雁丸(がんまる)の原作代読映画レビュー

原作読んで映画レビューするよ!

映画『狐狼の血』と原作小説『狐狼の血』の比較(ネタバレありの感想)

今回紹介する作品は

映画『狐狼の血』です。

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 【あらすじ】

昭和63年、広島県・呉原市。この街では、地場のヤクザ尾谷組と広島に進出を始めた五十子会の下部組織加古村組での小競り合いが続いており、いつ抗争に発展してもおかしくない状況だった。

広島大学出身のエリート巡査・日岡は、呉原東署な刑事ニ課に配属され、マル暴の巡査部長・大上の補佐に抜擢される。2人は加古村組のフロント企業であった呉原金融の上早稲という経理担当者が謎の失踪を遂げた事件の捜査を始めるが、大上の捜査手法は、法律を逸脱した信じがたいものだった…

 

【原作】

原作は柚山裕子さんの同名小説『狐狼の血』です。

孤狼の血 (角川文庫)

孤狼の血 (角川文庫)

 

文芸誌『小説 野性時代』に連載されていた本作は、柚月先生にとってはじめての悪徳警官もので、これまでの作風とは異なる無骨な男たちの物語です(呉原市という架空の街は、作者の過去作でも舞台になっています)。文芸界でも高い評価を受けた本作は、日本推理作家協会賞山田風太郎賞候補、直木三十五賞候補などに選ばれています。

本作の執筆の一因となったのが深作欣二監督作の仁義なき戦いシリーズです。柚月先生が作家としてデビューし数年が経ったある時、笠原和夫の本を読んだ事をきっかけに鑑賞した『仁義なき戦い』第1作目に脳天をかち割られるほどの衝撃を受けたそうで、その後シリーズ全作を鑑賞し、『仁義の墓場』などの東映実録やくざ映画を全て鑑賞したと語っています。とくに本作に大きな影響を与えたのが県警対組織暴力です。『県警対組織暴力』はヤクザとの癒着を厭わない粗暴な刑事(菅原文太)を主人公とした作品で、本作と同じく広島県が舞台となっています(こちらの作品は倉島市という架空の都市)。また、柚月先生は悪徳刑事と新米刑事の対立を描いたバディムービー『トレーニング・デイ』も愛好しているそうで、そういった男くさい映画たちがこの作品の根幹をなしているといえるでしょう。

今年の3月に『孤狼の血』の続編となる『凶犬の眼』という作品が発刊されており、本作の主人公・日岡の数年後の姿が描かれています。そして現在、若き日の大上を描いた『暴虎の牙』という作品が岩手日報で新聞連載中です。

 

【スタッフ・キャスト】

本作のメガホンをとったのは『凶悪』や『彼女がその名を知らない鳥たち』の白石和彌監督です。 

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監督にとっては『日本で一番悪い奴ら』に続いての悪徳警官ものとなる本作。原作の物語自体が完全に監督の資質に合ったものなので、この抜擢は英断だと感じました。白石監督は『凶悪』や『日本で一番悪い奴ら』に似たテイストの作品を撮ることに抵抗があったそうなのですが、原作のおもしろさに感銘を受け監督を務める決意をしたそうです。

脚本を担当したのは『日本で一番悪い奴ら』で白石監督とタッグを組んだ池上純哉。池上さんはこの作品を“父と息子”の物語としてまとめるよう意識したそうで、この作品へのフォーカスの当て方としてはかなり誠実なアプローチだと感じました。

主人公・日岡を演じたのは松坂桃李。若手ナンバーワン俳優(僕個人の私感)だけあって、実直な新米刑事が徐々に荒々しくなっていく様を熱のこもった演技で熱演していました。

そして、この物語のキーパーソン・大上を演じたのは役所広司。役所さんの芸名は「役どころが広くなる」ことを祈念してつけられた名前らしいのですが、本作では今までの役のイメージとは正反対の雄々しい刑事を演じていて、その名に恥じない好演でした。

 

私見

88点/100点満点中

原作に対して多少のアレンジを加えながらも、物語の根幹を損なっておらず、東映ヤクザ映画にふさわしい骨太な作品になっていました。

原作のウェットな部分を削いで、かなりドライな風合いの作品に仕上げたのも、くどくなくてとても好感が持てました。

原作と異なるクライマックスはやや違和感が残ったものの、男のプライドがぶつかり合う様がカッコよく仕上がっていたので、まぁ悪くなかったかなと思います。

 

 

 

 

 以下ネタバレあり

 

 

【原作との比較】

今回の映画版は、ベテラン刑事の大上と新米刑事の日岡のバディものという基本設定や、加古村組と尾谷組の抗争を大上が食い止めようとするストーリーラインは原作を踏襲していますが、所々に小説版からの改変や省略がなされています。

尾谷組や加古村組、五十子会といったヤクザの面々は原作よりも整理されており、人間関係が若干簡略化されています。上早稲失踪事件の真相をひた隠しにする久保忠(クボチュウ)という加古村組の三下や、尾谷組を抜け堅気になったものの抗争が始まることを知り資金援助をしようとする野津という男のエピソードなどが原作から端折られています。代わりに養豚業を営む善田というチンピラが映画版オリジナルで加えられており、失踪事件のキーマンとなっていました。

映画に登場した、大上とただならぬ仲のホステス・高木里佳子は、原作において尾谷組のシマでバーを経営していた梨子という女と、大上に人殺しを隠蔽してもらった過去を持つ晶子という小料理やの女将を掛け合わせた人物になっています。

 また映画オリジナルのキャラクターとして、日岡と恋仲になる岡田という薬剤師も加わっており、日岡と大上の化かし合いに一役買っていました。 

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小説と映画で大きく違うのがクライマックスの展開です。原作では、大上が亡くなった後、日岡が大上の意思とノートを受け継ぎ警察上層部に反旗を翻すところで物語が終わります。映画版のように五十子会に対して日岡が手を下す描写はなく、その後のヤクザの顛末は最後のページに年表で記されています。年表には大上の死後、五十子会の五十子正平が仁正会から除名処分をくらい最後は尾谷組の幹部に射殺されたことや、一ノ瀬が尾谷組の二代目を襲名し瀧井組の銀次の取り持ちで仁正会に加盟したこと、日岡が呉原東署の暴力団係の主任に昇進したことなどが記されています。

対して映画版は、日岡が一ノ瀬に五十子の殺害を仕向け両者を潰すという劇的な展開が用意されていました。

 

【原作からの改良点】

原作小説では、章のはじめごとに日岡が記した日報が記載されており、その日報の一部が黒塗りにされています。この黒塗り部は大上が亡くなった後、日岡が彼の意思を継ぐ思いで大上の捜査手法の良からぬ部分を黒塗りにしたものです。元は上官から命じられた大上の素行調査のための日報なのですが、日岡自身が日報の一部を黒塗りにする事で、腐った警察上層部へ反旗を翻すかたちとなり、彼もまた孤狼になったことが示されています。

対して映画版は、日岡の部屋に忍び込んだ大上が日報の一部を黒塗りにし、報告書の添削をしています。大上は日岡が自分の内偵調査をしていることに気付きながら、自分の意思を継がせようと、日岡のことを信じたのです。日岡は大上が亡くなった後にそのことに気づき、日報を読んで涙を流します。大上が日岡の日報の添削をし、自分のやり方を伝授したということは、大上は自分がいずれ殺されてしまうことを薄々感じてしたのかもしれません。この改変で、無骨な男の刹那的な生き様が原作とは違った形で描かれていて良かったです。

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【不満点】

前述の通り、今回の映画版は原作とクライマックスを大きく変えているのですが、尾谷組と五十子会の間の諍いに対する決着のつけ方がやや雑な気がしました。

映画のクライマックス、尾谷組の一ノ瀬が五十子会の会長を殺し、その一ノ瀬を警察が逮捕することで事件を解決へと運びます。

 ですが、五十子会は仁正会という組織の系列化にあるので、当然五十子会長が殺されたことに対して仁正会が黙っているはずはなく、尾谷組の方も数ヶ月後に組長の出所が決まっているので、これはより大きい抗争の火種になるんじゃないかと感じてしまいました。

この映画内での日岡のやり方は、堅気に被害を及ぼさないよう抗争を食い止める大上のやり方と逆行しているように感じられました。 

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【大上という男】

映画版の大上は原作と比べるとかなり非道なキャラクター性が強まっています

取調室での暴力による自白強要や、防犯カメラを見せないホテルへの放火など、原作にはなかった凶行が映画オリジナルで加えられているのもそうですが、一番大上の非人間性を際立てているのが彼のバックグラウンドを全く描いていない点です。

原作では序盤の方に大上の過去について触れるシーンがあります。大上はかつて結婚していて妻と息子がいたのですが、仕事の疲れで子供に構ってあげられず、大上に気を使って外に出掛けた母子が交通事故により親子諸共亡くなってしまったのです。そしてその息子の名は日岡と同じ秀一という名前でした。大上はその後悔の念をずっと抱いており、だからこそ息子と同じ名前の日岡にかなり入れ込んでいたのです。

そういった大上の人間味のあるエピソードが今回の映画版では一切排除されており、ひたすら人道に反する人物として描かれています。

ウェットさを抑え、人間性をドライに描くあたりが東映ヤクザ映画っぽく、終盤に明かされる大上の真意への良いフリとして活きていたとおもいます。

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【堅気が守られなかった時代】

本作の舞台となっているのは昭和63年。昭和60年代という時世は、ヤクザが今日よりも幅を利かせていた時代です。

平成初頭に暴力団対策法が制定されると、複数の組織が“指定暴力団”の対象とされ、締め付けが厳しくなりました。この法律は、暴力団が市民生活に影響を及ぼさぬよう制定されたものです。つまり、この法律が制定される前の昭和60年代は、堅気の人たちが今よりも無防備で、ちゃんと守られていなかった時代なのです。

大上はヤクザが滅びることはないという考えの持ち主で、極道者たちと共存している男ですが、「わしらの役目は、ヤクザが堅気に迷惑をかけんよう目を光らせとることじゃ」と言うように、堅気を守らなくてはならない矜恃だけは常に持っています。

大上は法律が市民を守ってくれなかった時代のダーティーヒーローなのかもしれません。 

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【継がれる血】

初めは違法捜査ばかり行う大上に反目していた日岡でしたが、大上の真意を知っていくうちに徐々に同化していきます。

日岡が大上の意思を受け継ぐ上で重要なキーアイテムとなるのが狼の絵が彫られたジッポーライターです。

原作では、大上がタバコを吸う時に日岡が火をつけてあげるために持っていたアイテムなのですが、本作では大上が失踪した時に探し求めるアイテムになっています。

養豚場でジッポーを見つけた日岡は、この場で大上がいたぶられたことを知り激昂。パチンコ屋で苗代と殴り合った時は、相手を殴る済んでのところで手を止めた日岡が、大上を殺した善田に対しては馬乗りになってタコ殴りにします。この瞬間、大上の血は日岡へと受け継がれたのでしょう。

そして映画のラストシーン、今まで喫煙などしてこなかった日岡が、大上のジッポーライターでタバコに火をつけます。孤高の狼の血は今、確かに日岡の中に流れているのです。

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