映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』と原作コミック『ヴァレリアンとローレリーヌ』の比較(ネタバレありの感想)
今回紹介する作品は
映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』です。
【あらすじ】
西暦2740年。人類はさまざまな宇宙人と接触し、異星人たちと共生していくため、宇宙ステーションを拡張させ続けていた。拡大をし続ける宇宙ステーションは、いつしかあらゆる種族の者たちが共存する千の惑星の都市として、銀河にその名を知られていた。
連邦捜査官のヴァレリアンとローレリーヌは、宇宙の平和を維持するための任務に就き、あらゆるミッションをこなしていた。惑星キリアンの闇マーケットから“変換器”と呼ばれる生物を奪取した2人は、司令官に変換器を届けにいくが、宇宙ステーションでは、ある一角が放射線によって汚染されているという別の問題が発生していた。
司令官の護衛として会議に赴いた2人だったが、何者かの襲撃に遭い、司令官を連れ去られてしまう…
【原作】
原作は、ピエール・クリスタン作、ジャン=クロード・メジエール画のフランス産コミック『Valérian et Laureline』(直訳『ヴァレリアンとローレリーヌ』)です。
- 作者: ピエール・クリスタン,ジャン=クロード・メジエール,原正人
- 出版社/メーカー: 小学館集英社プロダクション
- 発売日: 2018/02/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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この度の映画公開に合わせ、映画と同名の『ヴァレリアン 』というタイトルで、翻訳版の単行本がリリースされています。
本作は、1967年に『ピロット』というコミック誌に第1作目が掲載され、昨年2017年でちょうど50周年を迎えたフランスでは誰もが知る作品です。(作品自体は2010年に全20巻で完結)
『ヴァレリアン 』のようにフランス語圏で製作されたコミック誌は、俗に“バンド・デシネ(BD)”と呼ばれ、『タンタンの冒険』や『スマーフ』などの古典作品もこれに当たります。
本コミックの世界観は様々なSF作品に影響を与え、あの『スター・ウォーズ』にも影響を及ぼしたのではないかと言われています。(スター・ウォーズの製作陣から言質が取れているわけではないですが、コミックとの類似点があまりにも多いそう。)
今回の映画版は、1975年に発表された『影の大使』というエピソードをベースにしながら、『千の惑星の帝国』や『The City of Shifting Waters』などといった他エピソードの細かな要素も交え、一本の映画として完成させています。
【スタッフ・キャスト】
本作のメガホンを取ったのは、『レオン』『LUCY ルーシー』などを手掛けたリュック・ベッソン監督です。
実はリュック・ベッソン監督とコミック『ヴァレリアン』には深い縁があります。子供の頃から『ヴァレリアン 』のファンだったというベッソンは、1997年に監督を務めた『フィフスエレメント』で、コミックの作画を担当したジャン=クロード・メジェールにデザインを依頼し、共に仕事をした経験があるのです。(ちなみに『フィフス・エレメント』の劇中には、コミックでヴァレリアンが乗車していた空飛ぶタクシーが登場しています。)その当時、メジェールをデザイナーに起用した理由を「これまでのハリウッド映画は、メジェールのアイデアを盗用してきたが、今回は彼に対してきちんと対価を払いたい」とベッソン監督は述べていました。今作はメジェールに対しての本当の意味での恩返しとも言えます。
主人公ヴァレリアンを案じたのは『クロニクル』や『アメイジング・スパイダーマン』などに出演していたデイン・デハーン。原作の雄々しいイメージのヴァレリアンと比べるとやや優男感が強い感じもしましたが、やはりポスト・ディカプリオと呼ばれる男前だけあって、キザでロマンチストな雰囲気はしっかりと出ていました。
今作で、一番際立っていたのがローレリーヌ役のカーラ・デルヴィーニュです。もともとモデル出身なので女優業は本職ではないのですが、彼女の佇まいはまさにローレリーヌそのもので、キュートでパワフルなヒロインを好演していました。
【私見】
80点/100点満点中
時空や銀河を股にかけて展開される壮大な原作コミックを、宇宙空間を舞台にしたスペースオペラとしてシンプルにまとめ、難民問題などの現代的アプローチも加えており、とても良い改変が施されていました。
バンド・デシネの特徴でもあるセンス・オブ・ワンダーな画も、しっかり映像化されていて何も考えずに世界観に浸っているだけでも楽しい映画になっていました。
特にオープニングシーンは、他者や異文化の排除が加速している現代社会において、人類の理想的な進歩を見せてくれているようで、一気に心をつかまれました。
ストーリー進行にいくつか難点はあれど、見ている間全く飽きずに楽しめる作品なので、明るく陽気な映画を観たい人にお勧めです。
以下ネタバレあり
【原作との比較】
原作コミックと映画版では、基本的な設定に違いがあります。
原作コミックでは、物語の舞台となっているのが28世紀の地球です。1986年起きた核爆発によって人類は衰退の一途をたどっていたのですが、研究に研究を重ね、2300年代、遂に時空移動装置を発明します。その装置を使うことによって、人類はさまざまなな時空や銀河間を行き来できる様になったのですが、それに伴い時空や銀河を股にかけての犯罪が増加したため、そのような犯罪者を取り締まる“時空警察”が設けられました。ヴァレリアンもその捜査官の一人です。彼がXB27,XB982という宇宙船を使って時空を移動し、相棒のローレリーヌと共に幾多の事件を解決していくというのが原作の大きなあらすじです。映画版では、銀河間の移動は描かれているものの、時空間の移動は描かれていませんでした。(原作では、元々ローレリーヌは11世紀の地球で暮らしていたという設定)
地球には“ギャラクシティ”という地球銀河帝国の首都が設置されており、そこが時空警察の活動の要所となっているのですが、今回の映画版では登場していません。
映画版の主要な舞台となっている“アルファ宇宙ステーション”は、コミックでは“セントラルポイント”と呼ばれており、銀河間の交通の要衝という位置づけです。
今回の映画版では、オープニングシーンでアルファ宇宙ステーションの成り立ちをじっくりと描いており、宇宙ステーションがモザイク社会をどのように形成したのかを分かりやすく見せています。
そのあとの、惑星キリアンでの“変換機”奪取シーンで、ヴァレリアンたちの捜査官としての活躍を描いており、世界観を眺めているだけでも楽しい映画オリジナルのシーンとなっていました。
上にも述べた通り今作は、原作コミックの『影の大使』というエピソードをベースに物語を構成しています。
『影の大使』は、セントラルポイントで行われる安全保障会議にヴァレリアンとローレリーヌが向かうところから物語が始まります。その会議場で地球代表の大使(映画版では司令官)が、何者かにさらわれ、それを追ったヴァレリアンも行方をくらましたために、ローレリーヌが2人の捜索に向かうというのが大体のあらすじです。
基本的には映画版でも原作エピソード通りに物語が進行するのですが、地球代表の大使の目論見や、大使を誘拐した者たちの目的などが異なっています。
また、原作においてはローレリーヌがヴァレリアンを救出に向かう形で物語が進むのですが、映画版では逆にヴァレリアンがローレリーヌを助けに向かう展開も用意されており、相互的に助け合うように描かれていました。
【原作からの改良点】
原作では、行方をくらました大使とヴァレリアンを追って、ローレリーヌが2人の捜索を行うというのが話の主軸となっています。よって、ローレリーヌが主人公のエピソードといっても過言ではないのですが、今回の映画版では、ヴァレリアンが連れ去られたローレリーヌを救出に向かう展開が加わっており、彼の男としての成長も描かれています。
原作では、ローレリーヌがグラムポッドと手を組んでバクラン人に化け、ヴァレリアンの行方を聞き出す展開だったところが、映画版ではヴァレリアンが貪欲なブーラン・バーソルからローレリーヌを救い出す展開に切り替わっています。(原作では男娼だったグラムポッドも、バブルという女性ダンサーのグラムポッドに改変されています。)
この展開のおかげで、ヴァレリアンの男らしい側面がしっかりと描かれており、ローレリーヌが救助しに来てくれた際に彼が言った「僕だってそうする」というまぁまぁ最低な言葉も、何とか回収されていて安心しました。
ローレリーヌはとてもたくましく気の強い女性なのですが、原作ではその強気な性格ゆえにコンバーター(変換機)をモノとして扱っている節がありました。コミック中で、彼女はヴァレリアンの行方を追うために、変換機を使って様々な物質を複製させ、異星人たちと取引をしています。あまりに複製能力を酷使するために、中盤から変換機もローレリーヌに反抗するのですが、彼女はコンバーターに平手打ちまで食らわせて言うことを聞かせます。
映画版のローレリーヌは、コミック版と比べるとかなり人道的になっており、取引のために変換機を使う描写もほとんどありません。これによって彼女の博愛主義の精神が引き立っていて良かったです。
【不満点】
映画序盤のシーン。惑星キリアンに変換機の奪取に向かったヴァレリアンとローレリーヌは、ミッション中にヘマをしてしまい、捜査官の仲間にかなり甚大な被害を与えます。はっきりと描写はされていないものの、確実に犠牲になった捜査員がいるはずなのですが、彼らは態度はかなりドライで、仲間の死を悼んだりしていません。そのシーンを見たときはでは「人の死が当たり前の世界なのかな」と思ったのですが、物語中盤でバブルが死ぬ場面になると、ヴァレリアンとローレリーヌは凄く感傷的な表情を見せています。それまでの劇中で彼らの人としての成長を十分に見せたわけでもないのに、この変わり様はかなり戸惑ってしまいました。
本作は、誘拐された司令官を救出に向かうというのが大筋のストーリーラインとなっているのですが、その道中でさまざまな異星人たちとの異文化交流が描かれるため、かなり寄り道の多い作品となっています。その寄り道自体は、原作と同じなので別に文句はないのですが、司令官の救出に向かうヴァレリアンとローレリーヌの物語の合間に、指令室にいる国防長官とネザ軍曹の様子がいちいち描かれているのが、物語全体のテンションを損なっているように感じました。彼らは物語の進行にあまり寄与しておらず、クライマックスでKトロンの襲撃を受けて、ようやく物語に絡む程度です。ただでさえ本筋から脇道に逸れがちな物語なのに、彼らの映像が挟まれることによって、より物語の進行スピードが遅くなっているように感じました。
【異星人との共存共栄】
今回の映画では、アルファ宇宙ステーションがどのようにして拡張されていったのかがオープニングシーンで描かれています。
人類が異星人たちと友好描く様子が、故デビッド・ボウイの「Space Oddity」にのせて映し出されるのですが、このオープニングシーンで心を鷲掴みにされました。
未来の人類の姿を退廃的に描いたディストピア作品が多い昨今、異なる文化の人々と手を結び発展を遂げていく姿は、人類の理想的な進化を示しているようで、何とも希望にあふれた素晴らしいシークエンスでした。
【失われた故郷】
今作で最も重要なカギを握るのが、パール人という種族です。
原作ではパール人という名称ではなく、名前を持たない一惑星の種族です。彼らはセントラルポイントの礎を築いた、高度な知性とパワーを持つ種族だったのですが、今は第一線から身を引き、セントラルポイントの安寧を遠くから見守る存在となっています。原作コミック内での彼らの目的は、安全保障会議において連邦制を導入し覇権を握ろうとする地球の大使を止めることで、そのために大使を誘拐したことがラストで明らかになります。
対して今回の映画版では、パール人を戦争に巻き込ままれ故郷を失った難民として描いており、原作に対しての現代的なアプローチがなされています。
彼らの目的は、変換機と 真珠(パール)を手に入れ、故郷をよみがえらせることでした。パール人が失われたふるさとを復興させる様は、故郷を失った難民へのエールのようにも感じられました。
パール人は、故郷を滅ぼした原因であるフィリット司令官に赦しを与えます。
その姿は、コミックの原作者であるクリスタンとメジエールの精神性をしっかりを引き継いでいるように感じました。
クリスタンとメジエールは、幼少期ににフランスで親交を深めた幼馴染ですが、彼らが出会った1940年代前半のフランスは、ナチス・ドイツによって占領されおり強い弾圧を受けていました。メジエールの友達だった女の子は、ユダヤ人だったためにドイツ軍に連行され、二度と戻ってくることはなかったそうです。
そんな悲しい歴史を見てきた2人ですが、その経験を憎しみに変えるのではなくコミックとして物語に昇華させました。
パール人たちが戦争を引き起こした人物に赦しを与えるのは、そんな原作者たちのヒューマニズムが映画にもしっかりと継承されているようでとても感動しました。
【愛と責任】
ヴァレリアンは劇中で幾度となくローレリーヌに求婚を申し出るのですが、彼女はヴァレリアンに対して不信感も抱いています。
ヴァレリアンは、幾多のミッションをこなしてきた敏腕のエージェントではありますが、すべて上からの指示に従っているだけで、自らの意志で行動し、その責任を負う覚悟をもっていない事をローレリーヌは悟っていたのです。
パール人と出会ったヴァレリアンは、彼らが故郷をよみがえらせるために真珠(パール)と変換機を必要としていることを知りますが、上からの命令に背くことをためらい、パール人に変換機を返すことを渋ります。しかし、ローレリーヌに説得された彼は、決意を固め、変換機をパール人に返します。
その行動は彼が自らの意志で命令に反し、すべての責任を背負った成長の証です。
責任を負うことの意味を知ったヴァレリアンは、ローレリーヌに心からの求婚をします。ようやく結ばれた二人は、約束していたハネムーン先のビーチへと向かうのでした。