雁丸(がんまる)の原作代読映画レビュー

原作読んで映画レビューするよ!

映画『15時17分、パリ行き』と原作小説『15時17分、パリ行き』の比較(ネタバレありの感想)

 今回紹介する作品は、

映画『15時17分、パリ行き』です。

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【あらすじ】

2015年8月21日、15時17分にアムステルダムを出発した高速列車はパリに向けて走っていた。554人の乗客を乗せたその車内には、ヨーロッパ旅行をしていたごく普通の青年、スペンサー、アレク、アンソニーの幼馴染3人も乗車していた。列車がアムステルダムからパリへと入ったとき、列車のトイレから重武装をした男があらわれ乗客に銃を向けた。テロリストがあらわれたことに気づいたスペンサーは、咄嗟に彼の凶行を止めるために走り出していき…

【原作】

原作は、同名のノンフィクション小説『15時17分、パリ行き』です。 

15時17分、パリ行き (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

15時17分、パリ行き (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 本著は事件の当事者であるスペンサー・ストーン、アレク・スカラトス、アンソニー・サドラーの3人と、フリージャーナリストのジェフリー・E・スタンが共著で執筆した実録小説で、主人公3人の生い立ちと、事件発生時の様子が交互に描かれています。

事件が発生したのが2015年8月で、この本が発売されたのが2016年、そして映画の撮影が行われたのが2017年なので、驚異的な速さで映画化が進行した作品と言えます。

こんなにも早く映画化が実現できたのはイーストウッド監督お得意の早撮りのおかげもありますが、やはり、この作品に登場する3人の物語と当日の事件が現代の時代性をとても象徴している、今撮られるべき映画だからでしょう。

 

【スタッフ・キャスト】

本作のメガホンをとったのは、言わずと知れた名匠クリント・イーストウッド監督です。

 近年のイーストウッド監督作といえば『J・エドガー』『ジャージー・ボーイズ』『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』と、実録物の作品を多く手掛けており、特に近作に共通しているのが“英雄と呼ばれる人々とその実像”というテーマです。本作もそのような作品の一本と言えるでしょう。

本作は前編94分とイーストウッド監督作品の中で最もタイトな作品となっており、事件発生時の数分間のシークエンスは、87歳の監督がとったとは思えないほどスピーディかつスリリングに仕上がっています。事件発生以前に見せられる観光シーンがかなりゆったりとしているが故に、恐ろしいほどの緩急のつけ方に驚かされました。

監督の過去作以上に、本作ではリアリティを徹底追及しており、事件を食い止めたスペンサー、アレク、アンソニーの3人をそれぞれ本人自身に演じさせています。部分的に演技の拙さを感じるところはあれど、襲撃シーンの緊迫感は本人にしか表現できないリアルさで、実際の現場を目撃しているかのようでした。

彼ら3人以外の乗客も、極力事件の当事者を起用しており、最初に犯人と対峙したマーク・ムーガリアンというフランス系アメリカ人の男性や、3人に協力したクリストファー・ノーマンというイギリス人男性など、多くの当事者が撮影に協力しています。

脚本を務めたのは『ハドソン川の奇跡』や『夜に生きる』で制作アシスタントを務めていたドロシー・プリスカ。劇場用映画の脚本を手掛けてのは本作が初めてだったそうで、いつものイーストウッド作品と違う風合いを感じるのは、プリスカルさんのおかげかもしれません。

 

私見

87点/100点満点中

とても偉大な行いをした3人の青年の物語ですが、この映画ではそんな彼らが成し遂げた功績を決して劇的に描かず、極めて淡々と映し出します。

彼らが事件に遭遇するまでに積み重ねてきたいくつもの偶然も、「これが後の彼らの運命に繋がりますよー」というような、これ見よがしな映し方をしないので、伏線を伏線と気付かないほど自然な描かれ方になっていました。

事実を淡々と描いたこの映画は、英雄と呼ばれる3人を決して特別な人としては捉えておらず、普遍的な人間の物語として「あなたにもきっとこんな行いができるはずだ」と観客に訴えかけてくるのです。

名匠の卓越した技術こそがなせる、恐ろしく写実的な人間賛歌でした。

 

 

 

 

以下ネタバレあり

 

 

 

【原作との比較】

本作はリアリティを徹底追及してとられた作品なので、原作で描かれていたことと映画版の描写の相違点はほとんどありません。

ただ、原作で描かれていた勲章を授与した3人のその後の生活ぶりが映画版では大きく端折られています。

レジオン・ドヌール勲章授与後、彼らは人々から英雄として持て囃され、TV番組に引っ張りだこになります。事件当事者の一人であるアンソニーは、初めは人々から褒め称えられることに気分を良くするのですが、同年11月に起こったパリ同時多発テロ(死者130名、負傷者300名以上)をニュースで目撃し、「自分たちが列車でのテロを食い止めてしまったがために、報復としてこのテロが起きてしまったのではないか」と自責の念に苛まれるのです。

このような後日譚が映画ではバッサリとカットされており、彼らの生い立ちと事件発生時の模様、そしてフランス大統領からの勲章授与までで物語をまとめています。おそらく、“英雄と呼ばれる人が自分の行った正義のあり方を自問する”という物語は前作『ハドソン川の奇跡』で描いたので、今回はその部分には触れなかったのではないかと思います。(勝手な予想ですが…)

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さらに原作小説には、列車を襲ったテロの実行犯アイユーブ・ハッザーニの生い立ちも描かれているのですが、その部分も映画ではカットされていました。

小説では、貧しい家庭で育ったアイユーブが、ヨーロッパに出て貧乏な暮らしから抜け出そうとするも、ISISに取り込まれイスラム国実現のためにジハード(聖戦)の道に足を踏み入れていく様が入念な取材をもとに描かれています。

12人が亡くなったフランスのシャルリーエブド襲撃事件、世界各国からシャルリーエブドに哀悼の意が寄せられるなか、アイユーブはなぜムハンマドイスラム教徒を馬鹿にした風刺画を描いた新聞社が同情されるのだと憤ります。それが、彼を凶行には知らせたきっかけとなったのです。普段我々が考えることのない、テロ実行犯側の考えや思想が丹念に描かれているので是非読んでみてほしいです。

 

【原作からの改良点】

本作では、原作にはなかったスペンサーが神に祈りをささげる場面が、少年期のシーンと事件解決後のシーンの2か所に加えられています。

その祈祷文は“フランシスコの平和の祈り”とよばれるもので、以下のような内容です。

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。

憎しみのある所に愛を、

侮辱のある所に赦しを、

分裂のある所に一致を、

誤りのある所に真実を、

疑いのある所に信頼を、

絶望のある所に希望を、

闇のある所に光を、

悲しみのある所に喜びを置かせてください。

主よ、慰められるよりも慰めることを、理解されるより理解することを、愛されるよりも愛することを求めさせてください。

なぜならば、与えることで人は受け取り、忘れられることで人は見出し、赦すことで人は許され、死ぬことで人は永遠の命に復活するからです。

一文目の“主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。”という文言そのものがスペンサーを象徴する言葉といえるでしょう。

そして、この祈祷文に込められた献身の心は、サクラメントでのパレード後にスペンサーが演説台で述べたという「互いのために生き、互いのために死のう」という言葉と通底しています。スペンサーの精神性が良く分かる素晴らしい演出でした。

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【本作の不満点】

テロリストと戦ったメンバーの1人であるアンソニーは、犯人を取り押さえスペンサーが負傷者の応急処置をしたのち、車内の様子をスマートフォンで撮影するのですがその様子が映画では描かれていなかったのが残念でした。

彼が撮影した映像は、後に事件の捜査をするうえで大事な証拠となり、鉄道会社にとっても今後の対応の参考になる重要なものとなります。

カメラであちこち撮影するのが大好きだったアンソニーだからこそ、この現場を撮らなくてははならないという考えを思い立ったのです。

この描写があれば、アンソニーがヨーロッパ旅行中、ひたすら自撮り棒で撮影をしまくっている姿も伏線として活きたのではないかと思います。

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また、最初にテロリストと相対し、銃撃を受けて負傷したマークさんも、彼ら3人とイギリス人男性のクリスさんと共にレジオン・ドヌール勲章を授与しているので、そのことについて何かしら言及が欲しかったです。

マークさんがテロリストの出鼻を挫いたおかげで、スペンサーの奇襲が成功した部分もあると思うので、病院に運ばれた後の彼に対しての何かしらのフォローがほしかったです。

 

【スペンサー・ストーン】

 作中で最もフィーチャーされている青年スペンサーは、3人の中で最も数奇な運命をたどった人物と言っていいでしょう。

空軍のEMT(救急救命士)で訓練した経験が、事件時に発揮されることもさることながら、ヨーロッパ旅行中は特に運命に導かれるように事件が起こる現場へと向かって行きます。

 ベルリンで出会った風変わりなバンドマンに勧められ急遽旅程を変更しアムステルダムへ行ったり、列車内でのWi-Fiの接続状況の悪さから一等車に移動したりと、見えない力に突き動かされるように事件の現場へと進んでいくのです。

 彼は特別な人間というわけではなく失敗や苦悩に満ちた人生を送ってきたごく普通の青年です。彼を英雄たらしめるのは、過去の経歴ではなく、その場で行動を起こした瞬間的な勇気です。この勇気がなければ彼が培ってきた経験も意味を持ちません。

 彼を事件現場へと導いた偶然の連なりと、彼自身の勇敢さが、悲劇を奇跡へと変えたのです。

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 学校の授業を真面目に受けなかったスペンサーが、唯一前のめりで聞き入ったのが歴史の授業です。

 世界史を知り、戦争に興味を持った彼は、アレクとアンソニーの3人でモデルガンを使った戦争ごっこに耽ったり、みんなで戦争映画を鑑賞したりして遊んでいました。その時に3人で見た作品の中に『硫黄島からの手紙』もあったそうで、彼らがイーストウッド監督作に出演したのも運命の導きのようなものを感じます。(映画内でもポスターが映し出されるシーンがあります)

 ベルリンで歴史探索をした際、ヒトラーの死因がアメリカ軍の活躍によるものではなかったことを知ったスペンサーは、自国の栄光が自分の勘違いだった事を残念がります。しかし、彼はテロ事件解決したことにより一躍英雄となります。ヨーロッパでのアメリカ軍の活躍が嘘だと知った彼自身が、ヨーロッパの歴史に名を残す人物となったというのは、なんとも粋な運命で、とても素敵でした。

 

【アレク・スカラトス】

 州兵として働くアレクは、何か大きなことを成し遂げたいという願望を強く持っています。彼の祖父はギリシャ人で、ナチス抵抗運動に参加した反乱軍の一人です。彼が軍隊に入隊したのは、そんな祖父のように世界の悪と戦うという願望をかなえるためなのです。

しかし、彼が配属されたアフガニスタンは、当時は既に戦闘の前線ではなくなっていました。ISISはのメンバーのほとんどはシリアにおり、過激派はトルコを経由していたため、彼が赴任した場所ではほとんど戦闘がなく、何か起こったとしても村人に物資を盗まれる程度のことでした。

 鬱屈した気持ちを抱えていたアレクでしたが、彼が軍で学んだ銃器の扱いが事件現場でいかんなく発揮され、テロリストから奪い取った銃を極めて適切に処理します。こうして彼は祖父のように大きな大義を成し遂げたのです。

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アレクとスペンサーは幼いころからの親友ですが、アレクはスペンサーに対して信頼とともに若干の頼りなさも感じていました。

 スペンサーからパラレスキュー部隊を目指すことを知らされたアレクは、あのエリート中のエリートが所属する部隊にあいつが入隊するのは絶対に無理だと思ったそうで、かといって悪し様にお前には無理だと言うことも出来なかったので「そりゃいいな、がんばれ」という素っ気ない返信を送ったそうです。

 ですが、列車内にテロリストが現れたとき、真っ先に「スペンサー、行け!」と発破をかけたのはアレクでした。それを聞いてとっさに飛び出したスペンサーとアレクの間にはやはり、根強い信頼関係があったのでしょう。

 

【アンソニー・サドラー】

  中学生の時マイノリティ奨学生として編入した学校で、スペンサーとアレクと出会ったアンソニーは、素行の悪いもの同士すぐに仲良くなります。

 アンソニーは、スペンサーたちにとってとてもクールな存在で、口汚い言葉を使いこなしたり、迷彩柄の服はカッコよくないと教えてあげたりと、あか抜けない2人にとっては洗練された少年でした。

 成長してからも、スペンサーとアンソニーの関係は続き、スペンサーが軍隊に入ることを決めたときも、パラレスキュー部隊に入れなかったことを伝えたときも、余計なことは言わず軽く背中を押してくれる何とも気のいい男でした。

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スペンサーやアレクと違い、軍に入隊していない彼は、3人の中で最も、我々のような一般市民に近い存在と言えます。

少年期はスペンサーやアレクと共に戦争ごっこに興じていたアンソニーですが、父が牧師ということもあって、銃とは縁遠い生活を送り、銃器の取り扱いに関してはスペンサーやアレクよりも疎いです。

加えて、武術や救命処置に関してのスキルもない彼ですが、事件発生時は彼なりに必死でスペンサーやアレクの援助をし、負傷者の救助にも積極的に手を貸します。

彼のとった行為は、特殊な技能を持たない我々に、とても多くの勇気を与えてくれます

 

【人生が導いている】

ヨーロッパ旅行中、スペンサーはアンソニー「何か大きな目的に向かって、人生に導かれている気がする」と語ります。原作にはないこのセリフは、この映画の主題といっていいでしょう。

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元々パラレスキュー部隊を目指していたスペンサーでしたが、奥行知覚に問題があることからその希望を断念せざるをおえなくなり、仕方なくSERE指導教官*1になることを志願します。しかし、そこでの訓練についていけなかったスペンサーは落第してしまい、やむなくEMT(救急救命士)への道を選択します。

ですが、スペンサーがそこで学んだ救急救命の技術と柔術のスキルが事件当日これ以上ない形で活かされます。彼の人生の目的はここにたどり着くためにあったといっても過言ではないでしょう。

紆余曲折ありながらも人生に導かれ大義を果たした彼の姿は、「自分の人生はこんなはずじゃなかった」と思っている人たちに勇気を与えてくれます。人生の中で起きる失敗や後悔も、見えない力が何か大きな目的に向かわせているんだと思わせてくれる、すべて人の人生を肯定してくれる映画でした。

*1:敵陣で捕虜になった際の対応を訓練するエキスパート