映画『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』と原作漫画『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』(ネタバレありの感想)
今回の紹介する作品は
映画『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』です。
【あらすじ】
奥田民生の生き方に憧れる33歳の雑誌編集者コーロキ。ライフスタイル雑誌・マレの編集部に異動になったコーロキは、慣れない職場に四苦八苦しながらも、奥田民生のような編集マンになろうと意気込んでいた。そんなある日、仕事の関係で出会った天海あかりに一目惚れしたコーロキは、なんとかあかりに良いところを見せようと奔走するのであった…
【原作】
原作は渋谷直角さんの同名漫画『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』です。
渋谷直角さんは『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』や『空の写真とバンプオブチキンの歌詞ばかりアップするブロガーの恋』など、サブカル界隈もといオシャレさん達の闇の部分を描く事に定評のある作家です。
渋谷直角さんの漫画に登場するキャラクターの多くは何かしら強い承認欲求を抱えているのですが、その承認欲求を満たすやり方が空回りしていたり、自分のセンスの限界にぶち当たったりと、なんとも痛々しいものばかりです。
しかしその痛々しさが人間らしさでもあるので、サブカル系やオシャレ系でない人が読んでもズシンとくる内容になっています。
【スタッフ・キャスト】
本作のメガホンを取ったのは『モテキ』や『バクマン。』を手掛けた大根仁監督です。
大根監督は原作発売当初から渋谷直角さんに映画化の打診をしていたそうで、『モテキ』のような30代男女ラブコメがまた撮りたいという思いと、自分の得意なジャンルにぴったり合った原作に出会ったことから監督を務められたそうです。
大根監督といえば『モテキ』や『バクマン。』『SCOOP!』など漫画雑誌や情報誌などの編集部を描くことを得意としていますが、今作も編集部を舞台にストーリーが展開されています。
主人公コーロキを演じたのは妻夫木聡さん。 奥田民生に憧れながら未だ何者にも慣れておらず、もがき続ける男を見事に好演していました。
ヒロイン天海あかりを演じたのは水原希子さん。若干あざとすぎる気もしましたが、恐ろしく可愛い女性をきちんと体現していて、何よりメチャクチャ体を張ったラブシーンを幾多も演じており、映画全体をしっかり引っ張っていました。
個人的には、ライター三上ゆうを演じた安藤サクラさんがツボで、何故だかずっと見ていたかったです。
【私的評価】
75点/100点満点中
恋愛コメディながらヒロインの内面をはっきりと明かさず、ほぼ男性主観で物語が進むので、主人公をはじめとする男たちの痛々しさを共有でき、大変面白かったです。
特殊な面のあるヒロインですが、男たちにとっては世の女性に対して普段から思っている「女の人って分からない」感がしっかりと表現されていて、主人公の気持ちに同調しやすい作りになっていました。
ヒロインがきちんと魅惑的に映っている時点で、この映画の大半は成功している気もします。
男性心理への共感はあったものの、主人公の仕事に対してのスタンスが原作より共感し辛くなっていたのが少々残念でした。
以下ネタバレあり
【原作との比較】
本作は原作にかなり忠実に作られており、話の大筋や根幹にあるテーマには大きな改変は加えられていません。
漫画版になかったシーンの追加や、カットされたエピソードも多少はあるのですが、作者の渋谷直角さんが脚本協力に入っていることもあり、原作の要素の取捨選択は良くできているように思いました。
映画版は漫画版より性愛描写を増やしており、特に第二幕以降はキスシーンの嵐になっています。渋谷直角さんの描くあかりのビジュアルは、味はあるのですが性的魅力はあまり感じなかったので、実写としてあかりを見せるとこんなに色っぽくなるんだなと実感できました。
大根監督が恋愛シーンと共に得意とする“お仕事奮闘シーン”が本作にも盛り込まれており、主人公が担当のライターのために飼い猫探しを手伝うエピソードが映画版オリジナルで加えられています。
漫画版でも作中に奥田民生の曲の歌詞が登場するのですが、映画版では漫画版より多い15曲もの楽曲が劇中で使われており、原作とは使われどころが変わっている曲もありました。
【原作からの改良点】
あかりがコーロキ、ヨシズミ、編集長の3人と対峙するクライマックス。漫画版では、このシーンであかりの主観的な回想が入るのですが、映画版では男たちがあかりをどう見ていたかに主眼を置いて回想が描かれており、あかりの内面をより未知なものにしています。
また原作では、クライマックスの事件後に拘置所に収監された編集長にコーロキが面会に行くシーンがあり、編集長がコーロキに対してあかりの生い立ちや彼女のパーソナリティについて語っているのですが、映画版ではそのシーンが丸々カットされており、あかりとは何ぞやという部分にモヤをかけていました。
あかりという女性の生態が明かされてしまうと、彼女の魅力は半減していただろうと思うので、あかりを掴みどころのないファムファタルとして見せるこの演出は良かったと思います。
映画版オリジナルのシーンとして、編集長が自身の昔の恋愛経験を語る原作にはないエピソードが加えられています。編集長は、かつて付き合っていた女性が街中で外国人男性とタバコを交わしながら歩いているのを目撃し、その元カノを見返すために仕事に精を出すようになったとコーロキに語ります。しかし、女性を見返すために仕事に勤しんできた編集長も、あかりに狂わされてしまい、最後は犯罪者へと転落してしまいます。
そして映画のラストシーン、敏腕編集者として活躍するコーロキは街中で外国人男性とタバコを交わしながら歩くあかりを目撃します。その様子からは、あかりのどこまでもクレバーな生き方が滲みだしており、世の男はこれからも女性には敵わずもがき続けるのだと暗示されていました。
【本作の不満点】
映画の中盤、付き合うことになったあかりとコーロキが2人で色々な場所に出掛け、いたるところでキスをするシークエンスがあるのですが、そのキスシーンのBGMに奥田民生の「海へと」や「近未来」「スカイウォーカー」等、複数の楽曲が使われています。カットが変わるたびに音楽がぶった切られるのも不満だったのですが、同じような絵づらで奥田民生の曲をいくつも使うのは、楽曲への愛のない無駄遣いのように感じました。
おしゃれな雑誌の編集部に配属されいまいち馴染めずに戸惑っていたコーロキが、編集部員たちの働きを見て自分の考えを改める描写が原作にはあるのですが、映画版ではその部分が弱いように感じました。
原作にはコーロキが仕事への意識を高めていくプロセスがいくつかあります。コーロキが異動になって間もない頃、オシャレな職場で働く人たちを彼は内心卑屈な目で見ていたのですが、その編集部の人々も自分たちの矜持をもって雑誌を作っていることを知り自らを省みます。また久しぶりに会った学生時代の友人に「オシャレな本(笑)作ってカネ稼いで下さよ」と仕事を揶揄されたり、書店でマレを立ち読みするカップルの「ライフスタイル雑誌はリアルじゃない。“外ヅラ”だけ」という会話を聞いたりしてコーロキは傷心します。ですが、そういった言葉に負けず彼は自分の仕事へのプライドを強くしていきます。
その仕事へのプライドはオシャレな職場で働いていない自分にも共感でき、普遍的な会社員の物語として同調しやすかったのですが、映画版ではそのような描写があまりないため、オシャレな職場のオシャレな人々が恋愛にうつつを抜かしているようにしか見えず、あまり共感できませんでした。
【あかりという女性】
映画のクライマックス、あかりが3人の男と交際をしていた事実を知ったコーロキは、あかりに「どれが本当のあかりなの?」と訊ねます。対してあかりは「コーロキさんの思う私が、私だよ」と答えます。傍から見ればあかりは複数の男を同時に手玉に取る悪女ですが、彼女はどの男と付き合うにあたっても自分自身を偽ってはいないのです。
コーロキにとってのあかりは高嶺の花のような彼女。ヨシズミにとっては無知で自分が教えてあげないと何もできない彼女。編集長にとっては男を手玉に取る魅惑的な魔性の女。このようにそれぞれのあかり像は違うのですが、あかりは男によって自分を演じ分けているのではなく、相手が勝手に各々のあかりのイメージ像を抱いているだけで、あかりはその男の理想の彼女を演じずとも気ままに生きられるのです。
あかりが男たちに持っていた好意はどれも本物で、どの男に対しても本気で恋をしていたのです。そのため彼女は3股を問い詰められても動じることなく、小悪魔的な笑みを浮かべるだけなのでした。(先日レビューした『ELLE エル』にも通づる部分がある気がします)
【奥田民生のような生き方】
事件後、フリーの編集者に転身し成功を収めたコーロキは、円滑に人間関係をこなし、飄々と生きることができるような男になりました。しかし、それはかつての自分が思い描いていた奥田民生のような生き方ではなく、極めて計算されつくした民生らしい生き方でした。
あかりと付き合った経験から、自分自身を偽るのではなく相手からの見え方を変えることを学んだコーロキは、そのやり方を意識的に活用し、他者からの羨望を集めるようになったのです。
仕事の合間に立ち食い蕎麦屋に立ち寄ったコーロキは、ふとかつての自分を思い出します。奥田民生とは程遠いながらも、少しでも民生に近づこうと四苦八苦していたかつてのコーロキは他者や社会そして自分自身に希望を抱いていました。そんな昔の自分に思いを馳せ、小賢しい生き方を覚えてしまった今のコーロキは涙を流すのでした。
漫画版では最後のコマで奥田民生の『たったった』という曲の歌詞が記されているのですが、映画版のラストは奥田民生の『CUSTOM』というという楽曲が使われています。優しいバラード曲の『たったった』に対して、『CUSTOM』は民生が力強く歌い上げる曲で、この映画のラストで流れると不器用に生きる男への応援歌のように聞こえ、味わい深いエンディングになっていました。