映画『オリエント急行殺人事件』と原作小説『オリエント急行の殺人』(ネタバレありの感想)
今回紹介する作品は
映画『オリエント急行殺人事件』です。
【あらすじ】
世界的名探偵エルキュール・ポアロは、エルサレムの教会での盗難事件を解決し、イスタンブールで久々の休暇を取ろうと考えていた。しかし、彼の元に新たな事件の解決を求める電報が届き、オリエント急行で引き返すことを余儀なくされる。オリエント急行には多国籍の客たちが乗車しており、その中の一人・ラチェットからポアロは自分の警護をして欲しいと依頼を受ける。ポアロは彼の依頼を断るが、その夜ラチェットは何者かによって殺されてしまった。ポアロは容疑者と思われる乗客12人に証言を聞き、捜査を進めていくが…
【原作】
原作はアガサ・クリスティーの言わずと知れた傑作ミステリー小説『オリエント急行の殺人』です。
本作はアガサ・クリスティーにとって長編第14作目の小説で、ポアロシリーズとしては8作目の作品になります。
幾度となく映像化された作品ですが、一番有名なのは1974年のシドニールメット版でしょう。
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シドニー・ルメット版は少々の改変はあるものの原作に比較的忠実に作られているので、原作の内容が知りたいけど本を読むのが億劫という人にはこの作品を見るのがおススメです。
ミステリーにおいて反則的ともいわれた結末は世界中で話題を呼び(小説家で脚本家のレイモンド・チャンドラーは本作の結末に大バッシングを浴びせたそう)、クリスティーの代表作の一つとなっています。
作中で語られるアームストロング家の誘拐事件は、1932年にアメリカを騒がせたリンドバーグ愛児誘拐事件が元になっており、クリスティーが作中で犯人に鉄槌を食らわせたのだといわれています。
【スタッフ・キャスト】
本作で監督・主演を務めたのが『ヘンリー五世』や『シンデレラ』を手がけたケネス・ブラナーです。
ケネス・ブラナーといえば、シェイクスピア俳優として有名な人で、シェイクスピア作品の映画化(『ヘンリー五世』『ハムレット』『恋の骨折り損』)も数多く監督しています。そのほかにも『フランケンシュタイン』や『エージェント・ライアン』『スルース』など古典的名作のリブートに多く関わっており、本作もそういった古典的名作の現代リブートの一作と言えます。
オリエント急行の乗客を演じるのはジョニー・デップ、ミシェル・ファイファー、ジュディ・デンチ、ウィレム・デフォー、ペネロペ・クルスなど錚々たる名俳優たち。名優たちの熟練した演技が映画に深みを与えていました。
脚本を担当したのは、『LOGAN/ローガン』や『ブレードランナー2049』でも脚本を務めたマイケル・グリーン。彼が脚本に入ったことによって、本作のヒューマンドラマとしての側面がぐっと前景化していました。
【私的評価】
78点/100点満点中
多くの人がストーリーを知っている古典的名作を、結末を知ったうえでも楽しめるよう、いたるところに工夫が施されていました。
原作と比べると、ポアロがやや人情味のある情熱派のキャラクターになっています。
原作の嫌らしく淡々と犯人に詰め寄り真実を引き出すポアロと比べると、今作のポアロは熱量で押しているように見えて少し不満もあったのですが、ポアロの人間味が映画のテーマに深く関わり合い、ヒューマンドラマとしての深淵さが増している部分もありました。
以下ネタバレあり
【原作との比較】
なんといっても原作は世界的な名作小説であり、結末を知る人も多い作品のため、製作者がどうにかして目新しさを取り入れようと苦心したのが感じられる仕上がりになっていました。
大きな改変点としては、ポアロをはじめとする主要登場人物のキャラクター性にアレンジを加えた点でしょう。これによって原作よりもヒューマンドラマとしての側面が増幅していました。
一方、事件の真相やトリックについては物語の根幹であるため、原作からのアレンジはさほど見られませんでした。
原作は冒頭以外全てオリエント急行の車内で物語が進むため、ほとんど会話劇といっていいほど状景の移り変わりがありません。(ポアロと犯人の心理戦といっても過言ではないと思います。)
対して今作は、観客を飽きさせないようにオリエント急行の車外や、トンネル内、列車の上や、鉄道橋など、意識的に画変わりがするよう心掛けてています。また、ポアロシリーズとしては異色と言えるほど、ポアロが比較的アグレッシブに動き回っていて、ちょっとした見せ場も用意されています。
また、オープニングに原作にはなかったエルサレムでの遺物盗難事件を解決するシークエンスを加えることで、ポアロがどういう人物なのかを所見の人でも掴みやすいようにしていました。
【原作からの改良点】
原作では、誘拐事件の関係者12人がオリエント急行に集まった意味が“裁判が行われる際の陪審員の人数が12人のため、被害者家族との血縁や親交があった12人がラチェットに裁きを下す”という理由付けになっているのですが、今回の映画版では12人がそろった意味合いを変えています。
今作のクライマックス、ポアロが容疑者たちの前で謎を解き明かす場面。容疑者12人は鉄道のトンネル内に横一列に並び、ポアロと向かい合います。その様子はさながら、レオナルド・ダヴィンチの絵画『最後の晩餐』のようです。
「最後の晩餐」は、イエス・キリストが処刑される前夜に12人の弟子と摂った夕食を様子を描いたもので、横並びの卓の中央にキリストが腰かける構図になっています。
本作で横並びの卓の中央にに座るのは事件の首謀者であるハーバード夫人。彼女がこの全体の中でのキリスト的存在というわけです。
【本作の不満点】
後にも書きますが、今作のポアロは原作のキャラクターにいくらかアレンジを加えており、原作での冷静沈着なキャラクターよりも、人情味や情熱のあるキャラクターに改変されています。
原作よりも熱量高めのキャラクターに設定したが故に、常に冷静だった原作のポアロと比べると容疑者への尋問の仕方がずいぶん下手に見えました。
特にその印象を強く受けたのが、クライマックス付近のメアリ・デブナムとと対話シーン。ここでポアロはデブナムを「あなたが犯人だ」と断定し詰め寄ります。確かに彼女も共犯の一人なので間違ってはいないのですが、それが事件の全貌ではないのでずいぶん早合点なように見えました。ポアロがアーバスノットに肩を撃たれるところを見ると、この尋問がデブナムや他の乗客から新たな真実を引き出すための罠だったようにも見えないので、やや杜撰な尋問に見えました。
別に「ポアロはこうあるべき!」と言うわけではないのですが、劇中で「世界一の探偵」を自称させたのならそれらしい振る舞いをして欲しかったです。
ハンガリーの外交官・アンドレニ伯爵役に世界的バレエダンサーのセルゲイ・ポルーニンが配役されているのですが、彼のキャスティングに合わせてアンドレニ伯爵に原作には無かったバレエダンサーという設定が加わっています。
彼の身体能力を見せるために、伯爵が登場する場面で、不自然すぎるアクションシーンが用意されています。ただでさえ不自然なシーンで、体のキレが良すぎるアクションが繰り広げられるので、ノイズになっていました。あまり責められないですが、名役者揃いの中だと彼の演技の不得手さも目立っていました。
【ポアロという人間】
ポアロの人物像の改変による不満点を前述してしまいましたが、ポアロ像のアレンジが上手くいっている部分もあります。
今作のポアロは、2つの卵の大きさをミリ単位で比べたり、相手のネクタイの歪みが許せなかったりとと、軽く強迫性パーソナリティ障害を抱えたようなキャラクターになっています。その性格から、この世には“正義か悪しかない”と考える善悪二元論者であり、物事の歪みが許せない人です。
ポアロは事件の全容が明らかになるにつれて、その真相が善と悪で測れるものではないことに気付き、愛する恋人・カトリーヌの写真を見つめながら弱音を吐きます。ちなみに、原作にはカトリーヌのことについて触れる描写はありません(そもそもポアロは独身の設定で、恋人もいなかったはず…。)
事件を解決に導き、自分の価値観が揺さぶられたポアロは、初めて物事のアンバランスさを受け入れます。この物語はポアロ自身の成長譚でもあるのです。
【13人の容疑者】
犯人と疑われる容疑者に関しても、数名に人物像の改変があり、原作を知っている人でも飽きない工夫がなされていました。
特に改変を加えられていた人物をあげると
- マックィーン・・・ラチェットの秘書で、父がアームストロング事件に関わった検事だという設定は原作と変わっていませんでしたが、今回の映画版では、父がアームストロング家のメイドを犯人として責めた故にメイドが自殺し、世間から非難された父も死に至ったという改変が加えられています。これによって、彼がラチェットを殺す動機に父の過ちで亡くなったメイドへの贖罪の意味も加わっています。
- アーバスノット・・・軍に所属していたという設定は原作と同じ。映画版では医師という設定が加わって(原作にいたコンスタンティン医師という登場人物がいなくなった代わりに、彼に医師の設定が乗せられています)おり、キャラクターになっています。アームストロングの援助によって医師になることができたという背景も加わっており、ラチェットを殺す動機がより強固になっています。
- マスターマン・・・原作と同じくラチェットの執事という設定。映画版にはがんで余命わずかであるという設定が加わっており、それによってラチェットを殺めることが彼にとっての終生の悲願となっています。
- アンドレニ伯爵夫妻・・・前述のとおり外交官という設定にバレエダンサーの要素が加わっており、夫婦ともにダンサーということになっています。
- マルケス・・・原作ではアントニオ・フォスカレリという名。名前以外の設定はほぼ原作通りなので何故名前を変えたのかが謎。
その他のキャラクターにも微々たる改変は加わっていますが、基本は原作に忠実に作られています。
原作や1974年版よりも殺人に至る動機がしっかりしていたと思います。
【その十字架は全員で背負う】
原作でのポアロは、犯人全員への処遇について鉄道会社の重役のブークと医師のコンスタンティンに委ねますが、今作では犯人たち自身に身の振り方を決めさせます。
ポアロはハーバード夫人に銃を渡し、自分を撃って事件を闇に葬るか、自首をするかの選択を迫ります。ハーバード夫人は、銃を手に取るとその銃口をポアロではなく自分自身に突きつけ引き金を引きます。ですがその銃に弾薬は入っておらず、彼女の自殺は未遂に終わるのでした。
ラチェットを殺すという宿願が果たされたということは、彼女がこれから先、生きていく目的を失ったということでもあります。ポアロは彼女が自分自身に銃を突きつけることを分かっていて、弾を抜いておいたのでしょう。
犯人たちが起こした殺人という行為は到底許されるものではありませんが、今回の事件は善き人々たちの信念に基づいた行動によって悪が滅ぼされたとも言えます。ポアロはこの事件が善か悪かで割り切れないことを受け入れ、彼らを見逃します。
人を殺すということがどれだけ重い事なのかを知っている彼らであれば、その罪を一生背負って生きていくことの辛さも分かっているはずだとポアロは考えたのでしょう。
【最後に】
映画のラストにエジプトで事件が起こったことがポアロに知らされ、物語は幕を閉じます。ということは、おそらく続編が「ナイルに死す(ナイル殺人事件)」になるということでしょう。ポアロの出会う新たな事件が楽しみです。