雁丸(がんまる)の原作代読映画レビュー

原作読んで映画レビューするよ!

映画『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』と原作小説『チェスの話』(ネタバレあり)

今回紹介する作品は、

ナチスに仕掛けたチェスゲーム』です。

【あらすじ】

ロッテルダム港を出港しアメリカへと向かう豪華客船に乗り込んだヨーゼフ・バルトークは、船内で行われていたチェスの大会を目撃する。彼は世界王者と対局中の船のオーナーにアドバイスを与え、劣勢にあった局面を引き分けにまで持ち込ませる。バルトークに興味を持ったオーナーは「大会で何度優勝した?」と尋ねるが、彼は「駒に触ったのは初めてだ」と答えた。

バルトークはかつてウィーンで公証人として働いていたが、ヒトラー率いるドイツがオーストリアを併合したことにより、ナチスに連行されていた。ゲシュタポから貴族の預金番号を教えるよう迫られたバルトークだったが、彼は頑なに口を閉ざす。

一向に口を割らないバルトークはホテルの一室に監禁されてしまう。そこは、家具以外のものは何もなく、外部の情報や文化が一切遮断された空間だった。外界と断絶された部屋でひたすら孤独に耐え、気を紛らわせるものもないヨーゼフは、次第に精神を病んでいく。ある日、彼は監視の目を盗んで一冊の本を手に入れる。その本こそ、ヨーゼフの運命を変えるチェスの指南書であった…


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【原作】

原作はシュテファン・ツヴァイクの短編小説『チェスの話』です。

ツヴァイクは、1881年オーストリアのウィーンにユダヤ人実業家の息子として生まれ、最初は詩人として活動していました。その後、劇作家を経て小説家に転じ、ドイツ語圏の作家として戦間期に最も成功した作家と呼ばれるほど、人気を博しました。

ロマン主義の影響を受け反戦運動にも参加していたツヴァイクでしたが、1933年にヒトラー政権が成立し反ユダヤ派の勢いが強くなると、追われるように国を出ることとなります。それから長きにわたる亡命生活の末、「長いさすらいの年月に疲れ果てた」「自由な意思と明晰な精神を持って人生に別れを告げます」などと記された遺書を残し自らの命を絶っています。

本作『チェスの話』はツヴァイクが亡命の途上で執筆した生涯最後の作品です。ツヴァイクは他の移民たちとの交流の中で、祖国やドイツで行われている強制収容所のことやゲシュタポの活動などについて知っていたそうです。本作からは、ツヴァイクの愛した文化と豊かな知性に満ちた社会が、ファシズムによって崩壊していく事への憂いが強く感じ取れます。

 

ちなみに、上にリンクを載せた2011年みすず書房版の『チェスの話』は、1941年に大久保和郎さんが訳したものを再録したものなので、文章が固く、少々読みにくいかもしれません。なので、これから読みたいという方は、幻戯書房版の『過去への旅 チェス奇譚』の方がとっつき易いかと思います。

 

【スタッフ・キャスト】

本作の、メガホンを取ったのは『アイガー北壁』や『ゲーテの恋〜君に捧ぐ「若きウェルテルの悩み」〜』のフィリップ・シュテルツェル監督です。

シュテルツェル監督は、15歳頃にツヴァイクの「チェスの話」に出会い、感銘を受けたと言います。監督は小説と映画という表現媒体の違いをかなり意識して本作を作っており、原作小説をそのまま映像化するのではなく、時に大幅なアレンジを加えながら映画的表現に落とし込んでいます。しかしながら、原作の良さも決して損ねておらず、実に見事な手腕でした。

主人公のヨーゼフ・バルトークを演じたのは、『帰ってきたヒトラー』や『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』などのオリバー・マスッチ。彼はこれまで、ナチスに関連する映画に多数出演し、素晴らしい表現力を見せてますが、本作はそれらの比にならないほどの迫力で、過酷な環境をなんとか生き抜こうとする主人公を鬼気迫る演技で熱演していました。

その他『ヒトラー〜最後の12日間〜』のビルギット・ミニヒマイアーや、『西部戦線異常なし』のアルブレヒト・シュッへなど実力のある役者陣が脇を固めています。

アルブレヒト・シュッへは、主人公を監禁するゲシュタポベームと、チェスの世界王者のチェントヴィッチの二役を演じています。この二人の人物を一人で演じることで、主人公が心に負った傷を示すのに効果的な配役となっていました。

 

私見

90点/100点満点中

主人公の精神状態を表現するために加えられた改変要素が実に見事に機能しており、結末も原作とは異なるのですが、ツヴァイクが描いた主人公の心の傷を描写するという意味では、その精神性はしっかりと受け継がれていたと思います。

原作にあった監禁と尋問による心理的拷問描写に若干の物足りなさを感じましたが、それを差し引いても実によくできた脚本だったと思います。

 

 

 

以下ネタバレあり

 

 

 

【原作との比較】

原作では、船に乗り合わせていた乗客が語り手となり、客観的な視点で物語が描かれているのですが、今回の映画版では主人公・ヨーゼフ(原作小説ではB博士と称される)視点で物語が描かれます。この改変が主人公の境遇や精神状態を表すのに非常に効果的な演出となっていました。特にその脚色の効果が現れているのが主人公の妻・アンナをめぐる場面です。

ヨーゼフの妻アンナは、原作には登場しない人物で、映画版オリジナルのキャラクターです。アンナはヨーゼフと共に船に乗りますが、劇中で彼の過去が徐々に明かされると、彼女が最初から船に乗り合わせていなかったことが発覚します。ここから、これまでヨーゼフの視点で描かれていた船での出来事が急に不確かなものとなり、映画を見ている私たち観客も不安を覚えます。こうして主人公を「信用できない語り手」にすることで、彼の精神的なダメージを表現しており、非常に巧みな脚色となっていました。

ナチスドイツがオーストリアに侵攻することを察知し主人公に忠告する友人・ゲオルグも映画版オリジナルのキャラクターです。ゲオルグを人質に取って情報を引き出そうとするゲシュタポの尋問シーンは、主人公にトラウマを植え付け、その後のPTSDのような症状を引き起こさせるきっかけとなりました。

 

クライマックスで描かれる主人公とチェス王者の対局シーンも原作と映画版で異なります。

小説では主人公が世界王者との一戦目の対局に勝利し、調子付いて二戦目を打ち合うことになりのですが、二戦目からは王者が一手打つごとに必要以上に時間をかけ、主人公が苛立ちを募らせます。相手が持ち時間を目一杯消費する間、主人公がは自分の差し手を長考するのですが、次第に精神に異常が生じ始めます。監禁生活中、一人脳内でチェスを打ち合ううちに分裂してしまった精神が、彼の思考に影響を及ぼし、彼が最後にチェックメイトだと思って打った一手は、別の誰かと差し合っているような見当違いなものでした。正気に戻った主人公は負けを認め「私がチェスを試みるのはこれでもう最後とします」と言い残し立ち去ります。

 一方今回の映画版は、主人公が悪夢のような心象風景に襲われながら、極限状態で世界王者と対局し、なんとか勝利を収めます。しかし、ラストシーンで精神病棟にいる主人公が映し出され、船での出来事が彼の空想だったことが明かされます。この終わり方は、ナチスからの尋問に耐え抜いた主人公の精神的勝利であると同時に、原作で描かれたような精神的拷問で壊されてしまった人間の悲しい末路でもある、非常に深みのある終わり方になっていました。

 

【不満点】

原作小説と比較したときに、映画版でやや物足りなく感じたのは、監禁と尋問の日々で追い詰められた主人公が、自分自身への猜疑心に苦しめられる描写です。

映画版では、主人公がナチスに捕まる前に重要書類の預金番号を自分で暗記し、資料を焼却していましたが、原作では一部の証書を家政婦を通じて叔父に手渡しています。

監禁された主人公は、ゲシュタポから貴族の預金資産について尋問されるのですが、ここで下手に答えると家政婦や叔父に危険が及ぶ可能性があり、逆に否認し続けても自分自身の身が危うくなります。主人公は頭を巡らし尋問をかわしますが、本当に最悪なのは尋問を終え、監禁部屋に戻ってからです。尋問の際に自分は迂闊な発言をしたのではないか?生まれてしまった疑念を晴らすために今度はどういうことを言わなければならないか? ゲシュタポがどの程度の情報を手にしているのかも分からぬ状況で主人公は自分の発言を反芻し続けます。監禁部屋には気を紛らわせるものもないため、思考がその事ばかりになり、自分で自分を尋問しているような状況になってしまうのです。このことが主人公の精神的な衰弱に拍車をかけます。映画版ではこの描写が削られていたので、この心理描写をもっと深く描いてほしかったです。

 

【精神の分裂と崩壊】

原作も映画版も、監禁という拷問によって主人公の精神が崩壊していく様を描いていますが、精神が壊れる描写には違いがあります。

原作小説では、主人公が手に入れたチェスの指南書を大事に繰り返し読み続けるのですが、差し手を暗記するほど読み尽くしてしまうと、次第に目新しさを失ってしまい、再び虚無に囚われてしまします。チェスの名手たちの差し手を全て覚えてしまったとなると、残る対戦相手は自分自身しかいなくなります。白い駒を操る自分と、黒い駒を操る自分。手元に駒も無い中で自分の頭の中に二人のチェスプレイヤーを生み出し対極を行う。そんな不可能と思えることを実現しようとするうちに、主人公は人工的な精神分裂を起こしてしまうのです。

一方、映画では自分自身との対話・対局による精神分裂よりも、ナチスから受けた心的外傷を深く描いています。ゲシュタポが主人公から情報を聞き出すために友人のゲオルグを目の前で殺害したり、心の支えだったチェスの本や自作の駒を没収したりと、映画版オリジナルの描写を加え、主人公をとことん精神的に追い詰めています。

映画版の主人公は原作のような精神分裂症(統合失調症)より、PTSD(心的外傷ストレス障害)のような症状に近く、それによって人の心を破壊するナチスの残虐性をより際立てていました。

 

【誰と戦うのか】

主人公はゲシュタポの精神的拷問をチェスによって耐え抜きましたが、チェスに没頭するあまり精神が崩壊してしまった彼は、現実と空想の境が曖昧になります。

船上で起きた出来事は全て主人公の空想ですが、それらは全て監禁時に味わった記憶の投影です。妻のいない空間で孤独に苛まれたり、友人の処刑がフラッシュバックしたりと、監禁時の辛い記憶が、空想の中でも主人公を苦しめます。

故にチェス世界王者チェントヴィッチの姿は、ゲシュタポベームそのものであり、チェントヴィッチに勝利することが、ナチスに屈しなかった主人公の精神的勝利を意味するのです。

元々、原作ではゲシュタポの隊員に関してはそこまで深く描写されておらず、人物名すら記されていないのですが、映画版では、ゲシュタポの隊員にもフィーチャーし、ベームとチェントヴィッチを同じ人物を演じさせることで主人公のトラウマの深さを明確にする実に見事な演出が加えられていました。

オデュッセウスは故郷に帰る】

今回の映画版では、作中で主人公の境遇がギリシャ神話の英雄オデュッセウスになぞらえられます。

オデュッセウスは知略に長けた将軍で、トロイア戦争では「トロイの木馬」の策でギリシャ軍を勝利に導きました。トロイア戦争に勝利したオデュッセウスは、故郷のイタカ島で待つ妻のペネロペの元に帰ろうと航海を始めますが、その航海は戦争以上に過酷なものでした。

ポセイドンからの妨害によって船が難破し帰ることが出来なくなったり、セイレーンの歌によって正気を失ったり、更には太陽神ヘリオスの怒りを買い航海の仲間が全員死んでしまったりと、オデュッセウスの歩んだ旅路は、主人公が監禁生活で体験したことと重なります。

長い旅時の果てにオデュッセウスは故郷へと辿り着き、妻・ペネロペと再会を果たします。

映画のラストシーンでは、主人公が精神病院で妻と並んで座る姿が映し出されます。心が壊れてしまった彼は「君は新しい看護婦かね?」妻に訊ねるほど記憶が覚束なくなっていました。

ナチスによる残虐な行為が人間の精神を破壊し、元の彼の姿はそこにはありませんでしたが、オデュッセウスのように過酷な試練を耐え抜いた彼は、心の故郷に帰ることが出来たのでした。