映画『レッド・スパロー』と原作小説「レッド・スパロー」の比較(ネタバレありの感想)
今回紹介する作品は、
映画『レッド・スパロー』です。
【あらすじ】
ボリショイバレエ団のトップダンサー・ドミニカは、公演中の事故で大怪我を負い、ダンサー生命を絶たれてしまう。体の弱い母の介護で苦しい生活を送るドミニカの前に、ロシア情報庁に務める叔父のワーニャが現れ、ある作戦に協力するよう申し出る。その作戦とは、同国の大富豪ウスチノフと2人きりになり、彼の携帯をすり替えるというものだった。ウスチノフを誘惑し、2人きりにしたドミニカだったが、ロシアの特殊工作局の殺し屋が彼女の前でウスチノフを殺害してしまう。国家機密を抱えたドミニカは、自分の身と母を守るために、叔父に協力せざるをおえなくなる。叔父の名によりスパイ養成学校に入れられたドミニカであったが、その学校はハニートラップ要員を養成する〈スパロー・スクール〉と呼ばれる場所であった…
【原作】
原作はジェイソン・マシューズの同名小説『レッド・スパロー』です。
原作者のジェイソン・マシューズ氏は、元々CIAの捜査官だった方で、33年ものキャリアを積んだエリート局員だったそうです。
本作は作者の実際の経験や知見に基づいて物語が構成されているため、作中に登場する国家間の諜報戦は極めてリアルに描かれています。
登場するキャラクターはほぼほぼフィクションの人物ですが、劇中で行われる作戦や、スパイ活動は現実に行われるものを基にしています。実際、ロシアにはハニートラップ要員を育成するスパイの養成項目も本当にあったそうです。
“ブラシ接触”や“カナリア・トラップ”といった聞き馴染みのない専門用語も多々出てくるので、リアル志向のスパイ小説としてとても面白いです。
作中に登場するFBIがやたら無能集団っぽく描かれていたり、プーチン大統領がかなりの悪漢として描かれていたりと、原作者の元CIAとしてのプライドやイデオロギーが見え隠れするのも面白いポイントです。
本作はドミニカの活躍を描いた3部作の第1作目にあたります。この作品の後に2作目の『Palace of Treason』3作目の『The Kremlin's Candidate』と続くので、今回の映画のヒット次第では、続編が制作されるかもしれません。
【スタッフ・キャスト】
本作のメガホンを取ったのは『コンスタンティン』や『アイ・アム・レジェンド』を手掛けたフランシス・ローレンス監督です。
ローレンス監督は『ハンガー・ゲーム2』から最終作の『ハンガー・ゲーム FINA レボリューション』までの3作に渡ってジェニファー・ローレンスとタッグを組んできた経験があるので、互いのことを知り尽くしたコンビです。ジェニファーがこの過激な役を演じられたのも、監督との信頼関係があったと言えるでしょう。ローレンス監督の作品の多くに共通するのが“孤立した中でも戦い続ける主人公”というテーマですが、本作もその監督の得意とする資質が存分に出ています。ローレンス監督の起用に合わせて、本作は撮影や編集、音楽などスタッフの殆どが『ハンガー・ゲーム』のチームでまとめられています。
脚本を担当したのは『レボリューショナリー・ロード』や『ローン・レンジャー』などを手掛けたジャスティン・ヘイスです。ヒューマンドラマから、サスペンス、アクションまで幅広く手掛けてきた敏腕脚本家が、長編小説を巧みな脚色でまとめ上げていました。
前述のとおり主演を務めたのは、ジェニファー・ローレンスです。アメリカ人女性がロシアの女スパイを演じるというかなりトリッキーなキャスティングでしたが、彼女のしっかりした役作りや体づくりによって、ほとんど違和感なく受け入れることができました。(ロシア人が英語で会話する違和感には目を伏せた上で)かなり大胆なシーンも多い役どころでしたが、出し惜しみなく演じていて、ドミニカ役は彼女しかいないと思えるほどでした。
【私見】
78点/100点満点中
長編小説の要素をとても上手く取捨選択しており、物語の再構成が良く出来ていて感心しました。削られた箇所は多々あれど、物語のテーマ自体は原作をきちんと踏襲していました。
原作からの大きく変えたラストの展開にもとても好感が持て、映画作品としての満足度はとても高かったです。
原作エピソードからのの省略は、基本的には上手く出来ているのですが、ある一点、省略による弊害が出ている気がしました。
以下ネタバレあり
【原作との比較】
今回の映画版は、基本的な設定や中盤までの展開は原作を準えて作られていますが、原作からの省略された点が多々あり、ラストの展開も原作と大きく異なっています。
原作はさまざまな組織や人間の思惑が絡む複雑な物語なのですが、今作は原作の登場人物の大半を削って人間関係をコンパクトにまとめています。原作には大勢登場していたSVR(ロシア対外情報庁)やCIAの職員たちが、映画版ではかなり少数に減らされており、小説で最大の黒幕として描かれていたプーチン大統領も登場しません(まぁ当然ですが…)。その代わり、意図的かどうかはわかりませんが、原作では肥満体型と記されていたワーニャが、映画版では若干プーチンっぽいビジュアルになっています。
ドミニカの生い立ちや、スパロースクールで自殺者がでるシーン、モスクワで働くフランス大使館員をハニートラップにかける最初のミッションなど、いくつかのエピソードが映画版では端折られていました。
原作では、先輩スパローのマルタの話と、アメリカの情報をロシアに提供する“スワン”の話、そしてロシアに漏れ出たアメリカの機密情報をドミニカがすり替える話が、それぞれ別個のエピソードなのですが、今回の映画版では“スワン(アメリカ上院議員補佐官のブーシェ)”をレズビアンという設定に変更しマルタと接触させ、ブーシェがロシアに漏らした情報(ディスク)をドミニカがすり替えるという形で、上手に繋ぎ合わせて物語を再構成しています。
小説内でドミニカは“共感覚”という能力を持っており、物体や言葉、人の心理状態が色になって見える特殊な知覚能力を有しています。それによってドミニカは、他者のついている嘘や押さえ込んだ欲情を見抜き、スパイ活動に活かしています。今回の映画版では、そのような能力は描かれていないものの、スパロースクール内での特訓中、自分を襲った同級生と対峙するシーンで、男が何を求めているのかを見抜く力があることをしっかりと描いていました。
【原作からの改良点】
原作も映画版も、ロシアの国家機密をCIAに提供し続けていた“もぐら”の正体が、ドミニカの上官であるコルチイノ将軍だったというのは一緒なのですが、今回の映画版では、その事実が明かされた後のクライマックスに、ある仕掛けを用意しており、映画としてのカタルシスをグッと増強させています。
原作では、ドミニカとコルチイノ将軍の関係はなかり密なもので、ドミニカがSVR内で唯一心を許している人物がコルチイノ将軍です。
コルチイノ将軍は14年間ロシアの国家機密をCIAに情報提供してきたのですが、第一線から身を退き“もぐら”としての役割を継がせるために、わざとドミニカに自分の正体をロシア側に密告させます(SVR高官たちのドミニカへの信頼を揺るぎないものにするため)。
コルチイノ将軍は、ロシアで裏切り者として拷問されたのち、最後はCIAが身柄を確保しているドミニカとのスパイ交換の場で、同国のスナイパーに射殺され亡くなってしまいます。
原作のストーリーは、ドミニカが命を賭したコルチイノの意思を継ぐ、いわば“継承”の物語なのですが、今回の映画版は趣向を変え、“逆転”の物語として仕上げています。
映画終盤、ロシアの“もぐら”がコルチイノ将軍だったと知らされたドミニカは、彼をロシアに突き出すのではなく、叔父のワーニャを“もぐら”に仕立て上げ、母を人質に彼女を苦しめてきたワーニャを陥れます。
多少不自然に感じるところはあれど、伏線もしっかりと散りばめており、叔父への復讐への布石もきちんと描かれていて良かったです。
原作の展開も好きなのですが、一本の映画に仕上げるにあたって、観客を気持ちよくさせる仕掛けを用意していてとても好感が持てました。
【不満点】
本作の一番の不満点は、ドミニカとマルタの関係です。原作でのマルタは、かつて“クイーン・スパロー”と呼ばれ、20年に渡ってスパイ活動をしてきた女性という設定で、スパイ経験者としてドミニカの相談に乗ったりアドバイスを与えたりしてきた、彼女の精神的な支えです。
しかし、ドミニカがウスチノフの殺害現場にいたことをマルタに吐露したことをきっかけに、マルタがウスチノフの死に関する機密情報を握っていることがワーニャの耳にも漏れ伝わってしまい、彼女は暗殺者・マトーリンによって殺されてしまいます。
ドミニカにとっての心の支えであったマルタの死は、彼女が祖国を本格的に裏切るきっかけにもなっています。
しかし、今回の映画版では、ドミニカとマルタの間に密接な関係はなく、マルタがレズビアンであるアメリカの上院議員補佐官・ブーシェ(通称“スワン”)から得た情報を、ドミニカが勝手に盗み、あたかも自分が獲得した情報のようにワーニャに報告します。そのことをマルタから責められたドミニカは、苦し紛れに自分の境遇を語り、ウスチノフに関することも明かしてしまいます。その結果マルタが殺されてしまったので、ドミニカのことがかなり嫌いになってしまいました。
スパイらしい強かさといえば、そうなのかもしれませんが、あのシークエンスでのドミニカの振る舞いはかなり最低に見えました。
【赤いスズメ】
“レッド・スパロー”は直訳すると“赤いスズメ”という意味になります。
ロシアで“赤”といって想起されるのは、ソ連時代の社会主義を象徴する色です。
原作内には、ネイトが旧ソ連と現在のロシア国家を批判し「かつての時代から本質的には変わっていない」という意見を述べるシークエンスがあります。国家に反する者を投獄・粛清した過去とSVRが行なっている非人道的な作戦や、裏切り者の暗殺などは、かつてと全く変わっていないと言うわけです。
映画版ではスパロー・スクールの監督官が「冷戦はまだ終わっていない」と述べるシーンがあります。
ドミニカの境遇や現在行なっているスパイ活動も前時代の名残が生んだもの言えるでしょう。
ロシアにおいて“赤”は、政治的な意味の他に「美しい」という意味もあるそうです。
スパロー(スズメ)については、作品を見てわかる通り、SVR内での“女スパイ”の隠語になります。加えて、ロシアではさまざまな経験を積んだ人のことを、俗に「撃たれたことのあるスズメ」と言うそうです。
“レッド・スパロー”というタイトルは、まさにドミニカを象徴した名前と言えるでしょう。
【ワーニャとドミニカ】
叔父・ワーニャは、姪であるドミニカの弱みを握り、彼女を利用し続けてきました。しかし、最後はそのドミニカに足元をすくわれ、罠に嵌められてしまいます。
ワーニャの最大のミスはドミニカとか間に叔父と姪以上の関係を求めてしまったことでしょう。ドミニカのことを愛してしまったワーニャは、彼女の言うことを信じ、CIAとの繋がりを吐かせるための拷問のような取り調べを止めさせます。(ヴォロントフは撃ち殺されましたが…)ワーニャが何を求めているのかを察知したドミニカは、叔父を誘惑し疑いの目を逸らさせます。
ドミニカのハニートラップの真の標的はナイトではなくワーニャだったというわけです。
ワーニャという名前を聞いて思い出すのは、ロシアの偉人アントン・チェーホフが遺した戯曲『ワーニャ伯父さん』でしょう。 戯曲『ワーニャ伯父さん』において、主人公のワーニャは、愛する人からは振り向いてもらえず、信頼する人からは裏切られてしまいます。
本作のワーニャも、愛したドミニカへの想いは実らず、最後は信頼していた国家から殺されてしまいます。祖国のために働き、祖国によって殺されたワーニャはとても悲しいキャラクターなのかもしれません。
【ネイトとドミニカ】
今回の映画版は、原作と比べるとドミニカとネイトの関係がややドライになっています。
小説ではドミニカとネイトは互いに強い慕情を抱いており、ドミニカがCIAに不信感を抱いても、ネイトへの信頼を動機に作戦に協力するほどです。
対して映画版は、中盤あたりでは2人がいい雰囲気になるものの、最後はドミニカがネイトをも欺いて、“もぐら”のすり替えを実行します。原作と比べると2人の関係がやや淡白に見えるのですが、本作は映画版オリジナルの演出を加えており、ネイトとドミニカの情愛をほのかに描いています。
ネイトと親しくなったドミニカは、グリーグの『ピアノ協奏曲 第2楽章』を聴き、この曲がバレエダンサーとして初めて踊った曲だったことを話します。その後、国家間でスパイの駆け引きを終え、ネイトと別れたドミニカでしたが、彼女元に電話が掛かり、受話口から『ピアノ協奏曲』の優しい旋律が流れます。この素敵な演出で、ネイトとドミニカの秘めたる関係を巧みに示してくれていました。
SVRとCIAという決して交わってはいけない立場にいながら、お互いを思い合うネイトとドミニカはさながら『ロミオとジュリエット』です。
赤いスズメのジュリエットはその音色に何を思うのでしょうか…