映画『メッセージ』と原作小説『あなたの人生の物語』(ネタバレあり)
今回紹介する作品は
映画『メッセージ』です。
【あらすじ】
ある日、突如として世界12か所に現れた浮遊物体。謎の球体飛行物体に世界中がパニックに陥る中、言語学者のルイーズは異星の生命体とのコンタクトを取るため国からの要請を受ける。未知の生命体“ヘプタポッド”の言語を理解するために、ヘプタポッドの印す謎の文字の解読に当たるルイーズであったが、彼らとコンタクトをとるうちに最愛の娘の姿が頭を過るようになっていく…
【原作】
原作は、テッド・チャンの短編SF『あなたの人生の物語』(原題・Story of Your Life)です。
本作は、アメリカSFファンタジー作家協会が主催する権威ある文学賞“ネビュラ賞”や、その年に出版されたSF短編の中で最も優れた作品に贈られる“シオドア・スタージョン賞”など数多くの文学賞に輝いた傑作SF短編です。
物語は、未知のエイリアン“ヘプタポッド”とコンタクトをとるために試行錯誤をするルイーズと、彼女が今はいない娘に対して語り掛けるモノローグか交互に描かれストーリーが進んで行きます。
作者はフェルマーの原理に代表される変分原理に興味を持ったことからこの作品を手掛けたそうで、幾何学など数学への素養がかなり試されるので、文系人間の自分には知恵熱が出そうになるほど複雑でした。
【スタッフ・キャスト】
本作のメガホンをとったのは『プリズナーズ』や『複製された男』『ボーダーライン』などを手掛けたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督です。
ヴィルヌーヴ監督は、ミステリーやスリラーなどを得意としてきましたが、本作は監督にとって初めてのSF作品になります。
監督は10歳のころからSF作品を撮るのが夢だったそうで、次回作には『ブレードランナー2049』や『デューン/砂の惑星』といった傑作SF小説の映像化が続々と控えています。
主人公・ルイーズを演じたのはエイミー・アダムスさん。芯の強さと実は脆い両面を持ちながら、未知への探求に挑む女性を見事に好演していました。エイリアンとの交流の中で世界への認識が変わっていく様を素晴らしい演技力で見せてくれました。
また、音楽を手掛けたヨハン・ヨハンソンさんのスコアも非常に良かったです。既聴感のない独特の音楽で観客の不安と好奇心を絶妙に煽る素晴らしい劇伴に仕上がっていました。
【私的評価】
98点/100点
複雑な原作を分かりやすく映像化しており、言語学や数学に疎い人でも理解できるストーリーに仕上げていました。
異星人の出現に混乱する人類の様子など、映画版オリジナルの要素も加わっており映画的な盛り上がりも用意されていました。
複雑なSF設定を通して、現実世界の愛の物語にアプローチしていくラストも見事で、SF映画の新たな金字塔といっても過言ではないでしょう。
以下ネタバレあり
【原作との比較】
映画版では原作の大筋をなぞっていますが、映画版では原作のストーリーにタイムリミットサスペンスの要素を加えています。
未知の生命体の出現に世界中が混乱するなかで、中国人民解放軍のシャン上将が飛行体への総攻撃を予告したため、ルイーズはヘプタポッドの言語を解明しシャン上将を止めなければならないというサスペンス展開を加え映画的盛り上がりを作っていました。
映画版では言語学によるヘプタポッドへのアプローチが描かれますが、原作に出てくるフェルマーの原理などの数学的アプローチはさほど触れられず、各学問の術語もそこまで出てこないので、原作と比べてかなり噛み砕かれた内容になっていて非常に見やすくなっていました。
原作は娘との思い出を話すルイーズの語り口が、思い出話なのにも関わらず未来系の推量的話し方で語られるため読者に違和感を覚えさせ、その理由がラストで解消されるという構成になっています。対して映画版では娘のハンナと遊ぶルイーズの表情にほの暗い部分を見え隠れさせることで、観客の違和感を煽る演出になっていました。
【原作からの改良点】
原作ではルイーズの一人称で物語が進むため彼女の周囲の様子しか描かれませんが、映画版ではTVの映像を通して、パニックに陥る人々や暴徒化する人々の様子を映しており、ディストピア化していく世界の様子をしっかり描写していました。
世界が混乱に陥る中で異星人排除派に煽られた軍人が飛行体を爆破しようとする展開が加えられており、それに対するヘプタポッドの反応が彼らの様々な事象に対する考え方を表しておりよくできていました。
原作ではルイーズらがヘプタポッドに対してコンタクトを試みるストーリーと、彼女が未来の我が子に語り掛けるモノローグが反復して描かれますが、映画版では冒頭とラストに(時折フラッシュバックならぬフラッシュフォワードとして)娘の姿が映し出される程度で、物語はルイーズの研究を主軸に進んでいきます。娘との思い出話でテンポが削がれることがなく、作品のテンションがキープされていて良かったです。
【円環状の書法】
ルイーズの研究により、ヘプタポッドは文字でコミュニケーションをとる時の書法と、会話でコミュニケーションをとる時の言語が完全に異なる別個のもので、2つの言語を有していることがわかります。
原作ではヘプタポッドが表示する書記体に、表語文字とも表意文字とも異なる”表義文字”という新たな用語つけられます。(表語文字などと違い、発話された語と書記体がリンクしないため)
”始まりと終わり”という概念を持たないヘプタポッドは、彼らの扱う言語の文法においても文頭と文末を作らず、円環状の言語でコミュニケーションをとります。
ヘプタポッドの言語を研究したルイーズも、自分の娘に対してハンナ(HANNAH)という前からも後ろからも読めるパリンドロームの名前を付けます。それは彼女がヘプタポッドに出会い、前から後ろ、もとい過去から未来へと流れる時間の流れにとらわれない人智を超越した現実認識を得たことを表しています。
【逐次的意識と同時的意識】
我々人類が持つ時間に対しての認識は「原因があり、それが結果に向かっていく」という因果論による逐次的意識ですが、ヘプタポッドは過去・現在・未来を同時に認識する同時的意識を有しています。
この同時的意識は、自分自身の未来をも認識するものなので、未来に逆らい自分の意志で行動する自由意志との両立ができないものです。
暴徒のテロによってヘプタポッドのアボットが亡くなるという映画版オリジナルの展開に、彼らの現実認識が良く表れています。アボットは自身の未来を理解しているので、地球人のせいで自分が死に至ることも分かっているのですが、彼らは自由意志を有さないため自分の死を回避しません。
コステロがルイーズに対して伝える「アボットは死の過程にある」という文言からも、「死にそう」や「瀕死」ではなく「死の過程」と伝える点から、彼らの時間に対する認識が良く分かります。
【非ゼロ和ゲーム】
ヘプタポッドの言語を解析したルイーズが彼らの目的を尋ねると彼らは「武器の提供」という答えを返します。
この返答に人類側は混乱しますが、ルイーズはヘプタポッドとの敵対的関係を避けるために両者が利益を得られる「非ゼロ和ゲーム(non zero sum game)」の可能性を模索します。
人類学のなかに「サピア=ウォーフの仮説」という説があります。ざっくり説明すると言語と思考は関連するという考えかたです。もっとわかりやすく言うと日本語を会得した人間には日本人的考え方が根付き、ドイツ語を会得した人間にはドイツ人的考え方が根付くというような仮説です。
ルイーズは表義文字を研究していくうちに、ヘプタポッドの考え方を理解していき、彼らの持つ同時的意識を獲得していきます。それことが彼らの言う武器だったのです。ルイーズが同時的意識を持ち人類による異星人への攻撃を食い止めることで世界が救われ、彼女の研究は後世へと引き継がれていくことで300年後に今度は人類がヘプタポッドを救うという非ゼロ和ゲームが成り立つのです。
【回避できない悲しみとそれ以上の愛】
ルイーズはヘプタポッドとの交流によって、自分が生きる世界に対しての新たな認識を獲得し、過去・現在・未来を同時に自認する同時的意識を持つようになります。
しかし、それによって将来生まれてくる自分の娘が病気によって若くして亡くなってしまう未来まで認識してしまいます。
上記の通り、同時的意識を持つということは自由意志を持たないということと同じなので、ルイーズが娘の死を避けることはできません。ヘプタポッドは生まれた時から同じ現実認識を持ち続けているためおそらく自分や他者の死に対しての苦悩を抱えないのでしょうが、ルイーズはヘプタポッドからもらった同時的意識に合わせて、人間として元から持っている逐次的意識もあるので、娘が自分より先に亡くなるという未来は相当につらいものです。もしかしたら、娘を生まないことによって悲しみを回避できないのかとも考えたかもしれません。
ですが、ルイーズが娘を生んだのは娘の死の悲しみよりも娘と育む愛の方が大きいということを同時に認識したからではないでしょうか。夫と別れ、娘が亡くなることを分かっていてもその運命を受け入れる彼女の強さと深い愛が世界を変えたのです。