雁丸(がんまる)の原作代読映画レビュー

原作読んで映画レビューするよ!

映画『曇天に笑う』と原作漫画『曇天に笑う』の比較(ネタバレありの感想)

今回紹介する作品は

映画曇天に笑うです。

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【あらすじ】

明治維新直後の滋賀県大津。この地には300年に一度、曇天が続くと伝説の化け物・大蛇(オロチ)が現れ、人々に災いをもたらすという伝説があった。

琵琶湖の湖畔に建つ曇神社には、大津の治安を守る曇三兄弟が暮らしており、日々政府に不満を持つ罪人たちを捕らえては、孤島の監獄・獄門所へと送っていた。

ある日、大津の町を闇の忍び・風魔一族が襲った。風魔一族の目的は、大蛇復活のための鍵となる人間“器”を探す事だった…

 

【原作】

原作は唐々煙先生の同名漫画『曇天に笑う』です。

本作は女性向けコミック誌『月刊コミックアルヴァス』に連載されていた作品で、2011年から2013年までという短い連載期間(元々5巻まで刊行する予定だったところを人気が出た為に6巻まで伸ばしたとのこと)ながら、外伝1巻と前日譚となる『煉獄に笑う』が現在までに7巻発刊されている人気漫画です。

2014年にはアニメ化と舞台化がされ、近日風魔一族を描いた劇場アニメが公開されます。

本広監督曰く、唐々煙先生は物語の意味合いや整合性よりも、キャラクターのかっこよさを重視する方らしく、漫画でもケレン味たっぷりの画が随所に見られます

 

【スタッフ・キャスト】

本作のメガホンを取ったのは、『踊る大捜査線』や『亜人』の本広克行監督です。

亜人 DVD通常版

亜人 DVD通常版

 

 

テレビドラマや舞台作品の映像化を数多く手掛け、映画業界メインストリームにいるイメージが強い本広監督ですが、実は生粋のアニメオタクだそうで、押井守監督や庵野秀明監督などの影響を多大に受けているそうです。特に2013年にProductionI.Gの企画部長を務めるようになってからは、そのオタク的な側面が前面化し、漫画作品の実写化やアニメ作品の総監督など、漫画アニメ作品の映像化に積極的に取り組んでいます。本作もそのような系譜にある一作といっていいでしょう。

脚本を務めたのは、『エイトレンジャー』や『仮面ライダーエグゼイド』の高橋悠也さん。高橋さんは、本作のアニメ版の脚本を務めていた方でもあるので、『曇天に笑う』とは繋がりの深い方です。

主人公・天火を演じたのは福士蒼汰さん。『無限の住人』でも、エキセントリックな時代劇のキャラクターを演じていた福士さんですが、やはり彼のアクションは見事なもので、今回は扇子を武器にしたアクションを軽やかにこなしていいました。

 

私見

43点/100点満点中

大筋自体は原作を準えている本作ですが、脚色において100分弱の物語にまとめることばかりを意識した結果、成長するべきキャラクターの物語が大きく削がれ、実に残念な仕上がりになっていました。

役者たちをカッコよく撮ることばかり注力し、物語の整合性もほとんど取れていませんでした。

かなり杜撰なストーリー展開ではありますが、大蛇と人間の関係性について、原作ではきちんと描けていなかった部分でが改良されていて良かったです。

 

 

以下ネタバレあり

 

 

 

 

【原作との比較】
原作は全6巻(外伝を含めても全7巻)と、人気連載漫画としては比較的短めの作品のため、上手くまとめることができれば2時間程の映画として作りやすい作品と言えます。

今回の映画版は、アウトラインの部分は原作に沿って描かれていますが、94分の映画にまとめるために、原作漫画の中盤部分を丸々端折っています。

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 大蛇を守ろうとする曇家、大蛇を殺すことを目的とする犲(やまいぬ)、大蛇の力を使って一族の復活を目論む風魔の三つ巴の争いという構図は原作を踏襲しており、次男・空丸が大蛇の器となってしまう展開も原作同様です。

 大きく端折られた部分は、長男・天火に大蛇の器としての兆候が現れ、処刑されてしまう展開です。天火は幼少期、風魔によって負わされた大怪我を大蛇の細胞を使って治癒しており、故に大蛇の器のような症状を発していました。処刑直前に天火が器でないことがわかり執行は回避されるのですが、弟たちにはそのことは知らされず、兄なしで生きていくこととなります。その展開で空丸と宙太郎の成長が描かれていたのですが、映画版では省略されていました。

登場キャラクターについても、安倍家の式神・牡丹や滋賀県警の比良裏、風魔の末裔ながら一族から逃げ去った抜け忍の錦などのキャラクターが映画版には登場していませんでした。

本作においての脚色は、ほとんどが原作のストーリーの省略の為、映画版で用意された新しい展開や、物語を大きく動かすオリジナルキャラクターなどはほとんどありませんでした。

 

【原作からの改良点】

今回の映画版の最大の美点は、大蛇と人間の間の確執に触れ、最終的に大蛇を守り神として崇め共存することを選ぶ点です。

原作でも天火が声高に「大蛇を守る」と宣言するシーンがあるのですが、最終話では大蛇の器となった空丸が、身体から引き剥がした大蛇を真っ二つに叩き斬っています。漫画で描かれた大蛇は本当にとてつもない災厄をもたらす化け物だったので、倒す事も致し方ない部分はあったのですが、「2巻あたりで言ってたことと違うじゃん」という釈然としないモヤモヤ感も残っていました。

対して映画版では、人間に恵みの雨をもたらした大蛇と、その大蛇を異形の化け物として恐れ遠ざけた人間の過去の確執が説明されています。その歴史を知る天火は、荒天を引き起こし暴れる大蛇を殺すのではなく、人々を守るように祈り、鎮め、封じます

大蛇との共生を選ぶことで、犲(やまいぬ)とも風魔とも異なる、曇家としての意思を貫く形となりきちんと筋が通されていて良かったです。

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【不満点】

本作に対しては言いたいことがたくさんあるのですが、一番の問題点は弟たちの成長をきちんと描けていない点でしょう。

次男・空丸は、兄・天火が曇家の問題を全て抱え込んでいることに不満を持っており、兄の力になれない自分の弱さに不甲斐なさを感じています。

自分の弱さを嘆く空丸は、犲の元で特訓をするのですが、この特訓シーンは空丸の成長を描くものではなく、彼の中の大蛇が覚醒してしまうという問題にすげ替えられています。

空丸の中の大蛇が覚醒した後は、完全に天火の独擅場となり、ほぼ天火1人の力で問題が解決されていきます。

三男・宙太郎にいたっては物語を膨らます気すらなく、劇中での彼の成長といえば命中しなかったパチンコが当たるようになるだけです(なにそれ)

原作では、宙太郎が空丸に取り憑いた大蛇を宝刀で引き剥がし、空丸が暴れる大蛇を斬り倒しています。映画版では器からの引き剥がしも、大蛇の封じ込めも全て天火が主体となって解決しているので、兄貴が全てを抱え込みすぎ問題がなに一つ解決されていませんでした。

一応、大蛇の封印の時に兄に手を貸しているのですが、天火の頑張りに比べたら圧倒的に物足りません。エンドロールでは空丸と宙太郎が食い逃げ犯を捕まえるシーンが加えられているのですが、強くなった彼らを描くのであれば本筋でやってほしいです。大蛇を封じ込めた兄に対して、食い逃げ犯を捕まえた兄弟じゃバランスがとれてなさすぎます。 

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闇の忍び・風魔をめぐってのストーリーも意味不明すぎて、唖然としました。

曇家には金城白子という同居人がいるのですが、彼は風魔一族の復活のため曇家に潜り込んでいたことが終盤で明らかになります。

白子は曇家に潜入していた目的を「器を導くため」と言っていたのですが、大蛇の器が三兄弟の近辺にいることがわかっていたなら、風魔の忍びたちが街を襲って住人たちの腕を確認していたあれはなんだったのでしょうか?というか、闇の忍びが白昼堂々街を襲ってんじゃないよ!忍べよ!

風魔兄弟と天火のラストバトルも正直不満だらけです。まず、天火に対して優勢に戦いを進めていた白子が、パチンコが短刀に当たっただけで一気に攻撃の手を緩めるのはあまりうまい見せ方とは思えないし、親を殺した仇である風魔小太郎を最終的に倒すのが、天火ではなく犲の安倍というのもだいぶガッカリでした。こんな中途半端な描き方をするぐらいだったら、白子が三兄弟と過ごした時間を思い出して攻撃の手を緩める方がいくらかマシだった気がします。

 犲に関しても「はぁ?」と思う描写が多かったです。空丸が大蛇の器だと気付いていながら、隊員である鷹峰を単独で送り、当然のごとく大怪我を負わせるのは、隊長の安倍がクソ野郎か無能にしか見えませんでした。けがを負った鷹峰が、割とあっさり隊に復帰するのも、その後手負いとは思えない戦い方をするのも、雑な演出にしか見えませんでした。

設定が若干複雑な物語とはいえ、やたらと説明的なナレーションを入れるのもどうかと思いました。特に風魔が獄門所を襲撃するシーンなど、画で見ればわかるシーンにナレーションを付け足すのは下手にしか見えません。大蛇の過去や凶暴さについての説明はやたら多いわりに、器というものがどういうものなのかについては、ほどんど説明されないのも不親切極まりないと思いました。

この他にもとにかくツッコミどころが多く、真面目に撮っているようには思えませんでした。

 

【イケメンパラダイス】

この映画の最大の売りは、イケメンを勢ぞろいさせたところ言っても過言ではないでしょう。

主要キャストは全て男性で揃えており、漏れなく男前の役者がキャスティングされています

原作に登場していた安倍家の式神・牡丹や風魔の抜け忍・錦などの女性キャラは登場させず、犲の紅一点で二丁拳銃の使い手の佐々木 妃子という女性キャラクターも永山 蓮という男性キャラクターに改変するという徹底した女性キャラの排除っぷりです。

とにかくイケメンを揃えようとする謎の方向へのこだわりは、実在の人物である岩倉具視にまで及び、史実上のビジュアルとも漫画上でのビジュアルとも全く似ていない東山紀之をキャスティングするほどでした。

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 ↑左から、実際の岩倉具視、漫画版の岩倉具視、映画版の岩倉具視…寄せる気全くねぇ…

おそらく製作陣は、男性同士の関係性に萌える女性に狙いを定め、本作を訴求しようとしていたのだと思います。(実際監督自身もインタビューでそれに近いことを言っています)でも、中途半端に大衆受けを狙った為にブロマンスとしても振り切れていない煮え切らない作品となっていました。

腐女子に媚びて女性キャラを排除した結果、劇中の女性キャラに自分を重ねて楽しむ“夢女子”を完全に置いてけぼりにしているようにも見えました。

 

【笑え!】

主人公・天火は、両親が殺された悲しみを抱えながら、2人の弟を親に代わって育ててきました。

そんな天火が弟たちにいつも言っているのが「笑え」という教えです。

失うことの悲しみを知る天火だからこそ、笑う事が彼を支え、風魔への復讐に心をとらわれる事なく、弟たちを育て上げる事ができたのでしょう。

(この映画は僕を笑わせてくれなかったですけど…)

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