雁丸(がんまる)の原作代読映画レビュー

原作読んで映画レビューするよ!

映画『夜に生きる』と原作小説『夜に生きる』(ネタバレあり)

今回紹介する作品は

映画夜に生きるです

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【あらすじ】

 禁酒法時代のアメリカ・ボストン。アイルランド系移民の血を引くジョー警視正の息子であるにもかかわらず強盗稼業に手を染め、“無法者”として日々を生きていた。そんなジョーは、エマ・グルードという女と恋に落ちるが、彼女はアイルランド系ギャングのボス・アルバート・ホワイトの情婦であった。エマとの関係がホワイトに知られ、追い詰められたジョーは図らずもギャングの世界に足を踏み入れてしまうことになる…

 

【原作】

原作はミステリー作家デニス・ルヘインの同名小説『夜に生きる』です。

夜に生きる 〔ハヤカワ・ミステリ1869〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

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デニス・ルヘインといえば『ミスティック・リバー』や『シャッター・アイランド』など、発表した作品が数多く映画化されている作家です。

本作はアメリカ探偵作家クラブが主催する“エドガー賞”を受賞し、ベストセラーとなった作品です。

 小説『夜に生きる』は、アイランド系の一家・コグリン家を描いた三部作の第二部目にあたります。本作の前日譚でありジョーの兄・ダニーが主人公の『運命の日』と、本作のその後を描いた『過ぎ去りし世界』が前後にありますが、本作単体で読み始めても楽しめるので特に問題ありません。

作者のルヘインは、映画化にあたり原作提供だけでなく製作総指揮も務めています。

 

【スタッフ・キャスト】

 本作はベン・アフレックが監督・主演及び製作・脚本を務めています。

ゴーン・ベイビー・ゴーン [Blu-ray]

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ベン・アフレックと原作者のデニス・ルヘインは、アフレックの初監督作品『ゴーン・ベイビー・ゴーン』(原作タイトル「愛しきものはすべて去りゆく」)以来、2度目のタッグとなります。

主演と監督を同時に務め、素晴らしい作品を発表し続けるアフレックは“ポストイーストウッド”と称されるとこもありますが、本作を見ると確かに過言でないように思います。(関係ないですが、本作にはクリント・イーストウッドの息子スコット・イーストウッドも出演しています。)

本作は製作総指揮レオナルド・ディカプリオが映画化の権利を獲得し、企画をアフレックのもとに持って行ったことがきっかけで作られた作品です。この題材をアフレックに任せたディカプリオの慧眼は本当に素晴らしいと思います。

本作の撮影監督は『アビエイター』や『ヒューゴの不思議な発明』でアカデミー賞を受賞しているロバート・リチャードソンで、劇中のカメラワークには目を引かれるところが多々あります。静と動のバランスが良く、心地よさすら感じさせる画に仕上がっていました。

 

 

【私的評価】

85点/100点満点中

「かっこいい」の一言に尽きるほど、ストーリーや演出が洗練されていて、 見ていて全く退屈しませんでした。

原作のテーマを大事にくみ取りながら、現代社会にも通じる映画版オリジナルの皮肉も込めておりスタイリッシュなだけでない魅力が詰まっていました。

原作からいくつかカットされているシーンがあり、できれば削いでほしくなかった箇所が無くなっていたのでそこが少々残念でした。

 

 

 

以下ネタバレあり

 

 

 

 

 

【原作との比較】

主人公・ジョーの妻となるグラシエラは、原作に登場するエステバンの姉の“イベリア”というキャラクターと、キューバ独立のために働く活動家の“グラシエラ”というキャラクターのそれぞれの要素をを混ぜ合わせた1人のキャラクターになっています。

映画版のグラシエラは、小説版同様キューバ人ではあるものの原作にあった活動家としての側面は省かれており、密造酒のための糖蜜製造を生業とするスアレス姉弟の姉という要素だけが残っています。そのため、原作にあったグラシエラとの輸送船襲撃シーンなどは映画版ではカットされています。

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物語の大まかな流れは原作通りですが、上記のようにいくつかカットされている展開もあります。

原作にあった刑務所に収監されてからの展開は大幅にカットされています。

原作ではジョーとイタリア系ギャングのマソが収監された刑務所内で出会い、お互いの利害関係のために結託しますが、映画版では出所後にジョーがマソのもとを訪れ手を組む形になっています。

 

【原作からの改良点】

映画版では、ジョーが自分の妻や友人のキューバ人を侮辱され、南部を開拓したのは移民であるということを訴える原作にはなかったセリフが加えられています。

 このセリフには移民たちが開拓したものを我が物顔で奪い取っていく現代のアメリカ社会も通ずる痛烈な皮肉が込められていました。

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 物語終盤でジョーとマソとアルバートの三人が対峙するシーンがあります。このシーンは原作ではジョーがマソから出し抜かれ、仲間を大勢殺された挙句、死の淵ギリギリまで追い詰められ、最終的にアルバートに殺されそうになったところを仲間に救ってもらい逆転するという展開になっています(原作での仲間たちが次々殺されていく描写も絶望感があり好きなのですが)。対して映画版では、ジョーが相手の罠にかかったと見せかけ、実は密造酒の搬出のためにホテルの地下に作っていたトンネルに仲間を配していたという敵の裏をかく展開になっており、ジョーの方が一枚上手で強かだったという描かれ方になっています。これにより、ジョーもギャングとして頂点に立てる高い資質を持っていたと思わせてくれる演出になっていてとても良かったです。

 

【本作の不満点】

原作では主人公の仲間であるディオンが、実はアルバート・ホワイトからの命令を受けており、出所したジョーを殺害する計画を企てていたことをジョーに対して正直に告白するエピソードがあります。

ディオンがジョーに殺害計画を吐露したことにより、2人の信頼関係がより強くなるのですが映画版ではそのシーンがカットされています。

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ディオンがジョーの殺害を計画したのは、アルバートからの命令という理由もありますが、ジョーのヘマによって兄が命を落としてしまったことも関係しています。

映画版ではその部分が描かれないため、ジョーとディオンが再会した際にお互いの父と兄の死のことを少し悼んだだけであっさり協力関係を結びます。

原作では2人の信頼関係をしっかりと描くことで、物語ラストでジョーがディオンにボスの座を譲るシーンに説得力が生まれていたので、その説得力があまりなかったのは残念でした。

 

【信仰と贖罪】

タンパ市警本部長フィギスの娘・ロレッタは、映画女優を目指してハリウッドに向かったものの夢破れ、ロサンゼルスで麻薬漬けの娼婦に成り果ててしまいます。

フィギスは狂信的なキリスト教原理主義者であるため、女性は結婚するまで貞操を守らなければならないという価値観を持っており、麻薬漬けで神の教えに背いた末、淫売行為に及んだロレッタに対して激しい折檻を加えます。

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父からの厳しい折檻により、プロテスタントとしての価値観を強制的に植え付けられたロレッタはテント説教を始め、その美しさと体験した悲劇から大衆の心を掴み、ジョーたちが準備していたカジノ事業から撤退させます。

しかし、自分の罪を父に伝えたのがジョーであったと知り、自分の宗教観は父に強要されたものだとジョーに告白したロレッタは数日後自宅にて自死(原作では父のベッドで自分の性器を切り取り刃身自殺するという壮絶な死に方) を遂げます。

父から懺悔しろと言われ続け追い詰められていった結果、彼女は自分の犯した罪と向き合わされ続けることになりました。父からの教えで植え付けられた価値観は彼女自身の価値観ではなく、自分の意志が介在しないため、自分の罪と神(父親)の教えの間で板挟みになった彼女のとった贖罪が自殺だったのです。

 

【ギャングと無法者】

ジョーはボストンで強盗稼業を始める以前、第一次世界大戦に出兵し、国のために戦っていた過去があります。彼は多くの兵士たちの悲惨な死を目の当たりにしたため、国に仕えることや上の立場の人間に従うことに辟易し、無法者として生きることを決めます。禁酒法が制定された20年代は、飲酒を禁止することで国を良くしようとした政府の考えとは裏腹に、酒の流通をビジネスにしたギャングがどんどん繫栄を遂げていきます。“狂騒の20年代”(ローリング・トゥエンティ)の中ではジョーのような無法者こそが時代を俯瞰的に見ていたといえるのです。

そうして彼はお天道様の日があたり他人のルールに従がわなければならない昼間ではなく、自らのルールに従って生きていく「夜に生きる」ことになっていくのです。

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 恋人・エマを殺された(と思っていた)ジョーは、アルバートへの復讐を果たすためにギャングであるマソに仕えることになります。そこからギャングとして功績をあげ、名を上げていきますが、元は無法者であったジョーはギャングとしてのルールに縛られることに複雑な思いも抱いています。

自分を裏切ったマソとアルバートを自らの手で殺したジョーは裏社会の頂点に立ちますが、ボスの座を仲間のディオンに譲り、自身は一線から退きます。彼はギャングとしてのルールに縛られるのではなく、無法者だった時のように自分自身のルールに殉じることを決めたのでした。

 

【すべて帰ってくる】

 ジョーがボストンで無法者として生きていた頃、ジョーの父であるトム(トマス)が彼に対して暴力は暴力を生み自分に返ってくるという因果論を語ります。

それでも尚アウトローとして生きていくジョーは、強盗で警察に追われた末に事故に巻き込んで警官を死に至らしめたり、タンパでキューバ人を脅かすKKK(クー・クラックス・クラン、白人至上主義者で反カトリックで反ユダヤ)を殺して一掃したりと暴力の渦中に深入りしていきます。

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マソとアルバートを殺した後でジョーがギャングの世界から身を引いたのは、数々の殺しを目の当たりにしてきた彼が暴力の連鎖を断つためでもあります。しかし暴力の流転から逃れることはできず、娘を失い気が違ってしまった元市警本部長のフィギスがジョーの家を急襲し、妻・グラシエラを亡くしてしまいます。ジョーは妻の行っていた慈善事業を引き継ぎ、グラシエラの言葉を息子に伝えながら一人で育てていきます。

しかしながら、すべての行いが自分へと帰ってくるというのは、暴力だけに限った話ではありません。物語のラストでジョーの息子が西部劇を見て保安官に憧れるのも、警察官として働いていたジョーの父の生き方へと回帰していくというある種の因果なのかもしれません。