雁丸(がんまる)の原作代読映画レビュー

原作読んで映画レビューするよ!

映画『スターリンの葬送狂騒曲』と原作コミック『La Mort de Staline』の比較(ネタバレありの感想)

今回紹介する作品は

映画スターリンの葬送狂騒曲です。

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【あらすじ】

1953年、ソ連の最高権力者ヨシフ・スターリン脳出血により危篤状態に陥った。すぐに側近たちが邸宅に集められるが、皆一様にスターリンの後釜を狙い、色めき立っていた。そんな中スターリンの補佐役で一番の腹心あったマレンコフが書記長職の代理を務めることになり、マレンコフと手を結んでいたNKVD警備隊トップのベリヤが第一副議長の座を手に入れる。ナンバー2に成り上がったベリヤは、マレンコフを裏で操り権力を振るおうと目論むが、第一書記長のフルシチョフはベリヤに出し抜かれたことが気に入らず、権力者の座を奪取しようと狙っていた…

 

【原作】

原作はファビアン・ニュリ作、ティエリ・ロバン画グラフィックノベル『La Mort de Staline』です。  

スターリンの葬送狂騒曲 (ShoPro Books)

スターリンの葬送狂騒曲 (ShoPro Books)

 

 ↑映画の公開に合わせて邦訳版が映画と同名タイトルでリリースされています。

本作はフランスで出版されたコミックで、いわゆるバンド・デシネと呼ばれる類の作品です。

作者のファビアン・ニュリは、ナチスが開発した吸血鬼兵器を描いた物語『我が名はレギオン』や、移民のユダヤ人少年がパリの暗黒街を牛耳っていく様を描いた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・フランス』などのシナリオを手掛け、世界的権威のあるアングレーム国際漫画賞などを受賞してきた鬼才です。

ニュリ氏は祖父の家でスターリンに関する書籍を発見したことがきっかけで、スターリンの死後の権力闘争に興味を持ったそうです。最初は重たい政治スリラー作品になると思っていたのに、調べていくうちにその実情があまりに馬鹿馬鹿しかったことを知り、恐怖を感じる同時に笑いもしてしまったそうです。作者自身この時のことを、ジョン・ル・カレ作品やロバート・ラドラム作品のような作風を目指していたのに『博士の異常な愛情』のような作品のネタになるものを見つけてしまった」と語っているほどです。

 

【スタッフ・キャスト】

本作のメガホンを取ったのはアーマンド・イアヌッチ監督です。  

In The Loop [Import anglais]
 

 イギリスの国際開発大臣の失言により英米間で混乱が起こって行く様を描いた映画『IN THE LOOP』や、アメリカの女性副大統領の奮闘を描いたドラマ「Veep/ヴィープ」など、政治界のヒリヒリした人間関係を面白おかしく描くことに定評のあるイアヌッチ監督だけに、政治劇でもある本作への起用は彼の資質にピッタリあっていたと思います。

  本作のメインキャラクターとなるフルシチョフを演じたのはスティーブ・ブシェミ。実際のフルシチョフにはあまり似てはいないのですが、スターリンの前での道化っぷりや、権力の座を狙う狡猾さが、熟練の演技で巧みに表現されていました。ブシェミといえばハリウッド随一の殺され役者としても有名ですが、果たして本作で彼は生き残るのか、はたまた亡くなってしまうのかはは是非映画を見て頂きたいです。(史実を知っていれば分かりきったことですが)

フルシチョフと対立するベリヤを演じたのはサイモン・ラッセル・ビールシェイクスピア俳優として知られる名優だけに、極めて下劣で最低野郎のベリヤを演じるのにはかなりギャップを感じたのですが、悪漢で憎たらしいベリヤを見事に演じていました。出演者の中でベリヤが一番、史実に近いビジュアルだったと思います。

 

私見

84点/100点満点中

原作コミック以上にコメディ要素を強めた本作は、登場人物の殆どが滑稽なキャラクターとして描かれています。ただ滑稽と言っても、間が抜けているというわけではなく、政敵の失脚や民衆からの人気取りを目論んだ結果、思いもよらぬ方向へと事が転がっていき、狼狽する人間の滑稽さが描かれています。(マレンコフは完全に間の抜けたキャラクターとして描かれていましたが…)彼らの権力闘争の影で犠牲になった人々の姿もきちんととらえており、馬鹿馬鹿しい物語でありながら、作り手がとても誠実に作っている印象を受けました。

半世紀以上前の事件がベースとなった物語ですが、現代にも通ずる鋭い皮肉が効いていて、笑える部分とゾッとする部分が絶妙な塩梅で両立していました。

 

 

 

以下ネタバレあり 

 

 

 

 

【原作との比較】

本作は実話をベースにした作品なので、原作も映画版も史実にほぼ沿った形で物語が進行します。

原作コミックは実際に起こった事件をベースにしつつも、登場人物のキャラクター性にかなりデフォルメが加えられており、各キャラクターの残忍さや哀れさを強調する事で人間ドラマを作り出していました。

今回の映画版は、原作内で只でさえデフォルメされていたキャラクター性をさらに誇張しており、滑稽さや馬鹿馬鹿しさがより際立っていました。コメディ演出を原作よりも増量し、コミックにあったシリアスな部分をかなり排除しているので、原作とは少々異なったテイストの作品になっています。

登場人物はほぼ全員馬鹿なキャラクターに振り切っているのですが、特にスターリンの腹心で後書記長代理を務めることになるマレンコフは愚鈍すぎるキャラクターに改変されており、原作ではある程度身の振り方を考えている人間だったのが、映画では優柔不断極まりないキャラクターになっていました。

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原作中にはスターリンの息子・ワシーリーが「神の子に生まれたらどう生きる?」と大きすぎる父の存在に苦悩していたことを吐露する場面や、ベリヤが処刑前「この日が来ることはずっと前から分かっていた…」と自身もスターリンの粛清の恐怖に怯えていたことを語り処刑場へと向かうモノローグシーンなどがあったのですが、映画版ではそういったシーンは丸々カットされ、悲惨な末路を迎えるキャラクター達は、徹底して無様な最期になっていました。

監督自身「観客に覚えておいてほしいのは、たとえ登場人物を応援したくなったとしても、実際には彼らの行動で人々にひどく壊滅的な影響をもたらしていたということだ」と語っているので、この悪党どもの末路を情緒的に描いてたまるかという思いがあったのかもしれません。

 

【原作からの改良点】

今回の映画版では原作中で触れられていなかった、スターリンによる宗教弾圧の影が描いています。

スターリンは1930年から猛烈な宗教弾圧を行い、たった1年で3万近くあったロシア正教の教会数をほぼ半減させました。その数年後には、活動を続ける教会数はロシア革命前の2割ほどとなり、多くの修道士や修道女がグラード(収容所)へと送られ処刑されました。

本作中では、スターリンの死後、ベリヤが葬儀担当になったフルシチョフの失脚を目論み、今まで国家が弾圧してきたロシア正教会の主教を葬儀へと参列させます。

映画内では描かれていませんが、フルシチョフはその後スターリン以上に徹底した宗教弾圧を行い、教会数を8000以下にまで激減させました。世界史において、スターリンよりも比較的人道主義だったと言われることの多いフルシチョフですが、葬列に主教を映すことで、彼が以降行う非道な迫害が暗示されていました。

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映画版のラストシーンは、原作と異なりかなりシニカルな終わり方になっています。

原作コミックは、ベリヤの処刑から数日後、ピアニストのマリア・ユーディナがオーケストラのメンバーの前でベリヤを揶揄したジョークを笑いながら語るというラストシーンだったのですが、映画版では、ベリヤを失脚させ最高権力者となったフルシチョフがマリアの演奏するピアノを聴く中、その後ろでブレジネフが虎視眈々とその座を狙う表情が映し出され終わっています。

原作では、ベリヤの死とマリアの笑顔で物語が一件落着した印象を受けましたが、映画版の終わり方はこれからも続く権力闘争を示唆しており、とても皮肉が効いていました。

 

【本作の不満点】

前述した通り本作は、原作にあった情緒的な場面を排除し、登場人物たちを極めて滑稽に描いています。ただ、そのスタンスのせいでキャラクターの奥行きがなくなっていることも否めません。特にその影響を感じたのが外務大臣モロトフです。

モロトフの妻・ポリーナは、スターリンによってあらぬ罪を着せられ逮捕されていました。スターリンの死後、ベリヤはモロトフを味方につけるために囚われていたポリーナを解放し、モロトフのもとに返します。原作中では、妻は死んでしまったのだと思いすっかりスターリン政権にのめり込んでいたモロトフが、ベリヤから妻を返され嘆声をあげる悲劇的なシーンなのですが、映画版では盗聴への脅えから、ベリヤの前で妻を批判し、肝心の妻との再会シーンは軽い抱擁で片づけられていました。

実際のモロトフは、愛妻家であると同時にスターリンへの忠誠心を誰よりも持っていた人間です。作家のコンスタンチン・シモーノフによるとモロトフは「スターリンの死を心から悼んだ唯一の政治局員」だったといいます。愛する妻を奪われながらもスターリンへの崇拝をやめないことがモロトフという男の一番の滑稽さだと思うのですが、変に茶化したせいで本来の愚かな人間性が損なわれているような気がしました。

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【史実との比較】

本作は史実上で実際に起きた事件を基にしつつも、その事件が起こる過程や責任の所在に改変が加えられており、主要キャラクターたちの愚かしさや業がより強まっています。

例えば、スターリンの葬儀に押し寄せた民衆にNKVD(KGBの前身となる組織)が発砲する場面。映画中では鉄道管理の担当だったフルシチョフが、NKVD警備隊の最高責任者だったベリヤを失脚させるため、混乱が起こるとわかっていながらわざと鉄道を発車させ、押し寄せた群衆にNKVDの隊員が発砲してしまったために、ベリヤが責任を問われる形になっていました。しかし実際にはNKVDは民衆には発砲はしておらず、葬儀に押し寄せた人々が揉みくちゃになり、結果として150人近い死者が出ることになってしまったそうです。実のところベリヤの責任よりも、むしろ現場をコントロールできないのに列車を走らせたフルシチョフの責任が最も重いのです。ですが今回の映画版では、ベリヤを現場を制御する事が出来なかった男、フルシチョフをベリヤの失脚のために民衆の命を利用した男として描いており、彼らの業がより深くっていました。(ちなみに史実上では、ベリヤが失脚の理由は、自由化政策を打ち出し過ぎたゆえに東ベルリンで民主化デモが起こったことが発端だといわれています。)

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このように登場人物達を愚かしく描くために改変された部分もいくつかありますが、逆にこれはギャグでしょと思うようなシーンが史実通りだったりする場面もあります。

意識不明のスターリンのもとに側近たちが駆けつけるシーン。側近たちはスターリンを診てもらうために医者を呼ぼうと話し合うのですが、優秀な医者達が皆収容所に送られていることに気づきます。一見、スターリンの独裁体制を茶化すために作られたブラックジョークのようですが、このエピソードは1953年1月にユダヤ人医師たちが政府首脳の暗殺を企てたとして無実の罪で逮捕された医師団陰謀事件が基になっています。

また、ピアニストのマリアがスターリンに政権批判の手紙を送ったのも史実通りで、彼女はスターリンを心底嫌悪していたのですが、スターリンから最も気に入られたピアニストとして知られています。(スターリンが彼女の手紙を読んで倒れるは流石に脚色された部分ですが)

このように本作は、虚と実を絶妙に織り交ぜた巧みなアダプテーションがなされています。

 

スターリンになれなかった男】

スターリンが心肺停止に陥った時、真っ先に行動を起こしたのがベリヤでした。彼はスターリンの部屋から側近たちの個人情報が記された資料(側近達を粛清出来る情報)を盗み出し、他の幹部たちの弱みを握って誰よりも優位に立ちます

ベリヤはその後、幹部会の議決で優位に立つため、スターリンが粛清する予定だったモロトフをリストから外し、逮捕されていた妻のポリーナを釈放しました。

スターリンの補佐役だったマレンコフが書記長代理になるとベリヤの暴走はさらに加速し、政権ナンバー2という立場から優柔不断なマレンコフを操り、実質的な最高権力者となります

スターリンがこれまで粛清対象として逮捕してきた囚人たちを人気取りのために釈放させたり、モスクワの警備をソ連軍から自分の管轄下にあるNKVD警備隊に交代させたりと、自分の地位を盤石なものへとしていきました。

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 己の権力を確固たるものにしつつあったベリヤですが、彼がスターリンの後継となれなかった最たる誤謬が、権力の振るい方を心得ていなかったことと、漁色家の強姦魔であったことです。

モスクワの警備をソ連軍から奪ったはいいものの、NKVDの隊員が葬儀に押し寄せた民間人に発砲したため、ベリヤは窮地にたたされます。ほかの幹部たちから責め立てられたベリヤは、スターリンのオフィスから盗み出した粛清リストを引っ張り出し、幹部たちが過去に犯した罪を並べ立て、彼らを脅します。しかし、これがベリヤにとって大きな失態となりました。

スターリンは側近たちを断罪できる材料を持っていながらも、彼ら直接的に脅すようなことはせず、いつでも粛清できるという空気を醸すによって周囲を恐怖支配していました。対してベリヤは、幹部たちを粛清できる材料を直接的に明示し、脅迫してしまいました。絶対的な権力を手に入れたベリヤでしたが、その使い方を分かっていなかったのです。脅された幹部たちは、ベリヤに消される前に彼を消さなくてはという考えに至り、ベリヤを処する方向へと気運が高まっていきました。

そして、ベリヤが幹部たちに断罪される材料となったのが彼の性的狂態です。

ベリヤはとてつもない色狂いで、気に入った女性をNKVD本部に拉致しては性的暴行を繰り返していたそうです。誘いを断った女性は家族もろとも収容所に送ったり、時には殺害することもあったといいます。(性的倒錯者ベリヤの最たる悪行として「ベリヤのフラワーゲーム」というものがあるのですが、書くだけで気分が悪くなるので、気になる方のみ調べてみてください。)原作ではベリヤが女性を犯すシーンが序盤で描かれているのですが、今回の映画版ではベリヤが女性に暴行を加えるシーンは直接的には描かれていません。ですが、ベリヤがスターリンの邸宅から侍女を連れ出し、NKVD本部に禁固した後、翌朝に家族のもとに少女を返すという不穏なシーンが加えられていました。

ベリヤが今まで行ってきた鬼畜の所業は、弁護人・弁明権なしに銃殺刑に処されるには十分すぎる理由となりました。

 

スターリンの影は未だ消えず】

 スターリンの死後、側近たちは皆、権力の掌握や保身のために改革を行おうと目論むのですが、意見や思想が相容れないと「それは生前のスターリンの意に反する」や「彼は革命的な男だった」などと、亡きスターリンの話を持ち出し曲論や詭弁をぶつけ合います。それぞれがスターリンという男を自分にとって都合のいいように解釈し、自分を正当化しようとする様は本当に滑稽で、スターリンが死んでもなお彼らがスターリンの傀儡であることが示されていました。

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ベリヤの死、そしてマレンコフの失脚後、最高権力者となったフルシチョフは後に党大会でスターリンを批判する演説を行うのですが、それでも尚スターリンの幻影は未だにロシア政府の中で生き続けているようにも感じます。

イギリスで製作された本作は、舞台となった本国ロシア(ソ連)では、封切り3日前に上映が中止されたそうです。「歴史映画としても芸術映画としても価値がない」というのが、ロシア文化省の言い分ですが、アイロニカルに歴史の闇を突いている本作に歴史映画としての価値がないとは到底思えません。政府の意に反するものを封殺する体制には、スターリン政権下から何も変わっていない印象を受けてしまいます。

上映中止となったのが、ロシア大統領選の2ヶ月前だったというタイミングを見るに、高官たちは国家の滑稽な歴史を人々に揶揄されることを恐れたのかもしれません。

それだけこの映画が政治世界の愚かしさを鋭く突いているとも言えるでしょう。