、ヴィアに焦がれるミランダ。仲違いしている2人ですが、抱えるコンプレックスは似た者同士といえます。

ミランダが主役を務める予定だった舞台「わが街」。しかし、ヴィアの家族が観劇に来ていることを知ったミランダは、代役の彼女に自分の役を譲ります。元はごっこ遊びの延長で奇形の弟がいる姉を演じてしまったミランダが、今度は逆に自分の役をヴィアに演じてもらうというのは彼女なりの贖罪といえるかもしれません。

 自分の役を完璧にこなしたヴィアに、観客からの大喝采の拍手が送られます。そのシーンで、幼き日のヴィアが誕生日のお祝いで両親に「弟が欲しい」と言うフラッシュバックが差し込まれます。このシーンは原作にはない映画版オリジナルで加えられた演出です。ヴィアもオギーと同じようにちゃんと両親から愛されている事が伝わる涙腺を刺激するシーンでした。

 

【あなたは奇跡】

頰やあごの骨、耳、鼻などがうまく形成されず、極端に垂れた目が特徴的な疾患、トリーチャー・コリンズ症候群。日本では5万人に1人の確率で生まれるというこの疾患。その症状は外見だけでなく、呼吸、聴覚、視覚にまで影響し、幼い頃から再建手術を繰り返さなければなりません。

オギーもまた27回もの手術を繰り返し、外の世界にほとんど触れない生活を送って来ました。度重なる手術を受けてきたオギーに、両親はいつも付きっ切りで、自分の時間などほとんどありません。

そんな中、母・イザベルは10歳を迎えたオギーを学校へ通わせる決意をします。最初は反対していた父・ネートも覚悟を決め、息子を学校へと送り出します。

もし、オギーが学校へ行かなくても、彼は両親から一身に愛され、誰からも傷つけられることなく幸せに暮らすことができるかもしれません。しかし今のままではオギー、そして家族の世界は依然変わらないままなのです。

オギーと家族の勇気ある一歩が、彼の世界を変えるきっかけとなっていきます。

f:id:nyaromix:20180809072330j:plain

オギーが学校へと通うようになってから、彼の世界も彼の周りの人々の世界も変わっていきます。

 これまでずっとオギーを見守り続け、すっかり自分の時間を忘れていたイザベルは、停滞していた美術の修士論文に取り掛かります。オギーが1歩踏み出すことで、彼の家族の世界も動き出して行くのです。

オギーは、悪意を持った人たちから傷つけられながらも学校へ通い続け、いつしか徐々に周りの人々を魅了していきます。トゥシュマン校長が「静かな強さで大勢の心を掴んだ」と評したとおり、オギーは勇気の力で世界を変えたのです。

人とは異なる顔という彼のスティグマが、彼の強い芯のある男の子へと成長させ、そしてその強さが人々を魅了しWonder(奇跡)を起こしたのです。

忘れてはならないのは、オギーは特別な顔を持っただけのごく普通の男の子であるということです。1人の普通の少年が世界を変えるという物語は、境遇の異なる我々にも大きな勇気を与えてくれました。

 

映画『ビューティフル・デイ』と原作小説『You Were Never Really Here』の比較(ネタバレありの感想)

今回紹介する作品は、

映画ビューティフル・デイです。   

f:id:nyaromix:20180704143642j:plain

【あらすじ】

誘拐された子供の救出を生業とするフリーランサージョー。母と二人で静かに暮らすジョーは、幼少期に父から受けた虐待と、海兵隊・FBI時代に経験したトラウマに苛まれ、いつも自殺未遂を図っていた。そんなある日、ジョーの元に州上院議員・ヴォットより、失踪した娘のニーナを裏社会の売春組織から取り戻して欲しいという依頼が舞い込む。ジョーは依頼通り、売春が行われているビルへと向かったのだが…

 

【原作】

原作はジョナサン・エイムズの小説『You Were Never Really Here』です。  

ビューティフル・デイ (ハヤカワ文庫NV)

ビューティフル・デイ (ハヤカワ文庫NV)

 

 ↑映画の公開に合わせて、映画と同名タイトルで小説の翻訳版が発刊されています。

本著は2013年に電子版でリリースされた作品で、今年20ページ分の書き足しを加えて書籍として発刊された中編小説です。

原作者のジョナサン・エイムズは小説家・エッセイストでありながら、映画・ドラマ業界でも活躍しており、ポール・ダノ主演の映画『The Extra Man』では原作・脚本、TVドラマ『ボアード・トゥ・デス』では企画・製作総指揮を務めるなど実に多彩な作家です。

彼の作品のこれまでの作風は、どちらかというとコメディ寄りのものが多かったのですが、本作はコメディ色をほぼ廃して、シリアスでダーティーな男の物語に仕上げています。

原作中で出てくる売春現場の娼館は、原作者の家の近くに実際にあった建物をモデルにしているそうで、売春業者の使いっ走りとして登場する男も実在のモデルがいるそうです。

 

【スタッフ・キャスト】

本作のメガホンを取ったのは『僕と空と麦畑』や『少年は残酷な弓を射る』を手掛けたリン・ラムジー監督です。  

少年は残酷な弓を射る [DVD]

少年は残酷な弓を射る [DVD]

 

 ラムジー監督の作品は、ブラックな物語の中に人間の繊細な心情描き出す作風のものが多く、本作もそういった資質がよく表れた作品となっています。シリアスな物語の中にふと笑ってしまうような描写を入れるのもこの監督の特徴で、作中に絶妙に織り交ぜられるブラックコメディ要素が物語に緩急を生み出しています。また、ラムジー監督は本作で脚本も務めており、カンヌ映画祭脚本賞を受賞しています。原作にリスペクトを込めつつ独自の作家性も存分に発揮させており、確かに良く出来た脚本でした。

本作の音楽を担当したのはジョニー・グリーンウッド。世界中から愛されるロックバンド・レディオヘッドのメンバーでありながら、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』や『ファントム・スレッド』などで映画音楽を手掛けたりもする才人です。ラムジー監督とは『少年は残酷な弓を射る』以来2度目のタッグとなり、本作ではエレクトロニックサウンドと低音のストリングスを効かせた劇伴で物語に不穏さを与えていました。

主人公・ジョーを演じたのはホアキン・フェニックス。彼は今作でカンヌ映画祭の主演男優賞を受賞しています。本作で彼が見せる表情は本当に心を病んでしまった男にしか見えず、彼の死んだ目が脳裏に焼き付いて離れませんでした。昨今の映画作品ではヒーローや暗殺者を演じるにあたって体を引き締め筋骨隆々に仕上げる役者が多いですが、彼は逆に体を増量させることに挑んだそうです。原作のジョーのビジュアルとはかなり異なるのですが、映画版のジョーは、その見た目だけで心に傷を負った中年男に見えました。

 

私見

83点/100点満点中

映画前半は原作に忠実に映像化されているのに対し、後半部は監督の作家性がかなり前面に出た脚本になっています。しかしながら、登場人物のキャラクター性はきちんと一貫性が保たれていて、改変部にも好感が持てました。

主人公の弱い部分を原作よりも前面に押し出し、その小説では出番の少なかったヒロインの少女を、主人公にとってのメンター的な役割として引き立てているのも良かったです。

全編を通して流れる低音の劇伴も、ダークでシリアスな物語に良いアクセントを与えていました。

 

 

 

以下ネタバレあり

続きを読む

映画『のみとり侍』と原作小説『蚤とり侍』の比較(ネタバレありの感想)

今回紹介する作品は

映画のみとり侍です。 

f:id:nyaromix:20180617114241j:plain

【あらすじ】

時は江戸。越後長岡藩の勘定方書役として出世街道をひた走っていた小林廣之進は、ある日の歌詠み会で、藩主の牧野備前守忠精が作った歌が良寛の歌に酷似していることを指摘し、忠精の逆鱗に触れてしまう。主君から「猫の蚤取りになって無様に暮らせ」と吐き捨てられた廣之進は、言われるがままに"蚤取り屋"に行き雇ってもらうよう申し出る。しかし、蚤取り屋の実態とは、寂しい女性と床を共にする裏稼業だった…

 

【原作】

原作は小松重男の同名小説『蚤取り侍』です。

蚤とり侍 (光文社時代小説文庫)

蚤とり侍 (光文社時代小説文庫)

 

表題となっている『蚤取り侍』は、短編小説集の中の一作で、今回の映画はこの表題作品の他に2作の短編を織り交ぜて映像化しています。

 原作者の小松重男さんは、元々鎌倉アカデミアの演劇科出身で、卒業後は松竹大船撮影所で『古都』や『愛と死』などで知られる映画監督の中村登に師事した方です。その後は前進座という歌舞伎劇団で文芸演出部を務め、新協劇団という劇団では演出部に就くなど演劇界で精力的に活動されてきました。その演劇映画界で培った知識や演出術が、小松さんの作品の礎となっています。

作家としてのキャリアのスタートはかなり遅咲きで、46歳でデビュー作『年季奉公』を発表。その作品で早速オール讀物新人賞を受賞します。その後は、『鰈の縁側』『シベリヤ』で直木賞候補にノミネートされるなど、めざましい活躍を見せました。(『年季奉公』と『鰈の縁側』は本著の中に収録されています。)

しかし、残念なことに昨年2017年、小松さんは亡くなられてしまい、この映画を観ることは叶いませんでした

 

【スタッフ・キャスト】

本作のメガホンをとったのは、『愛の流刑地』や『後妻業の女』の鶴橋康夫監督です。 

後妻業の女 DVD通常版

後妻業の女 DVD通常版

 

 鶴橋監督はこれまでの映画作品でもれなく業の深い男女の性愛をテーマにしており、『のみとり侍』もこれまでの作風に漏れず、男女の性愛とその業を描いた作品となっています。鶴橋監督は本作の脚本も務めているのですが、蚤とり屋という男娼商売は確かに存在したものの文献が多くなく、時代考証担当の大石学さん東京学芸大学教授)と共に創作性を織り交ぜつつキャラクターを作り上げていったそうです。

主人公・小林廣之進を演じたのは阿部寛。鶴橋監督とはテレビドラマ「天国と地獄」以来のタッグとなる阿部さんは、愚直すぎる藩士の役がピッタリとはまっており、真面目さとどん臭さのあるキャラクターを好演していました。

 

私見

70点/100点満点中

小松重男さんの短編小説3つを繋ぎ合わせて1本の作品としてまとめた本作。

原作小説の魅力であった、人間の可笑しみや愛おしさがきちんと映像作品として昇華されており、原作者に対してのリスペクトが感じられました。

原作よりも人情劇的に仕上げた演出や、映画オリジナルで加わった政治的展開など映画としての面白さも加えられていて良かったです。

ただ、3つの作品を繋ぎ合わせたことによる歪さも少し感じられました。

 

 

 

以下ネタバレあり

続きを読む

映画『狐狼の血』と原作小説『狐狼の血』の比較(ネタバレありの感想)

今回紹介する作品は

映画『狐狼の血』です。

f:id:nyaromix:20180602154513j:plain

 【あらすじ】

昭和63年、広島県・呉原市。この街では、地場のヤクザ尾谷組と広島に進出を始めた五十子会の下部組織加古村組での小競り合いが続いており、いつ抗争に発展してもおかしくない状況だった。

広島大学出身のエリート巡査・日岡は、呉原東署な刑事ニ課に配属され、マル暴の巡査部長・大上の補佐に抜擢される。2人は加古村組のフロント企業であった呉原金融の上早稲という経理担当者が謎の失踪を遂げた事件の捜査を始めるが、大上の捜査手法は、法律を逸脱した信じがたいものだった…

 

【原作】

原作は柚山裕子さんの同名小説『狐狼の血』です。

孤狼の血 (角川文庫)

孤狼の血 (角川文庫)

 

文芸誌『小説 野性時代』に連載されていた本作は、柚月先生にとってはじめての悪徳警官もので、これまでの作風とは異なる無骨な男たちの物語です(呉原市という架空の街は、作者の過去作でも舞台になっています)。文芸界でも高い評価を受けた本作は、日本推理作家協会賞山田風太郎賞候補、直木三十五賞候補などに選ばれています。

本作の執筆の一因となったのが深作欣二監督作の仁義なき戦いシリーズです。柚月先生が作家としてデビューし数年が経ったある時、笠原和夫の本を読んだ事をきっかけに鑑賞した『仁義なき戦い』第1作目に脳天をかち割られるほどの衝撃を受けたそうで、その後シリーズ全作を鑑賞し、『仁義の墓場』などの東映実録やくざ映画を全て鑑賞したと語っています。とくに本作に大きな影響を与えたのが県警対組織暴力です。『県警対組織暴力』はヤクザとの癒着を厭わない粗暴な刑事(菅原文太)を主人公とした作品で、本作と同じく広島県が舞台となっています(こちらの作品は倉島市という架空の都市)。また、柚月先生は悪徳刑事と新米刑事の対立を描いたバディムービー『トレーニング・デイ』も愛好しているそうで、そういった男くさい映画たちがこの作品の根幹をなしているといえるでしょう。

今年の3月に『孤狼の血』の続編となる『凶犬の眼』という作品が発刊されており、本作の主人公・日岡の数年後の姿が描かれています。そして現在、若き日の大上を描いた『暴虎の牙』という作品が岩手日報で新聞連載中です。

 

【スタッフ・キャスト】

本作のメガホンをとったのは『凶悪』や『彼女がその名を知らない鳥たち』の白石和彌監督です。 

gensakudaidoku.hatenablog.com

監督にとっては『日本で一番悪い奴ら』に続いての悪徳警官ものとなる本作。原作の物語自体が完全に監督の資質に合ったものなので、この抜擢は英断だと感じました。白石監督は『凶悪』や『日本で一番悪い奴ら』に似たテイストの作品を撮ることに抵抗があったそうなのですが、原作のおもしろさに感銘を受け監督を務める決意をしたそうです。

脚本を担当したのは『日本で一番悪い奴ら』で白石監督とタッグを組んだ池上純哉。池上さんはこの作品を“父と息子”の物語としてまとめるよう意識したそうで、この作品へのフォーカスの当て方としてはかなり誠実なアプローチだと感じました。

主人公・日岡を演じたのは松坂桃李。若手ナンバーワン俳優(僕個人の私感)だけあって、実直な新米刑事が徐々に荒々しくなっていく様を熱のこもった演技で熱演していました。

そして、この物語のキーパーソン・大上を演じたのは役所広司。役所さんの芸名は「役どころが広くなる」ことを祈念してつけられた名前らしいのですが、本作では今までの役のイメージとは正反対の雄々しい刑事を演じていて、その名に恥じない好演でした。

 

私見

88点/100点満点中

原作に対して多少のアレンジを加えながらも、物語の根幹を損なっておらず、東映ヤクザ映画にふさわしい骨太な作品になっていました。

原作のウェットな部分を削いで、かなりドライな風合いの作品に仕上げたのも、くどくなくてとても好感が持てました。

原作と異なるクライマックスはやや違和感が残ったものの、男のプライドがぶつかり合う様がカッコよく仕上がっていたので、まぁ悪くなかったかなと思います。

 

 

 

 

 以下ネタバレあり

続きを読む

映画『ラプラスの魔女』と原作小説『ラプラスの魔女』の比較(ネタバレありの感想)

今回紹介する作品は、

映画ラプラスの魔女です。f:id:nyaromix:20180524193023j:plain

【あらすじ】

大学で地球科学の教鞭をとる大学教授の青江は、とある温泉地で起きた硫化水素による死亡事故について警察から見識を求められていた。死人が出た現場で、事故なのか事件なのかの調査を行う青江の前に、ふらりと1人の少女が現れた。少女は事故時の状況を訊ねるとすぐに立ち去ってしまった。その数日後、別の温泉地で同様の死亡事故が発生し青江はその事故現場へと赴く。似たような事故が立て続けに発生していたが、青江は状況を見るに計画殺人は不可能だと考え事件性を否定。しかし彼の前に再びあの少女があらわれ、事件現場の気象事象をぴたりと言い当てた。少女に対し何者なのかと青江が訊ねると彼女は「ラプラスの魔女」と答えるのだった…

【原作】

原作は東野圭吾の同名小説『ラプラスの魔女』です。 

ラプラスの魔女 (角川文庫)

ラプラスの魔女 (角川文庫)

 

 今更紹介する必要もない気がしますが、ご存知の通り東野圭吾氏は日本で有数の大人気作家です。ミステリー・ファンタジー・ヒューマンドラマ・SFと、様々なジャンルの作品を手掛け、いずれも高い評価を受け、数多くの作品が映画化されています。

理系大学出身の東野さんは『ガリレオシリーズ』をはじめとし、『変身』『虹を操る少年』など、科学的知識を生かした作品を多数手がけており、本作も理系小説家としての作家性が発揮されてた一作と言えます。ですが、ラプラスの魔女』は東野作品の中でも今までの小説とは少々毛色の違う作品となっています。今までの作風通り科学的考証に基づいて物語が展開される部分もあるのですが、非理系の人間ですら引っかかってしまうようなかなりSFチックな部分もあり、科学性と非科学性が綯い交ぜになった不思議なバランスの作品です。(東野さん自身が本作について「デタラメな物語」と語っているほどです)

物語の整合性よりも寓話性を優先した作りのため、かなり好き嫌いが分かれる作品でもあります。展開に引っ掛かる部分は少々あれど、物語のダイナミズムには優れた作品なので、映画化向きと言えるかもしれません。

 

【スタッフ・キャスト】

本作のメガホンを取ったのは日本トップのフィルムメーカー三池崇史監督です。

gensakudaidoku.hatenablog.com 

東野圭吾作品を三池崇史が映画化と聞いて、見る前は「この組み合わせは大丈夫なのか?」と思っていたのですが、『ラプラスの魔女』の物語のダイナミックさは、三池監督と食い合わせが良く、監督の資質に合った題材のように感じました。

脚本を担当したのは『イキガミ』や『神様の言うとおり』などを手がけた八津弘幸さん。「半沢直樹」や「陸王」など池井戸作品のドラマ化脚本を数多く手掛けてきた八津さんは、小説の映像化のためににまとめる能力に定評があるので良い人選だったとおもいます。

主人公の青江教授を演じたのは、人気アイドルグループ嵐の櫻井翔。三池監督とは『ヤッターマン』以来2度目のタッグとなる櫻井さん。彼のインテリで博識なイメージが、青江教授の役柄に良くはまっており、映画用にアレンジされた天然ぽいキャラクター性も彼のイメージとピッタリ合致していました。

物語の鍵を握るキャラクター、円華と謙人を演じたのは広瀬すず福士蒼汰。かなりトリッキーな設定のキャラクターを2人とも説得力を持って演じており、小説界からキャラクターをそのままトレースしたかのようでした。

 

私見

70点/100点満点中

特定の主人公らしいキャラクターのいなかった原作小説に対して、映画版は櫻井翔演じる青江を狂言回し的キャラクターとして配置し、ストーリーの核を作り出しています。

キャラクター配置の改変はあれど、原作の物語に対して過度なアレンジを加えることはなく、小説本来のテーマ性も大事にされていました。

原作からカットされてしまった部分が、ミステリー性を若干損ねているのと、原作由来の突飛すぎる展開が少々気になりましたが、複雑な物語を上手くまとめていたと思います。 

 

 

以下ネタバレあり

続きを読む