雁丸(がんまる)の原作代読映画レビュー

原作読んで映画レビューするよ!

映画『IT イット “それ”が見えたら、終わり。』と原作小説『IT』(ネタバレありの感想)

今回紹介する作品は

映画『IT イット “それ”が見えたら、終わり。』です。

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【あらすじ】

 閑静な田舎町デリーでは、子供たちが行方不明になる事件が相次いでいた。内気な少年・ビルの弟ジョージーも、下水管に潜む何者かに襲われ行方不明となってしまう。ビルは失踪したジョージーを探すため、親しい友達や、いじめられっ子から標的にされている子らと団結し、「ルーザーズ・クラブ」を結成する。彼らは謎のピエロに脅かされながらも、“それ”に立ち向かう決意を固めるのだった…

 【原作】

原作はスティーブンキングが1986年に発表した傑作小説『IT』です。 

IT〈1〉 (文春文庫)

IT〈1〉 (文春文庫)

 

 『シャイニング』『ミザリー』『スタンドバイミー』など、数多くの世界的ベストセラー作品を発表してきた文豪・スティーブンキング。手掛けてきた作品のジャンルは、ファンタジー・ミステリー・ヒューマンドラマなど多岐にわたりますが、“King of Horror”の異名を持つ通り、彼の十八番は何といってもホラー作品です。本作は彼のホラー作品の中でも言わずと知れた代表作です。キング自身が「これは書物の形をしたエピックホラー映画だ」と語っている通り、原作にはピエロの不思議な力をを介して狼男やミイラ、フランケンシュタインなど、ホラー作品では定番のモンスターたちが数多く登場しています。(今回の映画版にはあまり登場していませんでしたが)

物語のインスピレーションを得たきっかけは、キングが工業団地の沼地近くの橋を渡っているときに、その橋の不気味さから、絵本『三びきやぎのがらがらどん』を想起したことだそうで、それを発端として幼少期から大人に至るまでの地続きの恐怖を描いた本作を執筆したそうです。

ちなみに作中に登場する殺人ピエロ・ペニーワイズは、実在した連続殺人鬼ジョン・ゲイシーがモデルとなっています。

本作は1990年に1度映像化されていますが、その際は米ABCテレビでのミニシリーズだったため、映画化されるのは今回が初めてとなります。 

 

 【スタッフ・キャスト】

本作のメガホンをとったのはホラー映画『MAMA』を手掛けたアンドレス・ムシェッティ監督です。 

 ムシェッティ監督は、昔からスティーブン・キングの大ファンだったとのことで、監督にとってこの作品は夢のようなプロジェクトだったそうです。ムシェッティ監督は幼少期に感じた恐怖やトラウマを大人になっても忘れずに覚えている方で、その畏怖の対象をしっかりと可視化する手腕に長けており、その長所が本作でもいかんなく発揮されています。

本作の脚本を担当した1人がキャリー・ジョージ・フクナガさんです。はじめは彼を監督にするつもりでプロジェクトが進行していたそうですが、彼は監督から退き脚本のみの担当となっています。『闇の列車、光の旅』や『ビースト・オブ・ノー・ネーション』などで社会から抑圧されている人々を丁寧に描いた手腕は本作でも生かされています。

主人公のビルを演じたのは、ジェイデン・リーベラー君。『ヴィンセントが教えてくれたこと』から高い演技力を評価されていたジェイデン君は、本作でも内気ながらも芯のしっかりある男の子を好演していました。

殺人ピエロ・ペニーワイズを演じたのは、ビル・スカルスガルドさん(ターザンREBORNで主人公を演じたアレクサンダー・スカルスガルドの弟)。1990年版のティム・カリーが演じたペニーワイズが伝説的な不気味さだったので、どうしても分が悪いところはあったのですが、彼なりの解釈でペニーワイズを演じており、ティム・カリーのコピーにならないように心掛けてたので1990年版とのキャラクター性違いを楽しむことが出来ました。

 

【私的評価】

85点/100点満点中

原作の要所を抑えつつ 、適度に簡略化しながら大長編の小説を上手く135分に収めており、物語のテーマ性を崩さない巧みな改変がなされています。

主人公・ビルの乗り越えるべき恐怖が原作とは異なっており、映画オリジナルの展開に感動させられました。ルーザーズ・クラブの面々が直面する恐怖も映画オリジナルの部分が多く、子供だったらトラウマ間違いなしの画に仕上がっていました。

個人的にはペニーワイズの不気味さ以外は1990年のドラマ版を超えていると思います。

 

 

 

 

 以下ネタバレあり

 

 

 

【原作との比較】

原作では1958年を舞台にしていた少年期の物語が、今作では1989年に改変されています。時代が違うため社会情勢やカルチャーなどの面で原作との違いがりますが、時代性の違いでストーリーに齟齬が出ないように丁寧に作られていました。

原作のテーマ性や根幹の部分までは改変を加えていませんが、長編小説を2時間の映画にまとめるための巧みな省略がなされています。原作にあった要素をしっかりと映画に踏襲しつつも、ストーリーの簡略化のためにそこに至る過程を変更しています。

いくつか例を挙げると…
・ペニーワイズの棲家でエディが骨折をする場面→原作ではいじめっ子のヘンリーに腕を折られ骨折

・両親を火事で亡くした黒人少年・マイクのトラウマ→原作では黒人ナイトクラブを差別主義者に焼かれた経験のあるマイクの父のトラウマ

・ベンを追いかけ下水溝に入ったいじめっ子パトリックの死ぬ場面→原作では、動物を殺して快楽を得ていたパトリックが、ITの術によってヒルに自分の血を吸いつくされる幻影を見て死亡

 このように原作の要素をうまい具合に抜き取り、短くまとめられるように映像に落とし込んでいました。

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【原作からの改良点】 

原作は中年期と少年期の物語を交互に描いており、少年期のエピソードは大人になった彼らの回顧録として語られています。
今回の映画版は大人になった彼らの姿は見せず、少年期の物語だけでまとめています。この改変によって、原作や1990年版で感じた「こいつが大人になっているということは少年期は生き延びるんだな」という、作品内でのネタバレがなくなっていて、彼らに襲い来る恐怖に対してしっかりとハラハラできる構成になっていました。

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【本作の不満点】

中盤と終盤にある、子供達がITの棲家に乗り込むシーン。複数人で乗り込んできた少年たちを単独行動に導くために、ITが少年の名前を囁いたり、ジョージーの姿に化けたりして、仲間とはぐれさせる展開があるのですが、この見せ方が1,2度ならまだしも劇中4回ほど使われるのでちょっと雑に思えました。

 

 

【ベン・ハンスコム】 

図書館好きの太っちょの少年・ベンは、ベバリーに恋心を抱いており、思春期真っ只中です。ベバリーに自作の詩(原作では俳句という扱いになっています。どう聞いても五七五じゃないけど…)を送ってささやかなアプローチをしますが、残念ながらベバリーの気持ちはベンではなくビルの方に向いています。

映画のクライマックス、ペニーワイズの術にらより窮地に陥ったベバリーをベンがキスで救い出します。これによってベンは少年から少しだけ大人になります

映画のラスト、血の契りを交わしたルーザーズ・クラブは散り散りに家路に帰り、ビルとベバリーとベンの3人になりますが、ベンはビルとベバリーの2人だけを残して去っていきます。ベバリーのベンに対する思いを知っていたから2人を残したのだと思うとベンがかっこよくて仕方ありません。ベン、お前は漢だよ!! 

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【リッチー・トージア】

お調子者の眼鏡ボーイ・リッチーは、ルーザーズ・クラブのコメディリリーフであり、ビルの一番の理解者です。

弟を探そうと危険な場所により込んでいくビルに必ず同行し、ペニーワイズにビルを人質にとられ彼をおいて立ち去ればお前たちを襲わないと脅されてもリッチーはビルを決して見捨てませんでした。

リッチーは、行動を起こそうとする集団にとって最も大事な“2番目のフォロワー”の役割を果たしています。リッチーがビルの後に続く事で、その後に次ぐ仲間たちが活気付き、ビルをグループのリーダーとしてより引き立てているのです。

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【エディ・カスプラーク

過保護な母に育てられ、喘息の吸入器が手放せない少年・エディ。

彼は喘息ではないのにも関わらず、母から「この子はか弱いの」と言われ、自分の事を病気なのだと錯覚しています。母から大人なる事を抑圧されている彼は、成長過程にいるのに自立することができていません。

ペニーワイズの棲家へと乗り込んだエディは、腕の骨を折る大怪我を負います。ビルに付いて行ったがためにひどい目にあった彼ですが、ベバリーのピンチをを知るとルーザーズ・クラブの仲間たちと再び危険な場所へと踏み込んでいきます。母からの言いつけを破り、仲間の方を選んだ彼は母の依存から脱し、ようやく自立できたのでした。

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【スタンリー・ユーリス】

敬虔なユダヤ教徒の家庭で育てられたスタンリーは、バル・ミツヴァー(13歳になった男子が迎えるユダヤ教の成人式)を近くに控えており、大人になる通過儀礼を経ようとしています。

しかし彼は臆病な性格のため、教会にあるモリディアーニ風の首の長い女の絵画に恐怖心を覚えます。強迫神経症である彼は秩序や道理や常識に沿わないものを恐怖の対象としているので、顔の歪んだ女性の絵に対して気疑の念を抱いてしまうのです。(この演出は映画オリジナルのもので、原作では給水塔で子供の霊を見るのがスタンリーの恐怖体験となっています)

彼もまたほかの仲間たちと同じく、ITの幻影に果敢に立ち向かいます。自分の中にある恐怖に打ち勝つことこそが彼にとっての本当の通過儀礼だったのです。

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【マイク・ハンロン】

 精肉業者として働く祖父の元で暮らすマイクは、両親を火事で無くしたトラウマが脳裏に焼き付いてています。

1950年代を舞台にしていた原作に比べると、映画版の1980年は黒人の社会的地位が違っている(1960年代に公民権運動が盛んになり社会情勢が変わっているため)ので、原作ほどの過激な人種差別は描かれないのですが、いじめっ子のヘンリーは「ニガー」と呼んで黒人である彼を目の敵にしています。(原作ではマイクの父とヘンリーの父の間に因縁があり、そのためヘンリーはマイクを憎んでいて、マイクの飼い犬を殺したりもしています)

ヘンリーはマイクにとって黒人を迫害する差別意識の象徴です。

ITの棲家に向かう途中でヘンリーに襲われたマイクは、揉みくちゃになりながらも彼に打ち勝ちます。悪意を持つ者の差別にマイクが屈しなかった瞬間なのです。

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【ベバリー・マーシュ】

ルーザーズ・クラブの紅一点・ベバリーは、父親からの虐待に苦しめられています。生理を迎える年頃になった彼女は、少女から女性になっていく自分の体に怖を抱いています。

ベバリーが自宅のバスルームで血まみれになるシーン。排水口から噴き出した血液は経血を現しており、ベバリーの中にある大人になることへの不安と、それによって父との関係性がより悪化することへの恐怖を具現化したものです。

クライマックス、ベバリーは自分を閉じ込めようとする父に立ち向かい、ITが見せる父の幻影にも臆せず猛攻します。そうして彼女は自分を縛り付けるものと決別し、成長を遂げるのです。

原作にはベバリーがルーザーズ・クラブの男の子たち全員と性交をするという驚きの展開があります。それは、呪いによって地下トンネルから抜け出せなくなった彼らを脱出させるためにベバリーが行った儀式のようなもので、セックスという彼女にとっての未知(=恐怖)のものの正体を知ることで、一つ大人になるという通過儀礼です。(多分続編でもこの描写はないと思う…)

今作では大人になるための通過儀礼がキスという形になっています。物語のラスト、2人きりになったビルとベバリーは、キスを交わし少しだけ大人になることを受け入れるのでした。

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【ビル・デンブロウ】

ルーザーズ・クラブのリーダーでありながら、何かをしゃべろうとすると必ずどもってしまう主人公・ビル。

原作と今回の映画版では、主人公のビルが恐怖に立ち向かう動機が少々異なっています。原作でのビルは弟のジョージーが殺されたことをしっかりと認識しており、弟を殺したITへの復讐と、ジョージーを死なせてしまったのは自分のせいかもしれないという呵責が彼の行動原理になっています。
対して今作は、ジョージーが行方不明という扱いになっており、ビルは弟の生存に一縷の望みを持っています。そのため、弟の死を受け入れるということがビルにとっての一番の恐怖として働いており、それを乗り越える彼の姿に感動させられました。

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原作に“恐怖と愛情のバランスを何とか取ろうとするうちにビルはジョージの死を受け入れられそうな気がする”という一文があります。原作と形は違いますが、映画版でもそのような描かれ方がなされていました。

ビルが弟の生存にわずかな望みを抱いているうちは、その心理をITに付け込まれ幻惑されてしまいます。弟の死を受け入れるのは彼にとって計り知れないほどつらい事です。ですが、非情な現実を受け止めなければ彼は子供のままで大人にはなれません。ジョージーを愛していたからこそ彼の死を受け入れ、別れを告げることがビルには必要だったのです。