雁丸(がんまる)の原作代読映画レビュー

原作読んで映画レビューするよ!

映画『コリーニ事件』と原作小説「コリーニ事件」(ネタばれあり)

今回紹介する映画は『コリーニ事件』です。

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あらすじ

 弁護士事務所を開設して3ヶ月ほどの新米弁護士カスパー・ライネンは、経済界の大物実業家を殺害したファブリツィオ・コリーニという男の国選弁護人を引き受ける。しかし、この事件で殺害された被害者は、ライネンの少年期に、よくを面倒を見てくれた親友の祖父ハンス・マイヤーであった。ライネンは公職と私情の間で揺れながらも、コリーニの弁護をすることを決める。しかし、容疑者であるコリーニは殺害の動機について黙して語らないため、動機のない謀殺による殺人として、ドイツの法律で最も重い終身刑が求刑されようとしていた。果たしてライネンはコリーニの動機を突き止め、事件の真相を暴くことが出来るのか…

 

原作

原作はフェルディナント・フォン・シーラッハの同名小説『コリーニ事件』です。 

 原作者のシーラッハ氏は、1994年から刑事事件専門弁護士として活躍する現役の弁護士です。デビュー作となる短編集「犯罪」でドイツのクライスト賞を受賞し、2作目となる『罪悪』もベストセラーとなり、3作目にして初の長編作品となったのが本作『コリーニ事件』です。

弁護士としての経験に裏付けされた法廷の描写は実に細かく描かれており、物語のリアリティを際立たせています。

 

もしかすると、シーラッハという名前に聞き覚えがある方もいるかもしれませんが、作者はとても特徴的な出自の作家です。しかし、その出自自体が本作のネタバレに触れかねないものなので、後述します。

 

スタッフ・キャスト

本作のメガホンをとったのはマルコ・クロイツパイントナー監督です。 

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 クロイツパイントナー監督は2003年『BEAKING LOOSE』で長編映画デビューを果たし、2004年『サマー・ストーム』でミュンヘン国際映画祭の観客賞を受賞。2008年に公開された『クラバート 闇の魔法学校』は その年にドイツで最もヒットした作品の一本となりました。シリアスな人間ドラマも大衆性のある娯楽作品も作れるオールマイティな監督といえます。本作はシリアスなテーマの作品ですが、新米弁護士が奔走する様はコミカルさもあり、緩急のメリハリがしっかりしていて監督の手腕を感じさせました。

 

 主人公ライネンを演じたのは『THE WAVE ウェイヴ』や『ピエロがお前を嘲笑う』に出演していたエリアス・ムバレク。弁護士役を演じるにあたって、刑事訴訟法を諳んじて言えるほどまで勉強したそうで、法廷において弁護士がやることとやらないことを完璧に理解し、完全に会得していたそうです。また、彼はシーラッハ作品の大ファンだそうで、作品中に出てくるシガレットケースは、シーラッハに初めて会ったときにもらったものだそうです。

 

 事件の容疑者コリーニを演じたのは、『続・荒野の用心棒』や『ジョン・ウィック:チャプター2』などの名優、フランコ・ネロ。監督が個人的に手紙を送ってまで出演を熱望しただけあって、少ないセリフ量にも関わらず、重厚な演技によって圧倒的な存在感を示していました。

 

私見

85点/100点満点中

 原作小説で描かれていたドイツの暗部を丹念に映像化しつつ、映画的なエモーショナルさを際立てた改変もあり、非常に良い脚色がなされていたと思います。

原作小説を読んだ人だとクライマックスの法廷シーンの改変が賛否分かれるかもしれませんが、法治国家が持つ不合理性を鋭く突き立ててくる演出として、個人的には好きな改変でした。

ただ、主人公の元恋人であるヨハナの描かれ方に関しては、少し首をひねってしまう部分がありました。

 

 

 

 

以下ネタばれあり

 

 

 

 

原作との比較

本作は、原作のストーリーを基本的にはなぞっていますが、細かい部分に改変が加えられています。

まず、主人公の出自が原作と異なっています。原作では、主人公の父親は上流階級の資産家で、ライネンに弁護士事務所用のデスクをプレゼントしていたりと、親子関係はかなり良好に描かれています。対して映画版での父親は、書店を営むごく平凡な男で、ライネンの少年期に、彼と母を捨て家を出た人物に改変されています。この改変により、父に捨てられたライネンにとってハンス・マイヤーが父親同然の存在だったことが際立ち、実の父が息子の仕事をサポートし関係を修復させていく展開も、本作に通底する「父と子の物語」というテーマを、より深みのあるものにしていました。

また、原作でドイツ人女性だったライネンの母親は、映画版ではトルコ人女性に改変されています。映画中でライネンが「トルコ人!」とからかわれるシーンもあり、程度の差こそあれ、彼もコリーニと同じように迫害の受けていた社会的弱者であることが示されています。そのため、下流階級出身の主人公が巨大な国家の闇に立ち向かうという、ドラマ性が増強されていました。

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 本作の中で最も大きな改変といえるのが、ハンス・マイヤーの遺族の公訴代理人のマッティンガーの描かれ方です。原作では法治主義を重んじる普通の弁護士だったマッティンガーが、映画版ではドレーアー法の草案に関わった人物に改変されています。クライマックスのマッティンガーが証言台に立つ展開は映画版オリジナルのものです。現実世界では裁かれることのなかったドレーアー法草案者に、自分の過ちを認めさせる展開は、架空の話で溜飲を下げるためのシナリオともとれるので、賛否分かれそうな改変ですが、この法律がいかに不条理なものかを際立て、映画としてのエモーショナルさも高まっているので個人的には嫌いではないです。

 

ライネンが事件の調査のためにイタリアのモンテカティーニに向かう展開も映画オリジナルのもので、通訳として引き連れるピザ屋のアルバイト・ニーナも、映画版オリジナルのキャラクターです。実際に虐殺が行われた地を訪れることで、悲惨な歴史を鮮明に映し出し、より心に迫る画になっていました。また、ニーナの存在によって、シリアスなドラマの中に程よい和らぎが生まれていたので、良いオリジナルキャラクターだったと思います。

 

不満点

 ハンス・マイヤーの孫で、かつてライアンと恋仲にあったヨハナは、先人たちの過ちを現代を生きる我々がどう受け止め、これから先を生きて行けば良いかを示す重要なキャラクターです。

原作では、ホルガー・バウマンというマイヤー機械工業の法律顧問が、ライアンに対し、コリーニの減刑に協力する代わりに陳述をやめるよう求め、大きな事件の弁護をライアンに回してあげようと持ち掛けるのですが、後にそのことを知ったヨハナはバウマンをクビにします。

 対して映画版でのヨハナは、祖父がナチスの司令官だったことを知って、ショックを受けるものの、その夜にライアンを食事に誘い、それに対してライネンから裏があるのではないかと指摘されると、逆ギレし「祖父がいなければ、あなたは今頃ケバブ屋の店員よ」と差別的な言葉を吐き捨てます。原作にも、ヨハナがライアンに「どうして何もかも壊そうとするの?」と問いかけるシーンはあるのですが、ライアンにひどい言葉を浴びせたり、激昂したりはしていません。

真実に誠実であろうとした原作のヨハナと比べると、映画版では彼女が卑怯でヒステリックなキャラクターに見え、少し不満に感じてしまいました。 f:id:nyaromix:20201010151837j:plain

 映画版は、父子の物語に焦点を当てるために、コリーニが抱えるナチスへの遺恨が、父を殺されたことのみになっていましたが、原作ではコリーニの過去の心的外傷がより深く描かれています。

 原作にはコリーニの姉がドイツ軍の兵卒に強姦される描写があり、その現場を目の当たりにしたコリーニが叫び声をあげてしまい、驚いた兵卒が拳銃を抜いたところ姉と揉み合いになり、姉が射殺されてしまうという忌まわしい過去が描かれています。姉が犯されるシーンを入れると、センシティブさや観る側のキツさが増してしまうのは分かりますが、戦争がもたらす人間の醜行を伝えるために、このシーンも映画内で描いてほしかったです。 

 

 

 ナチスパルチザン

 ナチス時代の悲劇を描いた作品といえば、ユダヤ人への迫害や虐殺を扱ったものが多いですが、本作では1940年代にドイツとイタリアの間で起きた事件を扱っていています。

 1943年、勢力を強めるナチスにイタリアが降伏し、イタリア国内には多くのドイツ軍人が派遣されていました。イタリアの反ファシズムの非正規軍パルチザンは、祖国解放のためにドイツに徹底抗戦しましたが、ナチスの暴虐は凄まじいものでした。

 本作は実話ではないものの、モデルとなった事件や人物が存在します。本作に登場するナチスの司令官ハンス・マイヤーのモデルとなったのは、第二次世界大戦中に親衛隊保安部ジェノヴァ管区司令官だったフリードリヒ・エンゲルです。エンゲルは、司令官在任中の1944年に、パルチザンによるテロへの報復として、イタリア人59人の射殺命令を出し、「ジェノヴァの死刑執行人」や「ジェノヴァの殺人鬼」などと呼ばれました。

 エンゲルは、2002年にハンブルグで行われた裁判で殺人の罪により禁固7年の刑に処されたものの、2004年に行われたドイツ最高裁判所の判決では、すでに時効が成立していることや高齢による健康状態を理由に有罪判決が棄却されてしまいました。

 本作はこのような事実をもとに作られた物語なので、フィクションでありながら現実と地続きのように感じられる真に迫った作品になっています。

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法治国家に見捨てられた人々

 本作を語るうえで最も重要なキーワードが、1968年に発布された、秩序違反施工法とそれにともなう一部の法改正、通称『ドレーアー法』です。

 ドイツ刑法では殺人事件が起きた場合、欲・快楽・人種憎悪などの低劣な動機による”謀殺罪”と、謀殺のような心理的傾向に基づかない”故殺罪”とに大別します。謀殺罪が成立した場合、死刑廃止国のドイツでは最も重い終身刑が科されます。旧来のドイツ刑法では、謀殺罪のほう助者においても、共犯が成立するとみなされてきました。優生思想や見せしめのための虐殺などは、本来であれば謀殺罪として裁かれるべきなのですが、ドレーアー法の制定により、命令に従って殺人を犯したほう助者は故殺罪として減刑されることとなりました。つまり、ヒトラー、ヒムラ―、ハイドリヒなどの最高指導部の人間は謀殺罪として扱われるものの、それ以外のナチ党員たちは命令に従っただけの者とみなされたのです。さらに、謀殺罪と故殺罪では時効成立までの期間が異なるため、故殺罪扱いとなったほう助者たちは、その多くが時効成立により実刑を免れました。

 この法律を作ったエドゥアルド・ドレーアーは、元ナチ党員で、インスブルック特別法廷の筆頭検事時代には、食糧品の窃盗犯に死刑を求刑したことなどで知られています。戦後、西ドイツ法務省に入省した彼は、ドイツ刑法の改正に多く関わり、1968年にドレーアー法の草案を作成しました。建前上は、学生運動に関わり犯罪行為を犯した若者の救済でしたが、その実態は元ナチ党員たちへの狡猾な恩赦でした。そのため、法治国家であるにもかかわらず、人々を守るための法が、被害者たちを救ってくれないという歪んだ結果を生んでしまったのです。

映画内では、ドレーアー法の草案に関わったマッティンガーが過ちを認め、この法律の不条理性が炙り出されます。それは、ドレーアー法によりハンス・マイヤーを告発する機会を奪われたコリーニが、人生で唯一正義というものに触れた瞬間でした。その夜、コリーニは自らの手で命を絶ちます。彼にはハンス・マイヤーへの制裁だけが生きる意味であり、法廷でマイヤーの過去や歪な法律が全て剔抉されたことで、人生の目的がみな果たされたのです。 

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君は君だ 

 法廷で実の祖父がナチスの司令官だったことが白日のもとに晒されたヨハナは、これから先すべてを背負って生きていかなければいけないのかライネンに問いかけます。そんなヨハナにライネンは「君は君だ」と答えます。このやり取りは原作者であるシーラッハの思いが特に込められているシーンです。

 原作者フェルナンド・フォン・シーラッハの祖父はバルドゥール・フォン・シーラッハというナチ党全国青少年指導者(いわゆるヒトラーユーゲントの指導者)で、ウィーン大管区指導者などを歴任したナチ独裁政権の中心人物の一人です。のちにバルドゥールは、ニュルンベルク裁判にかけられ、禁固20年の刑に処されます。祖父であるバルドゥールが刑期満了で釈放されたとき、孫のフェルナンドはまだ2歳で、祖父と別居するまでの4年間毎日一緒に散歩し、よく遊んでいたそうです。何も知らない幼少期のフェルナンドにとっては、バルドゥールはごく普通の好好爺でした。しかし、フェルナンドが12歳のときはじめて祖父が戦争犯罪者であることを知ります。学生時代はその出自のせいでひどい吊し上げにもあったそうです。

 『コリーニ事件』はそんな作者だからこそ描けた物語であり、「君は君だ」という言葉には、戦争犯罪者の子孫だからといって肩身の狭い思いをする必要はない、大切なのは過去の間違いを繰り返さないことだと、いう想いが込められています。

 シーラッハが『コリーニ事件』を出版し、大ベストセラーとなってから数か月後の2012年1月、ドイツは法務省内に「ナチの過去再検討委員会」設置しました。この委員会の立ち上げにはこの小説が大きく影響を与えたといわれています。

 先人たちの過ちを無かったことにすることは出来ないが、現代を生きる我々が正しい行いをすることで、これから先の未来を変えていける。そう感じさせてくれる作品でした。